石上 泰輝(いしかみ たいき、2001年5月18日 - )は… 石上 泰輝(いしかみ たいき、2001年5月18日 - )は、徳島県鳴門市出身のプロ野球選手(内野手)。横浜DeNAベイスターズ所属。 鳴門市明神小学校で2年生の時に明神ブレーブスで野球を始める。鳴門市第一中学校では軟式野球部に所属し、3年時は主将を務めて全国中学校軟式野球大会に出場した。 徳島県立徳島商業高等学校では1年夏からベンチ入りし、2年秋から二塁手のレギュラーを務めた。この時点では高校卒業後に野球を引退して就職する意向だったが、その後出場した秋季四国大会にて、英明との初戦で4安打を記録して勝利に貢献。大舞台で結果を残し、「関東の大学でプレーしたい」という意欲が芽生えた。3年夏は徳島大会準決勝で鳴門に敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった。
河野 竜生(かわの りゅうせい、1998年5月30日 - )… 河野 竜生(かわの りゅうせい、1998年5月30日 - )は、徳島県鳴門市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 鳴門高校時代は通算3度夏の甲子園大会に出場。3年時(第98回大会)のベスト8入りが最高成績であった。同級生には、のちに日本ハムでもチームメイトになる中山晶量がいる。 高校卒業後はJFE西日本に入社し、入社1年目にして都市対抗野球では三菱重工広島の補強選手として出場した。2年目の都市対抗野球ではJR西日本の補強選手として出場。3年目の都市対抗野球では、自チームで出場した。2018年11月に行われた第44回社会人野球日本選手権大会では2試合連続完封勝利を記録し、同大会の決勝戦では三菱重工名古屋相手に9回1失点と好投した(チームは延長戦の末に敗れ準優勝)。
板東 湧梧(ばんどう ゆうご、1995年12月27日 - )… 板東 湧梧(ばんどう ゆうご、1995年12月27日 - )は、徳島県鳴門市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 鳴門市大麻中学校では軟式野球部に所属し、徳島県立鳴門高等学校では甲子園に4度出場。 プロ球団からの評価は必ずしも高くはなく、高校卒業後はJR東日本に入社。身体づくりを中心としたトレーニングと投球術の習得に取り組んだ結果、都市対抗野球などで制球力のよさと緩急のコンビネーションを駆使した安定感のあるピッチングを見せ、プロ球団のスカウト陣からの評価を高めた。 2018年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから4位指名を受けた。
美間 優槻(みま ゆうき、1994年5月26日 - )は、徳… 美間 優槻(みま ゆうき、1994年5月26日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 野球をしていた6歳上の兄についていき、3歳からバットとボールを握り、自然と野球を始めていた。鳴門市林崎小学校を経て、鳴門市第二中学校では軟式野球部に所属。 鳴門工業高等学校では、2年時夏から4番・エースを務める。夏は、徳島大会準々決勝で小松島高等学校に3-4でサヨナラ負けを喫した。3年に進級すると同時に鳴門第一高との統合により新設された鳴門渦潮高に編入。新校の初代4番・エースとなり挑んだ夏の徳島大会では全5試合に先発登板し、初戦の城西高戦では2四球13奪三振でノーヒットノーランを達成した。
富永 一(とみなが はじめ、1989年6月20日 - )は、… 富永 一(とみなが はじめ、1989年6月20日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 鳴門高時代、3年時の夏は徳島県予選ベスト8で敗退。甲子園出場経験はなし。 高校卒業後は、香川県高松市に本拠地を置く社会人野球のクラブチームであるアークバリアドリームクラブに3年間所属。 2010年12月22日、四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスに入団。 2011年は、1年目ながらチームの守護神として活躍。30試合に登板し、18セーブを挙げ最多セーブのタイトルを獲得。防御率も1.20を記録した。 2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから育成1位指名を受けた。
藤田 一也(ふじた かずや、1982年7月3日 - )は、徳… 藤田 一也(ふじた かずや、1982年7月3日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、プロ野球コーチ。 徳島県立鳴門第一高等学校(現:徳島県立鳴門渦潮高等学校)では1年秋、2年秋の県大会で準優勝したがいずれも四国大会1回戦で敗れた。近畿大学に進学。関西学生野球リーグ通算72試合出場、266打数92安打、打率.346、0本塁打、24打点。首位打者2回、ベストナイン遊撃手4回。4年春に当時シーズン最多となる23安打のほか、2年時から137打席連続無三振という記録も残す。 2004年のドラフト会議では、横浜ベイスターズから4巡目指名を受け入団した。背番号は23。 2005年、7月27日の中日ドラゴンズ戦(山形県野球場)に延長12回に代走でプロ初出場。
渡辺 亮(わたなべ りょう、1982年2月10日 - )は、… 渡辺 亮(わたなべ りょう、1982年2月10日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。 実家の近所に鳴門競艇場があり、少年時代は競艇選手を目指していた。競艇のための体力をつける目的で野球をしていたが、鳴門工業高校時代に身長が規定(172 cm以下。18歳未満時は168 cm以下)を超えてしまい、競艇選手の道を断念した。 高校では初めは遊撃手であったが、投手ができる選手がいなくなったため2年生から投手に転向。2年秋の四国大会で準優勝して3年生時に春の甲子園に出場したが初戦敗退。夏の県大会は決勝で徳島商の牛田成樹と投げ合って敗れた。同志社大学では2年春にベストナインを受賞するなど大学通算48試合に登板し26勝13敗、防御率1.62, 316奪三振。
里崎 智也(さとざき ともや、1976年5月20日 - )は… 里崎 智也(さとざき ともや、1976年5月20日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、野球評論家、タレント、YouTuber。 ビックリマン終身名誉PR大使。愛称は「サト」。所属事務所はレプロエンタテインメント。血液型はA型。 現役時代はロッテの正捕手としてリーグ優勝1回、日本一2回、日本代表では2006 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝に貢献。同大会では正捕手として大会優勝に貢献した。 戸籍上の本名は「里﨑 智也(読み同じ)」だが、自身は20歳になるまでこのことを知らなかった。ただし「﨑」の字を使うと字画が一つ多くなるため、本人は「崎」の字を一生使い続けていくという。
住友 健人(すみとも はやと、1974年10月29日 - )… 住友 健人(すみとも はやと、1974年10月29日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(内野手)。
福田 信一(ふくだ しんいち、1973年9月19日 - )は… 福田 信一(ふくだ しんいち、1973年9月19日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手(投手)。
潮崎 哲也(しおざき てつや、1968年11月26日 - )… 潮崎 哲也(しおざき てつや、1968年11月26日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
秦 真司(はた しんじ、1962年7月29日 - )は、徳島… 秦 真司(はた しんじ、1962年7月29日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)。2012年から読売ジャイアンツのバッテリーコーチ。
長村 裕之(ながむら ひろゆき、1958年12月12日 - … 長村 裕之(ながむら ひろゆき、1958年12月12日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(捕手)。2016年10月よりオリックス・バファローズの球団本部長兼編成部長を務める。 鳴門工業高では1976年、夏の甲子園予選南四国大会準決勝に進出するが高知商業高に敗退。 卒業後は駒澤大学へ進学。大学時代には高久孝(日本楽器)らとバッテリーを組み、東都大学野球リーグで3度優勝。1980年の全日本大学野球選手権大会準優勝。同年の第9回日米大学野球選手権大会日本代表に選出され、秋季リーグでは首位打者を獲得している。リーグ通算72試合に出場、209打数62安打、打率.297、1本塁打、20打点という成績を残した。
住友 一哉(すみとも かずや、1958年2月14日 - )は… 住友 一哉(すみとも かずや、1958年2月14日 - )は徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手。
小川 弘文(おがわ ひろふみ、1945年5月15日 - )は… 小川 弘文(おがわ ひろふみ、1945年5月15日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
秋元 国武(あきもと くにたけ、1945年 - )は、徳島県… 秋元 国武(あきもと くにたけ、1945年 - )は、徳島県鳴門市出身のアマチュア野球選手(一塁手、外野手)。 徳島県立撫養高等学校では長池徳士の2年後輩。 1963年夏の甲子園県予選準決勝に進むが海南高に敗退。卒業後は法政大学へ進学、一塁手として活躍する。東京六大学野球リーグでは在学中2回の優勝を経験。 1966年秋季リーグでは打率.375で首位打者となり、ベストナイン(一塁手)に選出される。 1967年秋季リーグでは、2年生エース山中正竹を擁し優勝に貢献。大学同期に鶴岡泰、1年下には田淵幸一らがいる。 大学卒業後は日本石油に入社。1968年から都市対抗に7年連続出場。同年の都市対抗では準決勝で河合楽器と対戦、8回に同点本塁打を放つが二塁を踏まなかったと判定され、放棄試合寸前となる「幻の本塁打」事件で知られる。
長池 徳士(ながいけ あつし、本名:長池 徳二〈ながいけ と… 長池 徳士(ながいけ あつし、本名:長池 徳二〈ながいけ とくじ〉、1944年2月21日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(外野手・指名打者、右投右打)・コーチ、解説者・評論家。1979年に登録名を本名から変更している。 現役時代は阪急ブレーブス一筋で14シーズンにわたりプレーしたことから、不動の4番打者「ミスターブレーブス」として親しまれた。1967年から1975年にかけて阪急の不動の四番打者を務め、通算338本塁打は現在も球団記録である。本塁打王に3回輝き、9年連続で25本塁打以上を記録するなど、球界を代表する「右の大砲」として活躍した。パ・リーグ初のベストナイン(指名打者部門)を受賞している。
板東 里視(ばんどう さとみ、1942年1月1日 - 199… 板東 里視(ばんどう さとみ、1942年1月1日 - 1999年10月7日)は、徳島県板野郡板東町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。
板東 英二(ばんどう えいじ、1940年4月5日 - )は、… 板東 英二(ばんどう えいじ、1940年4月5日 - )は、日本の元プロ野球選手・野球解説者・タレント・司会者・俳優・実業家・YouTuber。愛称は板ちゃん(ばんちゃん)で、「坂東英二」は誤記である。
八田 正(はった ただし、1936年10月5日 - )は徳島… 八田 正(はった ただし、1936年10月5日 - )は徳島県出身のプロ野球選手。当時は珍しい右投左打の内野手で、二塁手、遊撃手として活躍した。引退後はスカウトとして新人発掘に尽力した。
大久保 英男(おおくぼ ひでお、1932年9月13日 - )… 大久保 英男(おおくぼ ひでお、1932年9月13日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。