西川 史礁(にしかわ みしょう、2003年3月25日 - )… 西川 史礁(にしかわ みしょう、2003年3月25日 - )は、和歌山県日高郡日高川町出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学校1年生の時に川辺ウィンスターズで野球を始め、日高川町立丹生中学校在学時は硬式野球クラブチームの和歌山日高ボーイズでプレーしていた。3学年上には泉口友汰がおり、西川の兄を通じて面識があった(泉口とは青山学院大学でも一緒になった)。 龍谷大学付属平安高等学校に進学し、2年春の第91回選抜高等学校野球大会で公式戦初出場。背番号16ながら遊撃手で先発出場し、ベスト8進出に貢献した。3年夏は新型コロナウイルスの影響で公式戦が中止となったが、京都府で行われた独自大会に出場し、ブロック決勝で京都成章に勝利した。
中島 大輔(なかしま だいすけ、2001年6月4日 - )は… 中島 大輔(なかしま だいすけ、2001年6月4日 - )は、和歌山県日高郡川辺町(現:日高川町)出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 日本プロ野球における、連続試合三塁打数日本記録(4試合)保持者。 和歌山県川辺町(現:日高川町)出身。川辺西小学校および早蘇中学校時代は和歌山御坊ボーイズに在籍していた。 龍谷大学付属平安高等学校では入学後すぐに左膝を手術、同年秋には左足首を痛め、2年春から通常の練習ができるようになった。同年秋からベンチ入りして1番打者を務める。3年春の第91回選抜高等学校野球大会に出場し、ベスト8に進出した。同年夏は京都大会準決勝で立命館宇治に敗れた。
宮路 年雄(みやじ としお、1928年8月20日 - 199… 宮路 年雄(みやじ としお、1928年8月20日 - 1998年5月9日)は、日本の実業家。信光電機有限会社の代表取締役社長として家電量販店「城南電機」を経営した。 身長154センチメートル (cm) と小さな体躯と独特のダミ声に加え、明るいキャラクターで「城南電機の宮路社長」としてテレビ番組などに出演した。 和歌山県日高郡中津村(現在の日高川町)出身。1928年8月20日に地元で有数の材木商に四男四女の次男として出生する。 高津尾小学校を卒業後、1940年に和歌山県立和歌山工業学校機械科へ進学する。その後に太平洋戦争が勃発し、1941年12月から1年半、兵庫県明石市内の飛行機部品工場へ学徒動員される。
那智ノ山 公晴(なちのやま きみはる、1920年8月15日 … 那智ノ山 公晴(なちのやま きみはる、1920年8月15日 - 1994年12月22日)は、和歌山県日高郡日高川町(現役時代は、同郡矢田村)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は柏木 佐平(かしわぎ さひら)。最高位は西前頭19枚目(1950年9月場所・1951年1月場所)。現役時代の体格は182cm、99kg。得意手は右四つ、三所攻め、大股、小股掬い。 1937年5月、横綱・武蔵山の一行が巡業で和歌山市内を訪れた際に出羽海親方(元小結・両國)の熱心なスカウトを受け、それに応じて出羽海部屋へと入門。同年5月場所で初土俵を踏み、翌年5月、本名でもある「柏木」の四股名で序ノ口に付いた(その後、「那智ノ海」を経て「那智ノ山」へ改名している)。
西川 好次郎(にしかわ よしじろう、1903年10月 - 1… 西川 好次郎(にしかわ よしじろう、1903年10月 - 1990年)は、和歌山県日高郡寒川村(現:日高川町)出身の作詞家。大正・昭和時代に活動した。 1903年(明治36年)10月、寒川村の垣口家に出生。のち川上村の西川家で養子に迎えられた。 小学校高等科を卒業後は植林の仕事に就き、和歌山市を訪れた際に「紅葉渓納涼音頭」の公募に入選して懸賞金50銭を得た。尋常小学校の訓導であった1934年(昭和9年)、報知新聞社が皇太子(明仁)の生誕を記念して歌詞を一般公募した「皇太子殿下御降誕奉祝歌」において、全国から寄せられた約5,800編の中から西川の応募作が一等入選で採用され、東京音楽学校の作曲によりキングレコードから発売された。