宮ノ花 秀輝(みやのはな ひでてる、1938年1月30日 -… 宮ノ花 秀輝(みやのはな ひでてる、1938年1月30日 - 没年不明)は、愛媛県八幡浜市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は宮脇 邦義(みやわき くによし)。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭12枚目(1962年9月場所)。現役時代の体格は176cm、110kg。 中学校卒業後に二所ノ関部屋へ入門し、1953年5月場所にて、15歳で初土俵を踏んだ。 序ノ口に付いた時の四股名は、本名と同じ「宮脇」。その後、「宮ノ花」→「八幡濱(故郷の地名に因んだ)」→「宮ノ花」と3度改名している。 左四つからの寄りという正攻法を得意としたが、立ち合いの鋭さに欠け、取り口は地味であった。 また、極度の近視であったため、速攻相撲の力士に対しては苦戦した。
愛宕山 武司(あたごやま たけし、1936年1月11日 - … 愛宕山 武司(あたごやま たけし、1936年1月11日 - 2000年5月5日)は、愛媛県八幡浜市幸町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は大澤 慶吉(おおさわ よしきち)。最高位は西前頭3枚目(1959年11月場所)。身長177cm、体重117kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り。 愛宕中学校を卒業後、前ノ山の口利きで高砂部屋へ入門し、1951年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の前頭・起雲山らがいる。 初土俵の場所では番付外と新序で続けて好成績を収めたため、翌場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 なお、当初の四股名は、本名でもある「大澤」。その後、1952年5月場所より、故郷・八幡浜市にある山に因んだ「愛宕山」へ改名した。
前ノ山 政三(まえのやま まさぞう、1931年7月2日 - … 前ノ山 政三(まえのやま まさぞう、1931年7月2日 - 1973年4月8日)は、愛媛県八幡浜市堀川町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は菊池 秀介(きくち ひですけ)。最高位は東前頭14枚目(1958年5月場所)。現役時代の体格は176cm、102kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 1931年、中国北東部の奉天市(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市、当時は満洲国の統治下にあった)附近で生まれ、第二次世界大戦の終結とともに愛媛県八幡浜市に引き揚げて来た。 15歳の時に高砂部屋へ入門し、1947年6月場所(※現在の5月場所に相当)で初土俵。翌11月場所、「前ノ川」の四股名で序ノ口に付いた。
前田山 英五郎(まえだやま えいごろう、1914年5月4日 … 前田山 英五郎(まえだやま えいごろう、1914年5月4日 - 1971年8月17日)は、愛媛県西宇和郡喜須来村(現:愛媛県八幡浜市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。第39代横綱。本名は萩森 金松(はぎもり かねまつ)。 1914年5月4日に愛媛県西宇和郡喜須来村で生まれる。喜須木尋常高等小学校を卒業後、1928年に高砂一行が高知市へ巡業に来た際、体格の良い金松少年がいるのを見つけた高砂が自ら勧誘した。当時の金松少年は相撲に対して興味を示さなかったが徐々に気持ちが傾き、大工だった兄を頼って上京してその日の夜に高砂部屋へ入門、1929年1月場所で初土俵を踏んだ。金松は入門に関して自惚れのようなものがあり、自分より体の小さい力士がおり、それには勝てるだろうなどと思っていた。