久々山 義人(くぐやま よしと、1924年(大正13年)2月… 久々山 義人(くぐやま よしと、1924年(大正13年)2月9日 - 2013年(平成25年)10月11日)は、日本の政治家。熊本県本渡市(現・天草市)長。 熊本県天草郡櫨宇土村出身。1944年、海軍経理学校卒。1952年、櫨宇土村教育委員となり、1954年に合併で本渡市になるまで務める。1957年、本渡市議会議員に当選。7期連続で務め、議長も務めた。1984年、本渡市長に当選、市長を4期務める。2000年に市長を退任した。2013年死去。
吉田 重延(よしだ しげのぶ、1909年2月14日 - 19… 吉田 重延(よしだ しげのぶ、1909年2月14日 - 1989年8月7日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員。岳父は中野猛雄。 熊本県天草郡栖本村(現・天草市)の農家に生まれる。東京帝国大学農学部農学実科(実科は1935年に東京高等農林学校として独立、現・東京農工大学)を卒業後は帰郷し農作業に従事する。その後熊本県職員、栖本村長を経て、1953年の第26回衆議院議員総選挙に旧熊本2区から自由党公認で立候補し初当選する。以後連続7回当選。 自民党では宏池会に所属する。自治政務次官、衆院大蔵委員長等を歴任。1972年にはリベリアのウィリアム・R・トルバート新大統領の就任式典に政府特使として派遣された。
渡辺 国重(渡邊、渡邉 國重、わたなべ くにしげ、1871年… 渡辺 国重(渡邊、渡邉 國重、わたなべ くにしげ、1871年9月15日(明治4年8月1日)- 1950年(昭和25年)3月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 熊本県天草郡、のちの亀場村(本渡市を経て現天草市)出身。小学校教員、台湾総督府雇、同鳳山県属、台北庁税務課長、台湾採脳拓殖(資)支配人、新竹製脳(株)取締役、高砂製糖(株)専務取締役を経て、台湾興業(株)社長、台湾肥料(株)監査役、日本電報通信社取締役となる。また、マレー半島ジョホール王国にてゴムを栽培し、南洋拓殖公司を経営した。 1912年の第11回衆議院議員総選挙において熊本県郡部から中央倶楽部公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、その後は立憲同志会に入り、1915年の第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
小崎 義明(こざき よしあき、1846年9月2日(弘化3年7… 小崎 義明(こざき よしあき、1846年9月2日(弘化3年7月12日)- 1904年(明治37年)4月20日)は、明治期の地主、政治家。衆議院議員。幼名・律五郎、のちに清、義明。号・篠州(じょうしゅう)。 肥後国天草郡大浦村(熊本県天草郡大浦村、有明村、有明町を経て現天草市有明町)で、大庄屋・小崎武一郎重謙(しげかね)、清の息子として生まれる。漢籍を値賀盛純、高尾道一郎に、書を城野静軒に学び、広瀬淡窓の咸宜園にも入塾した。 1858(安政5年2月)職務見習勤務を命ぜられ、1864年(文久3年12月)父の死去に伴い天草郡栖本組大庄屋を世襲した。1865年(慶応元年)九品寺閻魔堂に寺子屋を開設。1869年11月(明治2年10月)から1870年1月(明治2年12月)まで長崎県掌郡方刑法掛勤務を務めた。
中西 新作(なかにし しんさく、1841年5月9日(天保11… 中西 新作(なかにし しんさく、1841年5月9日(天保11年4月8日) - 1911年(明治44年)11月17日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 肥後国天草郡宮地岳村(熊本県天草郡宮地岳村、本渡市を経て現天草市宮地岳町)出身。漢学を学ぶ。庄屋の家に生まれ、跡を継いだ。大阪府に出仕し、司法省に転じる。のち帰郷し、熊本裁判所判事補、宮地岳村長、同村会議員、天草郡連合町村会議員、熊本県会議員、所得税調査委員、天草郡会議員となる。 1898年8月の第6回衆議院議員総選挙において熊本6区から憲政党公認で立候補して落選。1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1903年の第8回衆議院議員総選挙において熊本県郡部から無所属で立候補して初当選。