萩野 浩基(はぎの こうき、1940年〈昭和15年〉7月20… 萩野 浩基(はぎの こうき、1940年〈昭和15年〉7月20日 - 2015年〈平成27年〉10月18日)は、日本の政治家、哲学者、僧侶。衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、科学技術政務次官(羽田内閣)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、島根県済善寺住職、東北福祉大学学長などを務めた。島根県鹿足郡津和野町出身。 島根県鹿足郡津和野町(旧津和野町域)にある曹洞宗の寺院・永明寺に生まれる。世田谷高等学校、駒澤大学卒業を経て、1970年(昭和45年)早稲田大学大学院政治学研究科修士課程を修了。玉川大学、共立女子大学、駒澤大学、早稲田大学社会科学部などの講師を経て、1977年(昭和52年)東北福祉大学助教授となり、1979年(昭和54年)東北福祉大学教授。
高岡 熊雄(たかおか くまお、1871年9月29日(明治4年… 高岡 熊雄(たかおか くまお、1871年9月29日(明治4年8月15日) - 1961年(昭和36年)12月29日)は、日本の農学者・農政学者・農業経済学者。。第3代北海道帝国大学総長。島根県生まれ。 1871年、津和野藩士・高岡道敬の次男として島根県鹿足郡津和野町で生まれた。津和野小学校を卒業後、兄がいた旧制山口中学校に進学し、ここで出会った国木田哲夫(独歩)とは終生の親交を結んだ。その後兄の転勤にともなって転校し、札幌農学校(現・北海道大学農学部)予科に進学。農学校では新渡戸稲造に師事。1895年6月、札幌農学校農学科を卒業した。卒業後は、新渡戸教授のすすめで同校の研究生となった。 1896年7月、母校の札幌農学校農芸伝習科講師に就いた。
福羽 逸人(ふくば はやと/いつじん、1856年12月13日… 福羽 逸人(ふくば はやと/いつじん、1856年12月13日〈安政3年11月16日〉- 1921年〈大正10年〉5月19日)は、日本の造園家、園芸家、官僚、農学者。位階・勲等は正三位勲一等。爵位は子爵。宮内省で長く宮廷園芸技師として活躍、小豆島のオリーブや「福羽いちご」として知られるイチゴなど植物栽培、花弁果樹野菜等の品種改良など園芸分野で多く貢献をしたほか、新宿御苑をはじめとする宮内省管轄の庭園等の整備、武庫離宮(須磨離宮)の庭園設計、栗林公園北庭および日比谷公園西洋花壇の設計に当たった。 石見国津和野藩にて津和野藩士、佐々布利厚の三男として生まれる。父とは3歳のときに死別した。1872年(明治5年)、16歳のとき、国学者の同藩士・福羽美静の養子となる。
小藤 文次郎(ことう ぶんじろう、安政3年3月4日〔1856… 小藤 文次郎(ことう ぶんじろう、安政3年3月4日〔1856年4月8日〕 - 昭和10年〔1935年〕3月8日)は、日本の地球科学者。地質学、岩石学、鉱物学、火山学、地震学など、幅広く活躍した。ドイツ地理学を日本に導入し日本の地質学や地形学の揺籃期に活躍・貢献をした。また、多くの学生を育てた。 石見国(現在の島根県)津和野生まれ。藩校の養老館で漢学や蘭学を学ぶ。1870年、15歳の時、藩から大学南校(のちの開成学校、東京大学)に貢進生として上京し、英語、理学を修め卒業する。1877年(明治10年)、創立されたばかりの東京大学理学部地質学および採鉱学科に進学し、1879年(明治12年)東京帝国大学理学部地質学および採鉱学科の最初の卒業生。
福羽 美静(ふくば びせい(「よししず」とも)、天保2年7月… 福羽 美静(ふくば びせい(「よししず」とも)、天保2年7月17日(1831年8月24日) - 明治40年(1907年)8月14日)は、日本の国学者・宮内官僚。通称は「文三郎」、号は「木園」、「硯堂」。 1831年(天保2年)、津和野藩士・福羽美質の長男として生まれた。幼少の頃に軽業(かるわざ、曲芸)師の真似をしようとして綱渡りをした際に誤って転落、腰部の関節を挫傷したために身長が伸びず、大人になっても5尺(約151.5cm)に満たなかったといわれる。父の友人から諭されて勉学に励み、1849年、19歳で藩校・養老館に入学して漢学や山鹿流兵学を学んだ。また荒木田守武の和歌に感銘を受け、歌道にも精進した。
大国 隆正(おおくに たかまさ、寛政4年11月29日〈179… 大国 隆正(おおくに たかまさ、寛政4年11月29日〈1793年1月11日〉 - 明治4年8月17日〈1871年10月1日〉)は、幕末・明治維新期の国学者、神道家。石見国津和野藩出身。 別姓は野之口。名に一造、匠作、仲衛など。諱は秀文、秀清、隆正。字は子蝶。号は葵園、佐紀乃屋。 津和野国学の泰斗として、国学史上の四大人観を確立し、「文武虚実論」に代表される学問論を残した。神道家としては石見国に於ける大国主信仰の復興にも貢献した。 津和野藩士今井秀馨の子として江戸桜田江戸藩邸に生まれた。 1805年(文化3年)に平田篤胤の門下となり国学を学ぶ。さらに昌平黌においても古賀精里に儒学を学ぶが、こちらは文化7年去っている。
岡 熊臣(おか くまおみ、天明3年3月9日(1783年4月1… 岡 熊臣(おか くまおみ、天明3年3月9日(1783年4月10日) - 嘉永4年8月6日(1851年9月1日))は、幕末に活躍した日本の国学者。石見国鹿足郡木部村(現・島根県鹿足郡津和野町)出身。 富長山八幡宮の神官・岡忠英の子として生まれる。本居宣長の影響を受け、村田春門の下で国学を学ぶ。1811年から神職自祭葬運動を展開した。1815年には家塾の桜蔭館を開いた。1849年、津和野藩校・養老館初代国学教師に就任。津和野国学隆盛の礎を築いた。 本居宣長と平田篤胤の思想を折衷し、独自の論考を構築した『千世の住処』、『古事記伝』を模した『日本書紀私伝』などの著書を著した。 1907年、従四位を追贈された。