村上 頌樹(むらかみ しょうき、1998年6月25日 - )… 村上 頌樹(むらかみ しょうき、1998年6月25日 - )は、兵庫県三原郡南淡町(現:南あわじ市)出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。阪神タイガース所属。 南あわじ市立賀集小学校1年で「賀集少年野球クラブ」に入団して野球を始め、3年時から投手を務める。南あわじ市立南淡中学校時代は「アイランドホークス」に所属。1学年上に村西良太がいる。 智辯学園高校では1年夏からベンチ入りし、1年夏と3年春夏に甲子園に出場。3年春の甲子園ではエースとして全5試合を1人で投げ抜き、47回で防御率0.38を記録。決勝の高松商業高校戦では延長11回までを1失点に抑えた上、その裏に中堅越えのサヨナラ二塁打を打ち、同校初の甲子園優勝に導いた。
片山 博視(かたやま ひろし、1987年4月19日 - )は… 片山 博視(かたやま ひろし、1987年4月19日 - )は、兵庫県三原郡三原町市(現:南あわじ市)出身のプロ野球選手(投手・内野手・外野手、育成選手)。左投左打。
斉藤 巧(さいとう こう、1957年11月25日 - )は、… 斉藤 巧(さいとう こう、1957年11月25日 - )は、兵庫県南あわじ市出身の元プロ野球選手(内野手、捕手)・コーチ。 洲本実業高では2年次の1974年に秋季近畿大会県予選で準々決勝に進むが、弓岡敬二郎のいた東洋大姫路高に敗退。 1975年のドラフト4位で大洋ホエールズに入団。強打の大型内野手として期待された。 1981年には主に二塁手・三塁手として49試合に先発出場を果たすが、基満男・フェリックス・ミヤーン・田代富雄・山下大輔ら内野陣の選手層が厚かったためレギュラーには定着できなかった。 1983年にレオン・リーとのトレードでロッテオリオンズに移籍。 1985年に捕手へ転向。プロ野球で捕手から野手へのコンバート例は多いが、その逆は極めて珍しいケースである。
岡本 圭右(おかもと けいすけ、1956年8月16日 - 2… 岡本 圭右(おかもと けいすけ、1956年8月16日 - 2025年12月7日)は、兵庫県南あわじ市出身の元プロ野球選手(投手・内野手・外野手)。左投左打。 三原高2年の県大会で、9回二死までノーヒットノーランピッチングをした記録が残る。1974年ドラフト4位で投手として南海ホークスに入団。 南海入団後2シーズンの間一軍登板はなく、1977年シーズンから野手転向。1979年には外野手として一軍に定着する。 片平晋作が移籍した後の1982年には、開幕戦から一塁手として起用され52試合に実質先発出場、しかしこれら全ての試合で偵察要員が使われた。翌1983年も61試合に先発。その後も山本雅夫や池之上格らとの併用ながら一塁手として活躍し、また指名打者、外野手としても出場した。
鎌田 実(かまた みのる、1939年3月8日 - 2019年… 鎌田 実(かまた みのる、1939年3月8日 - 2019年8月1日)は、兵庫県三原郡広田村(現:南あわじ市)出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家。 男四人兄弟の末っ子として生まれ、生まれて10日目に父が亡くなった。父は近隣地区の情報を特化する新聞を発行して生計を立てていたが、大黒柱が倒れ、家族は窮地に追い込まれる。長男もまだ働く年齢ではなく、母が新聞発行を引き継げるわけもなく、乳呑み児を抱いて淡路島内の実家に引っ越し、呉服を売り歩く商売を始めた。買ってくれるのは親戚だけで、母は自分の着物を質屋に入れ、実父の助けも借りて生きた。淡路島は空襲も少なく、周りは海で温暖な気候であったため、魚や野菜など食べ物に困ることはなかった。