スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
平川 邦明(ひらかわ くにあき、1991年11月7日 - )… 平川 邦明(ひらかわ くにあき、1991年11月7日 - )は、サガテレビの男性アナウンサー。出身地は佐賀県伊万里市、担当番組は「かちかちPress」など。 佐賀県立伊万里高等学校、長崎大学経済学部卒業。2014年にサガテレビに入社後、「かちかちワイド」のニュースキャスターとして活躍した。その後、鶴丸英樹アナウンサーからメインキャスターの座を引き受け、現在はMCとして活躍中。
不二子(ふじこ、1980年3月5日- )は、日本の女優、ファ… 不二子(ふじこ、1980年3月5日- )は、日本の女優、ファッションモデルである。佐賀県伊万里市出身。 佐賀県立伊万里高等学校出身。 ファッション雑誌PeeWeeのモデルを経て女優に。2000年の映画『ビジターQ』でヌードシーンを演じた。一時期、研音に所属し、芸名を松尾 玲央(まつお れお)と改名した。研音退社後、芹川事務所に所属し、このとき芸名も不二子に戻した。『花と蛇2 パリ/静子』(2005)、『卍(まんじ)』(2006)での大胆な演技も話題となった。 血液型はA型。趣味は読書、水泳、写真撮影、爬虫類の愛玩など。 実妹も松尾 梨奈(まつお りな)の芸名で、短期間だがモデル活動歴があった。
中島 諭宇樹(なかしま ゆうき、本名同じ、1979年7月21… 中島 諭宇樹(なかしま ゆうき、本名同じ、1979年7月21日 - )は、佐賀県出身の日本の漫画家。 伊万里市立伊万里中学校、佐賀県立伊万里高校を経て千葉大学文学部卒業。中学、高校では美術部に所属し、高校時代は生徒会長も務めた。大学では漫画研究会に所属した。 2003年『赤マルジャンプ』2003SPRING(集英社)に掲載の「天上都市」でデビュー。同作で第8回ストーリーキング漫画部門準キング受賞。以後、雑誌『週刊少年ジャンプ』とその系列誌を中心に作品を発表している。2019年現在、アナログで作画している。千葉県千葉市在住。
瀧廣 祥子(たきひろ しょうこ、1974年7月17日-)は、… 瀧廣 祥子(たきひろ しょうこ、1974年7月17日-)は、山口朝日放送(yab)報道部記者、同局元報道制作部副部長、サガテレビの元アナウンサー。 佐賀県伊万里市出身。佐賀県立伊万里高等学校卒業。1997年3月、山口大学人文学部言語文化学科日本語文化論専攻卒業後、同年、サガテレビに入社。会社の制度上入社時から報道部に属し、アナウンス活動を行っていたが、のち記者専業に。時期は不明だが、その後サガテレビを退社。 2009年2月、大学時代を過ごした山口へ移り、yabへ記者として入社。3月30日より、『Jチャンやまぐち』でニュースを担当する。 サガテレビ入社時の身長は171cmと大柄。その高身長が入社当時地元のタウン情報誌でも“大型新人”として紹介されていた。
松尾 佳昭(まつお よしあき、1973年11月19日 - )… 松尾 佳昭(まつお よしあき、1973年11月19日 - )は、日本の政治家。元佐賀県西松浦郡有田町長(2期)、元有田町議会議員(3期)。 有田町出身。佐賀県立伊万里高等学校、福岡大学法学部を卒業した。卒業後は民間企業勤務を経て、参議院議員秘書となる。その後、再び民間企業に勤務した後、2006年に行われた有田町議会議員選挙に初当選し、3期務める。 2018年4月8日に行われた有田町長選挙に立候補し、現職の山口隆敏ら2候補を破り、初当選した。 ※当日有権者数:16,669人 最終投票率:72.84%(前回比:3.12pts) 2022年4月10日投開票の町長選で、理容業の新人候補を破り再選。 2026年4月12日投開票の町長選では3選を目指したが、元町財政課長の鷲尾佳英に敗れ落選。
門 信一郎(かど しんいちろう、1967年11月4日 - )… 門 信一郎(かど しんいちろう、1967年11月4日 - )は、日本の物理学者、工学者。京都大学エネルギー理工学研究所准教授。専門はプラズマ物理学・核融合学・プラズマ分光学・プラズマ診断法・理科教育。 佐賀県伊万里市出身。佐賀県立伊万里高等学校(同級生に松尾剛、小森陽一)を経て1992年京都大学理学部物理系卒。九州大学大学院総合理工学研究科へ進学。博士(工学)。 1997年より自然科学研究機構核融合科学研究所助手、2000年より東京大学高温プラズマ研究センター助教授/准教授、2008年より東京大学大学院工学系研究科原子力国際専攻 准教授を経て2013年より京都大学エネルギー理工学研究所准教授。文部科学省学術調査官(研究開発局)(2010-2013年度)。
松尾 剛(まつお つよし、1967年〈昭和42年〉10月27… 松尾 剛(まつお つよし、1967年〈昭和42年〉10月27日 - )は、NHK財団職員。元NHKのエグゼクティブアナウンサー。 長崎県松浦市出身、佐賀県立伊万里高等学校を経て、筑波大学を卒業後、3年間のフリーター生活や留学生活を経て、1995年に27歳で入局。 2020年度から広島放送局に所属していたが、同局の早期退職制度を利用して2023年6月末で退局した。 NHK退局後はNHK財団の放送研修センター・ことばコミュニケーションセンターに所属のアナウンス研修講師として活動し、2023年7月17日には流通経済大学新松戸キャンパスのイベント「海の日アートフェス」には、皆川玲奈(TBSテレビアナウンサー)とともに読み聞かせワークショップに講師として参加している他、東京アナウンス室の業務補完としてラジオニュースを担当することがある。
森戸 裕一(もりと ゆういち 1967年6月13日 - )は… 森戸 裕一(もりと ゆういち 1967年6月13日 - )は、日本の起業家、実業家、大学教授、自治体専門職員。ナレッジネットワーク株式会社代表取締役社長。一般社団法人日本デジタルトランスフォーメーション推進協会代表理事。一般社団法人ノーコード推進協会副代表理事。一般社団法人シェアリングエコノミー協会 。シェアリングシティ推進協議会代表。一般財団法人ネットショップ能力認定機構理事。NPO法人学生ネットワークWAN理事長。サイバー大学教授、名古屋大学客員教授、熊本大学客員教授、情報経営イノベーション専門職大学客員教授。総務省地域情報化アドバイザー。デジタル庁シェアリングエコノミー伝道師。独立行政法人中小企業基盤整備機構よろず支援拠点全国本部サポーター。
小森 陽一(こもり よういち、1967年5月4日 - )は、… 小森 陽一(こもり よういち、1967年5月4日 - )は、日本の男性小説家、漫画原作者、脚本家。 佐賀県伊万里市出身で現在は福岡市在住。A型。 佐賀県立伊万里高等学校(松尾剛と同期)を経て大阪芸術大学芸術学部映像学科卒業。東映助監督、テレビ製作会社勤務を経て作家活動を始める。 作品のテーマとして海上保安庁を取り上げることが多く、原案を提供した『海猿』は後にテレビドラマ化、実写映画化もなされた。2008年に海洋に関する創作活動の功績を讃え、第1回海洋立国推進功労者表彰を受賞した。 映像監督としても活動している。
小森 陽一(こもり よういち、1967年5月4日 - )は、… 小森 陽一(こもり よういち、1967年5月4日 - )は、日本の男性作家、漫画原作者、脚本家。
川本 和久(かわもと かずひさ、1957年12月5日 - 2… 川本 和久(かわもと かずひさ、1957年12月5日 - 2022年5月11日)は、日本の陸上競技指導者。福島大学人文社会学群人間発達文化学類教授。福島大学陸上競技部監督。東邦銀行陸上競技部監督。日本陸上競技連盟女子短距離部長。 これまで教え子たちが樹立した日本記録は、リレーなども含めて51回。日本選手権は65勝。オリンピック・世界選手権などの日本代表は26名。日本インカレでは2連勝。雉子波秀子(現二瓶)、池田久美子(現井村)、丹野麻美(現千葉)、吉田真希子、久保倉里美が日本記録を更新している。 1957年佐賀県伊万里市生まれ。1970年伊万里市立山代西小学校卒業。1973年伊万里市立山代中学校卒業。
深浦 弘信(ふかうら ひろのぶ、1956年(昭和31年)3月… 深浦 弘信(ふかうら ひろのぶ、1956年(昭和31年)3月17日 - )は、日本の政治家。佐賀県伊万里市長(2期)。 佐賀県伊万里市立花町渚に生まれる。伊万里市立大坪小学校、伊万里市立伊万里中学校、佐賀県立伊万里高等学校、九州大学経済学部卒業。伊万里市役所に入庁。伊万里情報センターの設立に参画。有志で情報誌『いっと』を創刊した。総務部情報推進課長、水道部管理課長、総務部契約監理課長、水道部長、産業部長。2016年(平成28年)3月、伊万里市役所を定年退職。 2017年(平成29年)12月20日、任期満了に伴う伊万里市長選挙に立候補する意向を表明。 2018年(平成30年)4月15日に行われた伊万里市長選挙に無所属で出馬。
金子 和斗志(かねこ かつし 、1952年3月26日 - )… 金子 和斗志(かねこ かつし 、1952年3月26日 - )は、日本の実業家。アイ・ケイ・ケイ株式会社創業者・代表取締役会長兼CEO。 佐賀県伊万里市生まれ。佐賀県立伊万里高等学校卒業。1974年家業金子興業株式会社(のちの株式会社アイ・エス)に入社。1974年取締役。1981年代表取締役。1995年九州積善社(現アイ・セレモニー株式会社)代表取締役社長。同年アイ・ケイ・ケイ設立、同社代表取締役社長。2000年九州初のハウスウェディング施設を鳥栖市で開業。2012年アイケア株式会社取締役。2015年経済産業省おもてなし経営企業選出。2017年PT INTERNATIONAL KANSHA KANDOU INDONESIA 取締役、株式会社力の源ホールディングス社外取締役。
塚部 芳和(つかべ よしかず、1949年(昭和24年)12月… 塚部 芳和(つかべ よしかず、1949年(昭和24年)12月29日 - )は、日本の政治家。元佐賀県伊万里市長(4期)。 佐賀県伊万里市出身。佐賀県立伊万里高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、佐賀大学農学部農業土木科卒業。同年4月、伊万里市役所に入所。建設部副部長などを務めたのち、2001年(平成13年)10月5日、退職。 2002年(平成14年)4月21日に行われた伊万里市長選挙に無所属で立候補。現職の川本明市長を破り初当選(塚部:17,976票、川本:15,067票)。4月27日、市長就任。 2006年(平成18年)の市長選で2選(無投票)。2010年(平成22年)の市長選で3選。2014年(平成26年)の市長選で4選(無投票)。
渡辺 博敏(わたなべ ひろとし、1948年11月23日 - … 渡辺 博敏(わたなべ ひろとし、1948年11月23日 - )は、佐賀県出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 伊万里高校から日本大学へ進学。大学卒業後は一度野球から離れ教職に就いた。 しかしプロ野球への夢を捨てきれず、当時福岡を本拠地としていた西鉄ライオンズの入団テストを受験し合格。1970年のドラフト外で西鉄ライオンズへ入団する。 西鉄では出場の機会はなく、1972年オフに金銭トレードで阪神タイガースへ移籍。移籍後、1974年に一軍初登板。1976年オフに現役を引退した。サイドスローからの癖球を武器としていた。 引退後は運動用品メーカーに勤務していた。1999年には、国際協力機構の知人を通じてアフリカのガーナで野球指導を行っている。
岡部 耕大(おかべ こうだい、1945年〈昭和20年〉4月8… 岡部 耕大(おかべ こうだい、1945年〈昭和20年〉4月8日 - 2023年〈令和5年〉8月25日)は、日本の劇作家。日本ペンクラブ会員。日本劇作家協会顧問。 長崎県松浦市出身。佐賀県立伊万里高等学校卒業、東海大学文学部広報学科中退。
藤本 典征(ふじもと のりゆき、1944年7月29日 - )… 藤本 典征(ふじもと のりゆき、1944年7月29日 - )は、日本のプロ野球選手、審判員。元パシフィック・リーグ審判部長。 佐賀県出身。佐賀県立伊万里高等学校卒業後、1963年に投手として広島カープに入団も、肩を痛め一軍出場はなし。引退後、晃商事を経て1969年パ・リーグ審判部に入局。審判員袖番号は24(1977年初採用から。指導員に転じた2002年以降もつけていたが専任となった2003年から返上し以降空き番。)。1978年、34歳にして日本シリーズ初出場を果たすと、以降1978年から1988年まで11年連続日本シリーズ出場と、シリーズの常連審判となった。1998年から2001年まで審判部長を務め、通算3242試合出場、オールスター7回出場(1976年、1977年、1981年、1985年、1989年、1997年、1998年。
岩永 浩美(いわなが ひろみ、男性、1942年6月17日 -… 岩永 浩美(いわなが ひろみ、男性、1942年6月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。参議院議員(3期)、参議院農林水産委員会委員長、農林水産副大臣(第1次安倍改造内閣、福田康夫内閣)、佐賀県議会議員(6期)などを歴任。 佐賀県西松浦郡西有田町(現有田町)出身。佐賀県立伊万里高校を経て1964年中央大学商学部中退。1967年衆議院議員第一秘書となる。1975年、佐賀県議会議員当選。以後連続6期20年務める。1995年には佐賀県議会議長に就任。 1995年11月、参議院議員補欠選挙に自由民主党公認で佐賀県選挙区より立候補し初当選、以後連続3期15年務める。 2005年8月8日の郵政国会では、郵政民営化法案に反対票を投じた。
14代目 酒井田 柿右衛門(さかいだ かきえもん、1934年… 14代目 酒井田 柿右衛門(さかいだ かきえもん、1934年8月26日 - 2013年6月15日)は、有田焼を代表する陶芸家で、“酒井田柿右衛門”の14代襲名者。本名:酒井田 柿右衛門、改名前-正(まさし)。 佐賀県西松浦郡有田町で、13代目の息子として生まれる。 佐賀県立伊万里高等学校では祖父・12代柿右衛門の勧めで美術部に所属。絵付けの基礎となる部分を会得するため多摩美術大学日本画科で日本画を学び、卒業後帰郷して父親に弟子入りする。下積みを重ね父と祖父(先々代)が蘇らせた“濁手”()の技法なども学んでいく。1971年、改名前の本名の酒井田 正()名義で日本工芸会会員となり、この後のほぼ10年は本名で公募展や個展に出品した。