スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
中村 優斗(なかむら ゆうと、2003年2月8日 - )は、… 中村 優斗(なかむら ゆうと、2003年2月8日 - )は、長崎県諫早市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 諫早市立長田小学校で2年生の時に野球を始め、諫早市立長田中学校では軟式野球部に所属していた。 「県庁で働いて地元に貢献したい」という思いから、公務員への就職実績が高かった長崎県立諫早農業高等学校へ進学。1年秋からエースを務めた。3年夏は新型コロナウイルスの影響で公式戦が中止となり、県で行われた独自大会では初戦敗退。思うような形で高校野球を終えられず、公務員よりも野球への思いが強くなった。 愛知工業大学監督を務める元プロ野球選手の平井光親に見出されて同校に進学し、1年春から先発を任された。
山本 凌雅(やまもと りょうま、1995年7月14日 - )… 山本 凌雅(やまもと りょうま、1995年7月14日 - )は、長崎県諫早市出身の陸上競技選手。専門は三段跳で16m87(日本歴代6位)の自己ベストを持つ。U20室内日本記録保持者、日本高校記録保持者。2017年ロンドン世界選手権の日本代表。JAL所属。 長崎県諫早市出身。血液型はA型。 小さい頃からボール遊びが好きで、弟とよくキャッチボールをしていたこともあり将来の夢は野球選手だったが、小学4年生の時に友達と一緒に入った野球チームは1年でやめてしまった。陸上競技は小学校6年生の時に、学校の先生から誘われて明峰ジュニア陸上クラブに入って始めると、校内一の俊足を生かし、100m、ハードル、走幅跳、走高跳など色んな種目に取り組んだ。
伊東 力(いとう ちから、1990年1月11日 - )は、元… 伊東 力(いとう ちから、1990年1月11日 - )は、元ラグビーユニオンの選手。2023-24シーズンまでジャパンラグビーリーグワン静岡ブルーレヴズに所属した。 長崎中央ラグビースクールでラグビーを始めた。 2008年、諫早農業高校卒業後、龍谷大学に入学する。 2011年、龍谷大学ラグビー部の主将に就任した。 2012年、龍谷大学卒業後にトライアウトを受け、ヤマハ発動機ジュビロ(現・静岡ブルーレヴズ)に加入。 2013年8月31日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節のクボタスピアーズ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2017年4月22日に行われたアジアラグビーチャンピオンシップ2017韓国戦にて途中出場で日本代表初キャップを獲得した。
諫誠 章道(かんせい あきみち、1989年8月25日 - )… 諫誠 章道(かんせい あきみち、1989年8月25日 - )は、長崎県諫早市出身で境川部屋に所属した元大相撲力士。本名は三木 章道(みき あきみち)。現役時代の体格は身長183cm、体重173.7kg、血液型はA型。最高位は東幕下3枚目(2014年1月場所)。 憧れの力士は同部屋の豊響であり、「一気に持っていく相撲を取りたい。」と話している。 相撲を始めたのは長崎県雲仙市立南串第二小学校の1年生の時であり、両親と共によく食事に行っていた近所のちゃんこ屋の主人の勧めで長崎県立諫早農業高等学校の相撲道場に通うことになった。一方で小学4年生からは空手を始めた。わんぱく相撲では5年、6年時に全国大会へ出場した経験を持つ。
池田 圭治(いけだ けいじ、1987年1月11日 - )は、… 池田 圭治(いけだ けいじ、1987年1月11日 - )は、日本の元ラグビー選手。 2005年、諫早農業高校卒業後、福岡工業大学に入る。 2009年、福岡工業大学卒業後、九州電力キューデンヴォルテクスに加入。 2011年9月10日に行われたトップキュウシュウA第6節の三菱重工長崎戦に先発出場で公式戦初出場を果たした。 2023年、現役を引退した。
政風 基嗣(まさかぜ もとつぐ、1983年4月28日 - )… 政風 基嗣(まさかぜ もとつぐ、1983年4月28日 - )は、長崎県長崎市出身で尾車部屋所属の現役大相撲力士。本名は北園基嗣(きたぞの - )。身長183cm、体重191kg。得意技は右四つ、寄り。最高位は東十両12枚目(2012年5月場所)。好物は肉類。嫌いなものは魚介類。趣味は音楽鑑賞(特に洋楽)。
時津海 正博(ときつうみ まさひろ、1973年11月8日 -… 時津海 正博(ときつうみ まさひろ、1973年11月8日 - )は、長崎県福江市(現・五島市)の出身で時津風部屋所属の元大相撲力士。本名は坂本 正博(さかもと まさひろ)。東京農業大学卒業。最高位は東前頭3枚目(2001年11月場所)。身長184cm、体重137kg。得意手は右四つ・寄り。趣味は釣り。現在は年寄・時津風、血液型はA型、星座は蠍座。
両国 梶之助(りょうごく かじのすけ、1962年7月30日 … 両国 梶之助(りょうごく かじのすけ、1962年7月30日 - )は、長崎県長崎市出身の元大相撲力士。本名は小林 秀昭(こばやし ひであき)。出羽海部屋伝統の四股名である両國(兩國)梶之助を襲名した者は9人存在するが新字体の両国表記のみの者は当人だけである。学生相撲の経験を有する影響で、両国梶之助 (小林)とも表記される場合がある。現在は年寄・境川(13代)として境川部屋師匠を務めている。
瀬川 光之(せがわ みつゆき、1962年〈昭和37年〉3月3… 瀬川 光之(せがわ みつゆき、1962年〈昭和37年〉3月3日 - )は、日本の政治家、長崎県西海市長(1期)。長崎県議会議員(6期)、西彼町議会議員(4期)を務めた。 長崎県立諫早農業高等学校卒業。卒業後は農業に従事し、青年団で活動。西彼町議会議員を4期務め、2003年長崎県議会議員に初当選。6期務める。県議会では総務常任委員会委員長、文教厚生常任委員会委員長、議会運営委員長を務める。2019年長崎県議会議長に就任。議会内では自由民主党会派に所属し、長崎県連政務調査会長、幹事長、県連副会長を歴任した。 2021年9月18日、自民党長崎県連は同年に予定される第49回衆議院議員総選挙長崎4区において、現職の北村誠吾ではなく瀬川を公認候補として党本部に推薦することを決定。
阿修羅・原(あしゅら・はら、本名:原 進 / はら すすむ、… 阿修羅・原(あしゅら・はら、本名:原 進 / はら すすむ、1947年1月8日 - 2015年4月28日)は、日本のプロレスラー。長崎県北高来郡森山町(現・諫早市)出身。ラグビーの日本代表を経てプロレスに転向し、国際プロレスや全日本プロレスで活躍していた。 中学時代は柔道、諫早農業高校では当初は相撲に打ち込んでいたが、高校2年にラグビーに転向。この時からラグビー選手として頭角を現した。高校卒業後に上京し東洋大学を経て、拠点を東京から一旦大阪に移して1969年に近畿日本鉄道(近鉄)に入社。近鉄では入社数年後に駅係員として勤務していた実績がある。また、入社と同時に近鉄ラグビー部に所属した。 近鉄時代の1970年に日本代表に選出され、同年3月22日の秩父宮ラグビー場におけるブリティッシュ・コロンビア州代表戦でNO8として初キャップを獲得した。
横田 哲治(よこた てつじ、1941年- )は、国際マーチャ… 横田 哲治(よこた てつじ、1941年- )は、国際マーチャンダイジング研究所代表、農政・食生活ジャーナリスト、ノンフィクション作家。 1941年、中国・上海生まれ。戦後、上海より帰国し長崎県の開拓地に入植した父のもとで農業に従事しながら少年期を過ごす。長崎県立諫早農業高等学校卒業。その経験から農業者の視点での発言の必要性を感じ、農政ジャーナリストに転じた。 栃木県立農業者大学校、宇都宮大学教育学部の講師を経て、現在はFSN代表、国際マーチャンダイジング研究所代表。客員待遇で近畿大学農学部、慶應義塾大学総合政策学部で非常勤講師を務める。国際農業ジャーナリスト連盟(IFAJ)正会員。 1984年に出版した『明日の農業を求めて-自立をめざす青年たち-』など多数の著書がある。
福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - … 福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - 没年不明 )は、長崎県諫早市川床町出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は福田 幸雄(ふくだ ゆきお)。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭4枚目(1961年7月場所)。現役時代の体格は181cm、94kg。 少年時代は大変な悪童として地元でもよく知られ、諫早農業高校を濡れ衣の暴力事件絡みで中退後は、福岡市でトヨタ自動車の見習工として働いていた。だが、ほどなく退職。 その後、「相撲取りになってはどうか」と、父の知人から出羽海部屋付きの待乳山親方(元関脇・両國)を紹介された。 1949年春、上京して出羽海部屋に入門し、同年5月場所で初土俵。
中村 禎二(なかむら ていじ、1903年(明治36年)2月9… 中村 禎二(なかむら ていじ、1903年(明治36年)2月9日 - 1991年(平成3年)6月9日)は、昭和期の農業技術者、政治家。参議院議員(2期)、長崎県議会議長。 長崎県西彼杵郡時津村(現時津町)で生まれる。1923年(大正12年)長崎県立農学校(現長崎県立諫早農業高等学校)を卒業した。 小学校教員、農業技術員を務めた。長崎県議会議員に選出され5期在任し、同議長も務めた。また、自由民主党長崎県連総務会長、同幹事長などを歴任した。 1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙に長崎県地方区から自民党公認で出馬して初当選し、1977年(昭和52年)7月の第11回通常選挙でも再選され、参議院議員を連続2期務めた。