3代 木村 光之助(さんだい きむら みつのすけ、1975年… 3代 木村 光之助(さんだい きむら みつのすけ、1975年(昭和50年)12月30日 - )は、大相撲の幕内格行司である。本名は川原 誠(かわはら まこと)。二子山部屋→花籠部屋→峰崎部屋→高田川部屋所属。血液型はA型。 長崎県雲仙市吾妻町出身。元関脇の太寿山忠明(15代花籠親方)と遠縁の親戚であったことから「床山にならないか」と誘われ、太寿山が当時所属していた二子山部屋に入門。 入門当初、日本相撲協会所属の床山の定員が満杯であったため、枠に空きが出るのを待ちながら当時の二子山部屋師匠だった初代若乃花幹士(10代二子山)の小間使などをしていたが、NHK BSの相撲中継で行司のかっこ良さに憧れるようになり、その時に行司の定員枠に空きが出来たことから行司になることを決めて太寿山の花籠親方に申し出て行司として協会構成員になった。
西郷 市之助(さいごう いちのすけ、1869年5月15日(明… 西郷 市之助(さいごう いちのすけ、1869年5月15日(明治2年4月4日)- 1944年7月17日)は、長崎県南高来郡西郷村(のち瑞穂村→瑞穂町、現・雲仙市)出身で伊勢ノ海部屋に所属した明治時代の元大相撲力士。本名は森崎 常太郎。年寄3代陸奥。175cm、100kg前後。 伊勢ノ海部屋に入門し、1894年5月序ノ口。1895年1月序二段、1896年5月三段目、1897年5月幕下と順調に昇進し、その後病気により一時低迷するが、1901年5月新十両。連続15場所十両を務め、十両筆頭まで進むも入幕はならず、1909年1月幕下に陥落し引退。年寄陸奥となる。 立派な体格で、力量もあり、鳳凰などの薫陶を受けたが、小心のため土俵で不覚をとることが多く、幕内に昇進できなかった。
玉垣 額之助(たまがき がくのすけ、1784年(天明4年) … 玉垣 額之助(たまがき がくのすけ、1784年(天明4年) - 1824年8月28日(文政7年8月5日))は、肥前国高来郡(現:長崎県雲仙市)出身の元大相撲力士。本名は田中 喜作(たなか きさく)(旧姓:岡田)。 最高位は西大関。 1784年(天明4年)に肥前国高来郡(現:長崎県雲仙市)で生まれる。当初は大坂相撲に加入していたが、後に江戸相撲・玉垣部屋へ移籍している。初土俵から間もない幕下二段目の時に徳島藩が抱え力士としようとするが、「阿波の稲は 島原の梁(よい米)に如かず」として拒否、これに感激した島原藩主・松平忠憑から1813年に徒士として召し抱えられた。 柏戸利助の良き好敵手で、当時の川柳には「(玉)垣と(柏)戸を 西と東の関に据え」「玉垣も 柏(戸)も地から 生えたよう」とあるように、東西の大関に玉垣と柏戸が並び、両者とも重い腰で熱戦を繰り広げ、なかなか土俵を割らない様子が歌われている。