福田 良之(ふくだ よしゆき、1956年 - )は、日本の実… 福田 良之(ふくだ よしゆき、1956年 - )は、日本の実業家。新光投信取締役会長等を経て、海外通信・放送・郵便事業支援機構代表取締役社長。 和歌山県田辺市出身。東陽中学校、和歌山県立田辺高等学校を経て、1979年一橋大学商学部を卒業し、株式会社日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。一橋大学陸上競技部出身。 2006年株式会社みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)執行役員営業第十五部長、2007年執行役員証券部長、2008年常務執行役員・営業担当役員、2010年常務執行役員・コンプライアンス統括グループ統括役員兼審査グループ統括役員、2011年常務執行役員・コーポレートバンキングユニット統括役員、2012年株式会社みずほ銀行常務執行役員・大企業法人ユニット長兼事業法人ユニット担当、2013年みずほ証券株式会社取締役副社長・投資銀行部門長兼金融公共グループ長、2014年新光投信株式会社取締役会長。
島田 賢一(しまだ けんいち、1910年5月24日 - 19… 島田 賢一(しまだ けんいち、1910年5月24日 - 1978年2月20日)は、日本の実業家。チッソ代表取締役社長として、水俣病患者との交渉にあたった。 和歌山県田辺市出身。1934年、東京商科大学(現・一橋大学)卒業。同年、日本窒素肥料(現・チッソ)入社。1949年、日本窒素肥料水俣工場総務部長。同年、日本窒素肥料営業部長。1950年、新日本窒素肥料営業部長。1952年、第二営業部長。1955年、繊維部長。1956年、ミナロン営業部長。1959年、取締役。1963年、常務取締役。1967年11月、副社長。 1971年5月26日に開かれた株主総会は一株運動との対決で大きな騒動となり、チッソは世論の厳しい批判を浴びた。
阪田 誠盛(さかた しげもり、1900年3月21日 - 19… 阪田 誠盛(さかた しげもり、1900年3月21日 - 1975年2月)は、日本の実業家。陸軍将校。日本陸軍の特務機関である「松機関(阪田機関)」を組織、満州・上海・香港を舞台に数々の謀略に携わる。帝国陸軍はもとより、蔣介石率いる国民軍からも絶大な信頼を得た稀有な日本人。中国名は田誠。 1900年3月21日、和歌山県田辺市生まれ。幼名は文吉。生家は阿部で藤原の流れをくむ、代々神官を務めた名家である。父親は阿部誠輝(しげてる)。剣の達人であった誠輝は、西南戦争で官軍将校として出征、田原坂の戦闘において武功をあげた。後に明治政府より男爵位を叙せられるが「分不相応」と返上している。誠輝の死後、母親のタツが奈良の豪商、阪田作次郎の養女となり、阪田姓を名乗るようになる。
山本 茂(やまもと しげる、1889年〈明治22年〉7月27… 山本 茂(やまもと しげる、1889年〈明治22年〉7月27日 - 1970年8月18日)は、日本の政治家・実業家。鹿児島県松山町議会議長(2期)、松山町議会議員(4期)、松山遺族会会長、松山町商工会会長などを歴任した。 1889年〈明治22年〉、和歌山県日高郡上山路村(現・田辺市)に生まれる。 1913年〈大正2年〉、23歳の時に医師を志して家を出て、親類を頼って人吉へ移った。1917年〈大正6年〉、製材所で勤めていた茂は、親類の杭木商・古久保安次郎の手引きで松山へ移った。翌1918年〈大正7年〉、28歳の時に水力利用の製材所を興し、以後製材業を続け、1940年〈昭和15年〉、囎唹郡製材統合株式会社副社長・郡内伐出組合長・県坑木組合囎唹支部長・県平木組合長に就任した。
脇村 市太郎(わきむら いちたろう、1874年(明治7年)1… 脇村 市太郎(わきむら いちたろう、1874年(明治7年)10月18日 - 1960年(昭和35年)4月8日)は、日本の薬剤師、実業家。田辺銀行監査役、田辺町会議員。田辺市名誉市民。 現在の田辺市で脇村市太夫の長男として生まれた。1893年(明治26年)帝国大学医科大学中退。家業の薬種商、山林業を営む。 1956年(昭和31年)に脇村奨学会を設立し、和歌山県の大学進学者に育英奨学金を支給している。 田辺市文化交流センター「たなべる」には脇村市太郎像が設置されている。