古田 徳昌(ふるた のりまさ、1928年3月27日 - 20… 古田 徳昌(ふるた のりまさ、1928年3月27日 - 2019年9月9日)は、日本の通商産業官僚。通商産業省貿易局長を最後に退官後、電源開発理事等を経て、マツダ第7代社長に就任。 大分県宇佐市出身。実兄は珉珉創業者であり日本画家の古田安夫。中津商業学校(現大分県立中津東高等学校)、大分経済専門学校(現大分大学経済学部)を経て、東京大学経済学部卒業。 1952年(昭和27年)、通商産業省入省。同期には杉山和男(通産省事務次官)、並木信義(名古屋市大教授)、小松国男(通産審議官)、小島英敏(経企次官)、谷村昭一(経企次官、日商専務理事)、服部典徳(工業技術院総務部長)、倉部行雄(防衛庁装備局長)、平林勉(官房審議官)などがいる。
永松 為治郎(ながまつ ためじろう、1865年 (慶応元年)… 永松 為治郎(ながまつ ためじろう、1865年 (慶応元年) - 1939年 (昭和14年) )は、日本の実業家、官僚。 1865年、豊前国宇佐郡、のちの大分県宇佐郡駅館村に生まれる。 1886年、熊本県庁に奉職。1897年、大蔵省煙草専売局に入省。専売支局長に任じられた後、大蔵省本局勤務となる。その後退官し、実業界へ転ずる。 1907年、大日本共同運輸会社 (同社発起人に日比谷平左衛門、平沼専蔵、村井吉兵衛、福澤桃介) 専務取締役に就任。 1913年、ラサ島燐礦 (現ラサ工業) の創立とともに監査役に就任。また当時、精製糖におけるシェア第2位の名古屋製糖取締役、第5位の横濱製糖 (現DM三井製糖ホールディングス) 支配人も務めた。
横田 国臣(よこた くにおみ、嘉永3年8月9日(1850年9… 横田 国臣(よこた くにおみ、嘉永3年8月9日(1850年9月14日) - 1923年(大正12年)2月24日)は、明治・大正時代の司法官僚、法律家。法学博士。司法次官、検事総長、大審院院長(現在の最高裁判所長官)等を歴任。法典調査会第三部長(刑法起草責任者)。和仏法律学校(現在の法政大学)校長。位階勲等は正二位勲一等。爵位は男爵。 肥前島原藩士・横田宗雄の長男として豊前国宇佐郡辻村(現在の大分県宇佐市)に生まれる。1865年、日田の咸宜園に入塾し、漢学などの各種学問を学ぶが、同期に清浦奎吾(後の内閣総理大臣)がおり親友となった。横田は清浦の力添えも得ながら出世していくことになる。 中津市学校を経て、1872年に上京し数え年23歳で慶應義塾(現在の慶應義塾大学)に入学し、1873年に清浦の斡旋で埼玉県の師範学校教諭となった。
山中 幸義(やまなか ゆきよし、1849年3月12日(嘉永2… 山中 幸義(やまなか ゆきよし、1849年3月12日(嘉永2年2月18日)- 1899年(明治32年)3月19日)は、明治期の内務官僚、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・麟趾、麟司。 豊前国宇佐郡、のちの大分県宇佐郡高家村(四日市町を経て現宇佐市)で山中柳平の四男として生まれ、従兄弟・山中幸左衛門の養子となる。 漢籍を鷺海量容、広瀬林外に師事した。1868年(明治元年)澤宣嘉九州鎮撫総督が長崎に着任後、それに従い戊辰戦争に従軍した。その後、慶應義塾で学んだ。 1873年(明治6年)6月、司法省十三等出仕となり、同年7月、権少解部に就任。1874年(明治7年)3月、内務省に転じ新治県少属となる。
奥 並継(おく なみつぐ、文政7年(1824年)12月 - … 奥 並継(おく なみつぐ、文政7年(1824年)12月 - 明治27年(1894年)2月26日)は、幕末・明治期の志士、国学者、書家、明治期日本の大蔵官僚である。字は子紹、菱池(菱池は宇佐神宮境内の池名)と号す。 豊前国宇佐村(現大分県宇佐市)の藤波氏に生まれ、宇佐神宮祠官漆島姓の奥氏の養嗣子になる。12歳で広瀬淡窓の門に入り、後に帆足万里に学んだ。 嘉永5年(1852年)、宇佐神宮官人代に任じられ、従五位下対馬守に叙せられた。安政2年(1855年)、江戸に出て平田篤胤の門に入り国学を修めた。 文久3年(1863年)、飄然して京都に出遊して憂国の志士と交わり、国事疾走の生活が始まる。丁度三条実美卿らの七卿落ちとなり、勤王攘夷党の蹉跌をみるや、憤慨し直ちに宇佐に帰り、豊前国、豊後国の志士らと語らい勤王倒幕の先鞭をつけんとしてならず、弟の時枝重明と共に日田の獄舎に投じられ、3年を経て即位の大赦により出獄した。
永松 健次(ながまつ けんじ)は、日本の国土交通官僚。国土交… 永松 健次(ながまつ けんじ)は、日本の国土交通官僚。国土交通省海事局次長等を経て、日本船員雇用促進センター理事長。 大分県宇佐市出身。東京都立国立高等学校を経て、1984年一橋大学経済学部卒業、運輸省入省。国家安全保障政策研究なども行い、1987年からイラン・イラク戦争下にペルシャ湾岸地域に駐在し船舶安全確保対策の取りまとめにあたった。1998年運輸省九州運輸局自動車部長。 経済企画庁物価局物価管理室長、内閣府国民生活局消費者企画課国際室長を経て、アメリカ同時多発テロ事件翌年の2002年から運輸政策研究機構国際問題研究所在ワシントン研究室次長を務め、アメリカ合衆国国土安全保障省とテロ対策の研究に従事。