恩賀 徳之助(おんが とくのすけ、1877年(明治10年)1… 恩賀 徳之助(おんが とくのすけ、1877年(明治10年)1月21日 - 1963年(昭和38年)1月16日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 和歌山県那賀郡粉河村で、恩賀定一郎の二男として生まれる。大阪桃山学校を経て東京法学院で学んだが、二年で中退し、帰郷して家業の綿ネル製造業に従事。 1904年8月、北海道函館に移り末広町で呉服太物商を営む。以後、函館商業会議所議員、同常議員、函館呉服太物卸商組合長、函館区会議員、同議長、函館市会議員、同初代・第3代議長(1922年11月7日から1923年6月4日、1924年11月21日から1926年10月30日)、北海道会議員などを歴任。 1932年2月、第18回衆議院議員総選挙で北海道第三区から出馬し当選した林儀作が1935年1月に死去し、同年7月の補欠選挙に出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
久下 豊忠(くげ とよただ、明治3年4月8日(1870年5月… 久下 豊忠(くげ とよただ、明治3年4月8日(1870年5月8日) - 昭和12年(1937年)12月10日)は、日本の衆議院議員、ジャーナリスト。 紀伊国那賀郡上名手村(現在の和歌山県紀の川市)の三井家に生まれ、久下純菴の養子となった。英仏学舎、大阪英学舎に学ぶ。1893年(明治26年)、読売新聞社の記者となった。1897年(明治30年)、和歌山新報社に入り、主筆、社長を歴任した。1899年(明治32年)より和歌山県会議員を務めた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
前川 虎造(まえかわ とらぞう、1864年4月9日(元治元年… 前川 虎造(まえかわ とらぞう、1864年4月9日(元治元年3月4日) - 1926年(大正15年)6月17日)は、衆議院議員(立憲国民党→革新倶楽部)、ジャーナリスト。族籍は和歌山県平民。 紀伊国那賀郡田中村(現在の和歌山県紀の川市)出身。前川彌兵衛の長男。 年少のころより政治に興味を持ち、自由民権運動に心酔した。1885年(明治18年)、那賀郡長児玉仲児の知遇を得て、郡書記となるが、児玉の欧化主義と合わず、2年で辞職した。その後、和歌山県会の書記となるが、児玉が県会議員に当選し、議長に就任したため辞職した。 官を辞した後は新聞記者となり、紀陽新報主筆を経て、大阪で立憲改進党機関紙の「東雲新聞」に入った。
千田 軍之助(せんだ ぐんのすけ、安政3年2月11日(185… 千田 軍之助(せんだ ぐんのすけ、安政3年2月11日(1856年3月17日) – 大正3年(1914年)3月2日)は、衆議院議員(自由党→憲政党→立憲政友会)、ジャーナリスト。 紀伊国那賀郡南志野村(現在の和歌山県紀の川市)の郷士の家に生まれた。1874年(明治7年)、副戸長となり、第三大区第二小区会議所に勤務した。1876年(明治9年)、地租改正にあたって県令神山郡廉に地価の不当を訴えたが、容れられなかったため副戸長を辞した。その後、児玉庄右衛門(児玉仲児の父)らとともに自由民権運動を展開したため、投獄された。これに対し数百の民衆が彼らを奪還しようと蜂起したため、神山は大阪鎮台に出兵を乞う事態となった(粉河騒動)。
児玉 仲児(こだま ちゅうじ、嘉永2年11月14日(1849… 児玉 仲児(こだま ちゅうじ、嘉永2年11月14日(1849年12月28日) - 明治42年(1909年)1月24日)は、和歌山県の民権家、官吏、衆議院議員(3期)、大日本水産会名誉会員。 紀伊国那賀郡中山村(粉河村、粉河町を経て現紀の川市)生まれ。同窓に濱口梧陵、陸奥宗光など。 はじめ、森田節斎について漢学を学び、京阪の鴻儒について文学を修める。明治6年(1873年)に慶應義塾に入学し、卒業後に大蔵省記録局(13等)に出仕。のちに辞して自由民権運動に参加。明治9年(1876年)の地租改正について、和歌山県令・神山郡廉に提出した建白書を発端にして、「粉河騒動」の端緒となる。 明治10年(1877年)陸奥宗光の協力により、粉河に風猛学校を設立し、翌年に自由民権の結社・実学社、木国同友会を率いる。
中西 光三郎(なかにし みつさぶろう、弘化2年1月15日(1… 中西 光三郎(なかにし みつさぶろう、弘化2年1月15日(1845年2月21日) – 明治43年(1910年)7月10日)は、衆議院議員(立憲政友会)、貴族院多額納税者議員。 紀伊国那賀郡井ノ口村(現在の和歌山県紀の川市)の豪農の家に生まれた。1862年(文久2年)、父の跡を継いで庄屋となり、1872年(明治5年)に大区小区制が実施されると区長に就任した。1879年(明治12年)、県会制度が制定されると初代副議長に選出された(議長は濱口梧陵)。1881年(明治14年)、議長に就任。同年、木国同友会という政社を結成し、濱口会長のもと副会長に就いた。やがて松本鼎県令と対立し、松本は懐柔のため郡長就任をたびたび要請した。
前田 謙祐(まえだ けんすけ、1836年(天保7年2月)- … 前田 謙祐(まえだ けんすけ、1836年(天保7年2月)- 1891年(明治24年)6月1日)は、明治期の地主、政治家。貴族院多額納税者議員。 紀伊国那賀郡 (和歌山県) 前田村(和歌山県那賀郡中貴志村、貴志川町を経て現紀の川市)で、屋号「一本木(いっぽんぎ)」豪農・前田若右衛門の長男として生まれる。家山角蔵に師事した。 1870年(明治3年)小倉組郷長に就任。1873年(明治6年)4月、小学校世話係となる。1874年(明治7年)前田・北山・尼寺3ヵ村戸長に就任し、以後、前田村戸長、上野山外10カ戸長を歴任した。 1876年(明治9年)地租改正の和歌山県案が紀北地方に不公平との不満から各地で騒動が頻発した際に、貴志地方の総代として農民側として解決に尽力した。