矢田貝 猶治(やたがい ゆうじ、1880年〈明治13年〉 -… 矢田貝 猶治(やたがい ゆうじ、1880年〈明治13年〉 - 1921年〈大正10年〉)は、日本の会社役員、政治家、醸造家、素封家、鳥取県の大地主。矢田貝家3代目。中国貯蓄銀行取締役。米子信託監査役。鳥取県西伯郡会議員。大幡村会議員。大幡信用購買組合監事。 鳥取県会見郡大幡村大字上細見(のち西伯郡岸本町大字上細見、現・西伯郡伯耆町大字上細見)出身。酒、醤油醸造業を営む。連合国傷病兵罹災者慰問会寄付者である。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
木下 義之(きのした よしゆき、1866年9月24日〈慶応2… 木下 義之(きのした よしゆき、1866年9月24日〈慶応2年8月16日〉 - 1923年〈大正12年〉6月9日)は、日本の政治家、衆議院議員(鳥取市選出、当選1回)、地主。旧姓は足羽。族籍は鳥取県士族。 伯耆国日野郡二部村(のち鳥取県日野郡溝口町二部、現・伯耆町)出身。士族・足羽純亭の六男。1889年、木下家に養子入りする。鳥取市会議員、同議長、鳥取県会議員、同参事会員、鳥取県農工銀行取締役となる。 鳥取電燈創立の際に監査役となり、のちに取締役となる。 1908年の第10回衆議院議員総選挙において鳥取市選挙区から立憲政友会公認で立候補して当選した。1912年の第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。
矢田貝 平重(やたがい へいじゅう、1851年 - 1904… 矢田貝 平重(やたがい へいじゅう、1851年 - 1904年〈明治37年〉9月20日)は、日本の醸造家、銀行家、素封家、鳥取県の大地主。矢田貝家2代目。中国貯蓄銀行取締役。 伯耆国会見郡上細見村(のち鳥取県会見郡大幡村大字上細見、西伯郡岸本町大字上細見、現・西伯郡伯耆町大字上細見)出身。屋号を「久良屋」と称し、酒類醸造業を営む。家はもと微々として振るわなかったが、先代が苦心経営を重ねて業務に励精したため富裕となる。平重は父の志を継ぎ、専心酒類の精醸に努める。大地主となり、郡内屈指の富豪家と目される。 矢田貝家は、古くはたたら吹きに関係していたと言われる。近世初期に出雲地方より伯耆国日野郡へ移住し、帰農したと伝えられる。
野坂 清一郎(のさか せいいちろう、旧字体: 野坂 淸一郞、… 野坂 清一郎(のさか せいいちろう、旧字体: 野坂 淸一郞、1847年5月4日〈弘化4年3月20日〉 - 1916年〈大正5年〉10月10日)は、日本の政治家、地主。鳥取県会議員。鳥取県西伯郡大幡村長。族籍は鳥取県平民。 鳥取県西伯郡大幡村(のち岸本町、現・伯耆町)出身。弥十郎の長子。1872年に第九十六区副戸長に任ぜられる。1874年、岸本、吉長両村戸長。1875年、押口村戸長兼務。 吉定学校保護人、旧会見郡吉定村、上細見村、立岩村、岸本村、押口村、吉長村戸長、同郡上細見、立岩、吉定、岸本、吉長、押口の6村戸長再任、同郡第四番学区学務委員、同郡十七連合戸長、同郡第三四番学区学務委員。 1889年、町村制実施に付八幡村、古豊千村、王子村の主担命ぜられ、村政施設事務取扱、同年大幡村会議員、同年大幡村長。