安部 大晴 (あべ たいせい、2004年6月7日 - ) は… 安部 大晴 (あべ たいせい、2004年6月7日 - ) は、長崎県長崎市出身のサッカー選手。スイス・スーパーリーグ・FCルツェルン所属。ポジションはミッドフィルダー。 V・ファーレン長崎のアカデミー出身。U-18チームに所属していた2020年8月、2種登録選手としてトップチームに登録された。2021年も引き続き2種登録選手としてトップチームに帯同。2021年5月29日、J2第16節のレノファ山口FC戦でJリーグデビューを果たした。 2022年1月6日、プロ契約締結が発表された。これにより長崎県内初の「現役高校生Jリーガー」となった。 2023年、開幕スタメンに選ばれるなど自身最多の17試合に出場。
鍬先 祐弥(くわさき ゆうや、1998年5月15日 - )は… 鍬先 祐弥(くわさき ゆうや、1998年5月15日 - )は、長崎県長崎市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ヴィッセル神戸所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 長崎南山中学では2013年に岐阜で開催された全国中学校サッカー大会に出場した。東福岡高校では2年次と3年次に全国高等学校サッカー選手権大会に出場。2大会連続で大会優秀選手に選ばれている。また第94回大会後に日本高校サッカー選抜メンバーに選出され、デュッセルドルフ国際ユースサッカー大会に参加した。 高校卒業後は早稲田大学に進学(同期に山田晃士、阿部隼人)。2018年8月にはイタリア遠征を行う全日本大学選抜のメンバーに選出された。またこの年の関東大学サッカーリーグ1部ではチームとして3年ぶりの優勝を果たした。
鹿山 拓真(しかやま たくま、1996年5月26日 - )は… 鹿山 拓真(しかやま たくま、1996年5月26日 - )は、長崎県長崎市出身の元サッカー選手。ポジションは、ディフェンダー(DF)。 小榊サッカースポーツ少年団、長崎南山中学校、長崎南山高校を経て、東海学園大学へ進学。大学3年次の2018年3月7日、2019年からV・ファーレン長崎へ加入することで仮契約し、同月29日に特別指定選手に承認され、長崎に選手登録された。同年4月4日のルヴァンカップ・グループステージ第3節サガン鳥栖戦で、公式戦初出場・初得点を記録した。 2021年7月24日、カターレ富山へ期限付き移籍。シーズン終了後に富山へ完全移籍。 2022年11月28日、現役引退を発表。 2021年2月5日に一般女性と結婚した。
為田 大貴(ためだ ひろたか、1993年8月24日 - )は… 為田 大貴(ためだ ひろたか、1993年8月24日 - )は、長崎県長崎市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ジュビロ磐田所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。 中学校時代までを出身地の長崎県で過ごした後、大分トリニータU-18に入団(同期は後藤優介、茂平)。 高校2年次の2010年、トップチームに2種登録選手として登録され、天皇杯2回戦のホンダロックSC戦にて、大分では最年少(当時)となる17歳12日での公式戦デビューを果たした。 2011年も引き続き2種登録としてトップに在籍。同年10月14日、2012シーズンからのトップチーム昇格内定が発表された。 トップ昇格した2012年はボランチ、2013年は右ウイングバックでも起用されるなど様々なポジションでプレーしていた。
柴田 隆太朗(しばた りゅうたろう、1992年11月25日 … 柴田 隆太朗(しばた りゅうたろう、1992年11月25日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。 長崎県長崎市出身。日本代表の吉田麻也と同郷で、4歳年上の吉田とは小学生の時に同じチームに所属していた。なお、サッカーを始めたきっかけは、「サッカー部に入ればハムスターを飼ってくれると父に言われたから野球ではなくサッカーを選んだ」というエピソードをスカパー!のインタビューで明かしている。 国見中学校、国見高校を経て、拓殖大学へ進学。在学中の2013年3月、栃木SCの特別指定選手に承認されたが、直後に右膝を痛めて離脱し、1年以上満足に練習できない状態が続いた。
圍 謙太朗(かこい けんたろう、1991年4月23日 - )… 圍 謙太朗(かこい けんたろう、1991年4月23日 - )は、長崎県長崎市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・京都サンガF.C.所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 10歳のときにサッカーを始める。トレセンで指導を受けた澤村公康を慕って長崎から熊本県大津に転校。しかし大津高校在学時は、度重なる怪我や急激に身長が伸びたことで身体のバランスが崩れたために十分なプレーができず第3GKだった。 田中慎太郎(元FC岐阜)に見込まれて、2010年に桃山学院大学へ進学。長い手足を柔軟に使いこなせるようになったことで1年時から関西学生リーグ1部で先発出場を続け、同年の新人賞を獲得した。恵まれた体格と能力に経験が加わったことで頭角を現し、2年時にはリーグ最小失点での優勝に貢献。
山村 和也(やまむら かずや、1989年12月2日 - )は… 山村 和也(やまむら かずや、1989年12月2日 - )は、長崎県長崎市出身のプロサッカー選手。ウロンゴン・ウルブスFC所属。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ、トップ下)、ディフェンダー(センターバック)。元日本代表。 長崎市立桜が丘小学校3年でサッカーを始め、小学校6年時には全日本少年サッカー大会全国大会出場、国見中学校ではフォワード・ミッドフィールダーでプレーし、長崎県立国見高等学校入学後にディフェンダーへ転向した。高校2年時に第85回全国高等学校サッカー選手権大会に出場も1回戦敗退。高校3年時にU-18日本代表候補に選出されたのを皮切りに各年代の日本代表に選出される。 高校卒業後は流通経済大学へ進学し、2年時にはアジアカップカタール大会予選のイエメン戦で、福岡大学の永井謙佑とともに大学生としては18年ぶりのA代表に選出され、米本拓司とのダブルボランチとして先発出場。
吉田 麻也(よしだ まや、1988年8月24日 - )は、長… 吉田 麻也(よしだ まや、1988年8月24日 - )は、長崎県長崎市出身のサッカー選手。メジャーリーグサッカー・ロサンゼルス・ギャラクシー所属。ポジションはディフェンダー(CB)。元日本代表。日本プロサッカー選手会会長。ロンドンのSamurai FC校長。 FIFAワールドカップ日本代表メンバー(2014年、2018年、2022年)。オリンピックには3度選出され(2008年、2012年、2020年)、計13試合に出場。この出場数はオリンピックサッカー史上最多記録タイである。 3人兄弟の末っ子として生まれる。「麻のように揉まれれば揉まれるほど強い男になってほしい」という両親の想いで「麻也」と名付けられたともされるが、吉田本人も正確な由来は把握していない。
兵藤 慎剛(ひょうどう しんごう、1985年7月29日 - … 兵藤 慎剛(ひょうどう しんごう、1985年7月29日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 私立海星中学に入学し、中学1年ながらレギュラーに定着。小学校時代から特筆すべきサッカーの技術を発揮していた。13歳ながらリフティングは体力がなくなるまでできたという。長崎県の名門国見高校では2年時にレギュラーに定着し、全日本ユース選手権制覇、3年時にはインターハイ、高校選手権を制覇し、高校サッカー部の三大タイトルを全て獲得した。高校時代の同期に平山相太、中村北斗らがいる。また、3年時の8月には平山らとともに、一年代上のU-20日本代表候補トレーニングキャンプに招集された経歴も持つ。
加納 慎二郎(かのう しんじろう、1981年6月25日 - … 加納 慎二郎(かのう しんじろう、1981年6月25日 - )は、長崎県出身のサッカー選手でポジションはMF。
矢野 由治(やの よしはる、1969年5月18日 - )は、… 矢野 由治(やの よしはる、1969年5月18日 - )は、長崎県長崎市出身のサッカー指導者。 1989年に早稲田大学へ進学。ア式蹴球部に所属し、3年時からは関塚隆の下でプレー。同大学大学院へ進学し、在学中からフィジカルコーチを務めるようになった。大学院修了後にはブランメル仙台で指導。 1997年に東京ガスフットボールクラブ(後にFC東京)のフィジカルコーチに就任。10年間に渡って同クラブでの選手強化に尽力した。2007年限りで退任。 2006年からは、反町康治監督の下でU-23日本代表のフィジカルコーチを務め、北京オリンピックに参加した。 2009年、川崎フロンターレ監督の関塚に指名され同クラブのフィジカルコーチに就任し、2012年限りで退任。
森保 一(もりやす はじめ、1968年8月23日 - )は、… 森保 一(もりやす はじめ、1968年8月23日 - )は、静岡県掛川市生まれ、長崎県長崎市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。日本代表監督。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。 静岡県掛川市で生まれたが、父親が造船関係者だったため、幼少期から名古屋市、横須賀市、佐賀県唐津市と各地を転居し、唐津市立鏡山小学校に入学するもすぐに転居。小学1年生から長崎市に定住する。自身では「長崎生まれ広島育ち」を自称する。 サッカーを本格的に始めたのは小学6年生の時で、それまでは少年野球をしており、プロ野球選手になることが夢だった。小学6年のサッカークラブチーム「土井首SSS(土井首サッカースポーツ少年団)」時代に第4回全日本少年サッカー大会にGKとして出場している。
松田 浩(まつだ ひろし、1960年9月2日 - )は、長崎… 松田 浩(まつだ ひろし、1960年9月2日 - )は、長崎県長崎市出身の元サッカー選手、サッカー指導者(S級指導者ライセンス所持)。 高校時代は長崎県立長崎北高等学校でプレーする。ちなみに小林伸二(長崎県立島原商業高等学校卒)は同県出身の同い年である。 筑波大学時代の1年後輩に風間八宏・鈴木淳・望月一頼、2年後輩に小野剛がいる。交換留学の1期生としてブラジルにサッカー留学も経験した。1984年に望月らとともにマツダへ入社した。 マツダSC(現 サンフレッチェ広島F.C)に入団、当初は恵まれた体格からFWとして起用されていたが、コーチにハンス・オフトが就任するとCBに固定される。その後は信藤克義(信藤健仁)とコンビを組み、1987年天皇杯決勝進出、1989年-1990年のJSL2部ベスト11、2度のJSL1部昇格を経験した。