對馬洋 勝満(つしまなだ まさみつ、1993年6月27日 -… 對馬洋 勝満(つしまなだ まさみつ、1993年6月27日 - )は、長崎県諫早市出身で、境川部屋所属の現役大相撲力士。本名は梅野 勝満(うめの まさみつ)。身長185.0cm、体重143.0kg、血液型はA型。最高位は東十両9枚目(2023年3月場所)。 諫早市立湯江小学校4年次に、地元の相撲道場(両国少年相撲クラブ)で相撲を始めた。諫早市立高来中学校時代はバスケットボール部に所属したが、部活引退後に相撲の大会に出場したところ、勝ち進んで全中に出場したことで高校の相撲部から勧誘され、諫早農業高校農業土木科に進学した。同校在学中は、高校総体や国体少年の部に出場した経験を持つ。日本大学文理学部体育学科に進学し相撲部へ入部すると、1年次に東日本学生相撲個人体重別選手権大会100kg未満級優勝、2年次に東日本学生相撲競技会優勝、3年次に東日本学生相撲個人体重別選手権大会115kg未満級優勝の実績を残した。
諫誠 章道(かんせい あきみち、1989年8月25日 - )… 諫誠 章道(かんせい あきみち、1989年8月25日 - )は、長崎県諫早市出身で境川部屋に所属した元大相撲力士。本名は三木 章道(みき あきみち)。現役時代の体格は身長183cm、体重173.7kg、血液型はA型。最高位は東幕下3枚目(2014年1月場所)。 憧れの力士は同部屋の豊響であり、「一気に持っていく相撲を取りたい。」と話している。 相撲を始めたのは長崎県雲仙市立南串第二小学校の1年生の時であり、両親と共によく食事に行っていた近所のちゃんこ屋の主人の勧めで長崎県立諫早農業高等学校の相撲道場に通うことになった。一方で小学4年生からは空手を始めた。わんぱく相撲では5年、6年時に全国大会へ出場した経験を持つ。
嗣子鵬 慶昌(ししほう よしまさ、1955年(昭和30年)8… 嗣子鵬 慶昌(ししほう よしまさ、1955年(昭和30年)8月14日 - 2006年(平成18年)10月7日)は、長崎県北高来郡森山町(現在の諫早市)大字森山慶師野名出身で大鵬部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は田中 修(たなか おさむ)。現役時代の体格は190cm、122kg。最高位は西前頭2枚目(1983年(昭和58年)7月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 横綱・大鵬の内弟子として森山町立森山中学校卒業直前に二所ノ関部屋へ入門し、1971年(昭和46年)1月場所にて、15歳で初土俵を踏んだ。翌年1月には、引退後「一代年寄」となった大鵬親方が二所ノ関部屋から分家独立したのに伴い、大鵬部屋へ移籍。
福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - … 福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - 没年不明 )は、長崎県諫早市川床町出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は福田 幸雄(ふくだ ゆきお)。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭4枚目(1961年7月場所)。現役時代の体格は181cm、94kg。 少年時代は大変な悪童として地元でもよく知られ、諫早農業高校を濡れ衣の暴力事件絡みで中退後は、福岡市でトヨタ自動車の見習工として働いていた。だが、ほどなく退職。 その後、「相撲取りになってはどうか」と、父の知人から出羽海部屋付きの待乳山親方(元関脇・両國)を紹介された。 1949年春、上京して出羽海部屋に入門し、同年5月場所で初土俵。
両國 梶之助(りょうごく かじのすけ、1874年3月25日 … 両國 梶之助(りょうごく かじのすけ、1874年3月25日 - 1949年1月11日)は、長崎県北高来郡(現:長崎県諫早市)出身の元大相撲力士。本名は古川 九八(ふるかわ きゅうはち)。 1874年(明治7年)3月25日に長崎県北高来郡(現・諫早市)で農家を営む家に生まれる。家業に従事しながら土地相撲では「若木野」という四股名で活躍したが、顔役の楠という人物に才能を見出されて不知火部屋(大坂相撲)へ連れて行かれた。しかし、ここでは入門を快諾してもらえなかったことから時津風部屋(大坂相撲)へ入門したが、入門後は順調に出世したことで不知火に懇望され、不知火部屋に転属した。四股名は本名から取った「九(いちじく)」で、後に「一軸(読みは同じ)」、「國岩」と改めて活躍した。