石田 宏樹(いしだ あつき、1972年6月18日 - )は、… 石田 宏樹(いしだ あつき、1972年6月18日 - )は、日本のデジタルアーキテクト、実業家。フリービット創業者・同代表取締役会長。トーンモバイル社長。 佐賀県伊万里市生まれ、福岡県育ち。福岡教育大学附属福岡中学校、弘学館高等学校を経て、慶應義塾大学総合政策学部卒業。 高校時代にソニー創業者の盛田昭夫に手紙を送り、起業を勧められた事が契機となる。 大学在学中にコンテンツ制作などを手がける会社を立ち上げ、卒業後はドリーム・トレイン・インターネット設立に参画する。 2000年にフリービット・ドットコム(現;フリービット)を設立し、同社長に就任。2015年に会長に就任。 同年カルチュア・コンビニエンス・クラブとの合弁会社であるトーンモバイルを設立し、同社長に就任した。
金子 和斗志(かねこ かつし 、1952年3月26日 - )… 金子 和斗志(かねこ かつし 、1952年3月26日 - )は、日本の実業家。アイ・ケイ・ケイ株式会社創業者・代表取締役会長兼CEO。 佐賀県伊万里市生まれ。佐賀県立伊万里高等学校卒業。1974年家業金子興業株式会社(のちの株式会社アイ・エス)に入社。1974年取締役。1981年代表取締役。1995年九州積善社(現アイ・セレモニー株式会社)代表取締役社長。同年アイ・ケイ・ケイ設立、同社代表取締役社長。2000年九州初のハウスウェディング施設を鳥栖市で開業。2012年アイケア株式会社取締役。2015年経済産業省おもてなし経営企業選出。2017年PT INTERNATIONAL KANSHA KANDOU INDONESIA 取締役、株式会社力の源ホールディングス社外取締役。
松尾 國三(まつお くにぞう、明治32年(1899年)6月8… 松尾 國三(まつお くにぞう、明治32年(1899年)6月8日 - 昭和59年(1984年)1月1日)は、日本の歌舞伎役者・実業家・芸能プロモーター。旅役者から立身出世して興行界やレジャー産業で幅広く活躍、「昭和の興行師」や「芸能界の黒い太陽」の異名をもつ。佐賀県伊万里市出身。 松尾の没後、松尾一族が日本ドリーム観光から手を引くことになった事情については日本ドリーム観光の項を参照。現在は松尾の娘・昌出子(ひでこ)と孫・國之(くにゆき)が株式会社富士プロジェクト(富士興業の後身)・松尾育英会・松尾芸能振興財団の3事業を継承。富士プロジェクトは現在、賃貸不動産業をメインにサッカースクールの経営を行うクーバー・コーチング・ジャパンを子会社で行っており、松尾芸能振興財団は松尾芸能賞の主催および松尾の原点である子供歌舞伎・松尾塾の運営、松尾育英会は共同生活による大学修学支援事業を行っている。
松尾 広吉(松尾 廣吉、まつお こうきち / ひろきち、18… 松尾 広吉(松尾 廣吉、まつお こうきち / ひろきち、1867年1月8日〈慶応2年12月3日〉- 1937年〈昭和12年〉1月16日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、佐賀県西松浦郡伊万里町長。 肥前国松浦郡伊万里町(現佐賀県伊万里市伊万里町)で、素封家・松尾貞吉の長男として生まれる。漢学を修める。 1904年(明治37年)、陸海軍の諸機械器具製造を行う松尾鉄工所を設立。家業をたばこ専売のほかに郡内の「煙草元売捌所」を開業して拡大。その他、伊万里銀行監査役、伊万里鉄道監査役、魚市 (名) 社長、東洋油脂工業取締役などを務めた。 政界では、伊万里町会議員、西松浦郡会議員などを務め、1911年(明治44年)9月29日、貴族院多額納税者議員に就任し、一期務めて1918年(大正7年)9月28日まで在任した。
森永 太一郎(もりなが たいちろう、慶応元年6月17日(18… 森永 太一郎(もりなが たいちろう、慶応元年6月17日(1865年8月8日) - 昭和12年(1937年)1月24日)は、日本の実業家。森永製菓創業者。安倍晋三首相の妻・昭恵は外曾孫娘にあたる。父親の死後、幼少期のほとんどを母親の実家力武家で養われる。 父・常次郎、母・キクの長男・伊左衛門として肥前国松浦郡伊万里(現・佐賀県伊万里市)に生まれる。生家の森永商店は陶磁器の積み出し港として栄えた伊万里で一番の陶器問屋で、伊万里湾の漁業権を握る網元でもあったが、父の代には家勢も衰え、6歳の時に父が病死すると財産は人手に渡り、母は再婚。親類の家を転々とする不遇な幼少時代を過ごした。やがて伯父の山崎文左衛門に引き取られて山崎太一郎となり、商人の心構えを教え込まれた。
藤山 雷太(ふじやま らいた、1863年9月13日(文久3年… 藤山 雷太(ふじやま らいた、1863年9月13日(文久3年8月1日)- 1938年(昭和13年)12月19日)は、佐賀藩出身の明治・大正・昭和の実業家、貴族院勅選議員。福澤諭吉門下直系の実業家として、東京商業会議所会頭、芝浦製作所所長、大日本製糖社長、藤山同族社長、大日本製氷会長、日印協会理事、また三井財閥・安田財閥・共同の各信託会社の相談役・取締役等を歴任し、藤山コンツェルンを創立した。正五位勲三等。 1919年(大正8年)に藍綬褒章、1923年(大正12年)に紺綬褒章を受章。次いでフランス政府からレジオン・ドヌール・シュバリエ勲章を受章。安南(現在のベトナム)国王からはグラン・オフィシェ・ド・ランテン勲章を贈られた。
川原 茂輔(かわはら もすけ、1859年10月10日〈安政6… 川原 茂輔(かわはら もすけ、1859年10月10日〈安政6年9月15日〉- 1929年〈昭和4年〉5月19日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議長、佐賀県会議長。位階は従四位。勲等は勲二等。 肥前国西松浦郡大川内村(現:佐賀県伊万里市)生まれ。草場船山の塾で漢学を学ぶ。佐賀県参事会員、佐賀日日新聞社長などを歴任。 1884年(明治17年)4月から1892年(明治25年)9月まで佐賀県会議員を務めた。同年2月、第2回衆議院議員総選挙に佐賀県第2区で中央交渉部から出馬し初当選。次の第3回衆議院議員総選挙では国民協会から出馬するも落選。1899年(明治32年)9月に佐賀県会議員選挙に西松浦郡選挙区から自由派(憲政党派)所属で立候補して、当選した。