鶴ノ富士 智万(つるのふじ ともかず、1973年1月29日 … 鶴ノ富士 智万(つるのふじ ともかず、1973年1月29日 - )は、鹿児島県姶良郡隼人町(現在の霧島市)出身で井筒部屋に所属した元大相撲力士。本名は福薗 洋一郎(ふくぞの よういちろう)。現役時代の体格は身長178cm、体重113kg。得意手は諸差し、寄り、上手投げ。最高位は西十両9枚目(1995年3月場所)。趣味はサッカー観戦。 中学校時代はサッカー部に所属していたが、先代・井筒親方(元関脇・鶴ヶ嶺)と父が兄弟であったこともあり井筒部屋に入門。1988年3月場所に初土俵を踏んだ。軽量であったため序ノ口、序二段で伸び悩み、1991年1月場所前に髷を切って部屋を脱走し、一時期は警備員として勤務したこともあった。
両國 宏(りょうごく ひろし、1971年6月6日 - )は、… 両國 宏(りょうごく ひろし、1971年6月6日 - )は、日本の俳優、井筒部屋所属の元大相撲力士。大相撲時代の四股名は祥映斗 宏務(しょうえいと ひろし)。鹿児島県姶良郡横川町(現在の霧島市)出身。身長180cm、体重94kg。両國エンタープライズ所属。業務提携 株式会社Katana。 大相撲時代の最高位は幕下3枚目、体重111kg。 三段目時代、優勝経験あり。 エス・プログレス、Stone Valley株式会社を経て、現在は両國エンタープライズ所属。 趣味・特技は、アクション殺陣、バランスボール乗り、釣り・フットサル・ゴルフ(ベストスコア87)バレーボール、水泳、筋トレ、SUP。 普通自動車、大型二輪、二級船舶 祥映斗の由来は「祥 = 勝」「映斗 = 8」 であり、毎場所必ず8勝 (すなわち、関取で勝ち越し)出来るようにという願いから付けられた。
霧島 一博(きりしま かずひろ、1959年(昭和34年)4月… 霧島 一博(きりしま かずひろ、1959年(昭和34年)4月3日 - )は、鹿児島県姶良郡牧園町(現在の霧島市)出身で井筒部屋(入門時は君ヶ濱部屋)所属の元大相撲力士。本名は吉永 一美(よしなが かずみ)。最高位は東大関。現役時代の体格は身長187cm、体重132kg。得意手は左四つ、寄り、吊り、出し投げ。うっちゃり。現在は年寄・陸奥。弟子の霧島鐵力と区別して「初代霧島」と呼ばれることもある。 農家の長男として生まれる。幼少時から体を鍛えるのが好きで、小学校では3年生の時から真冬でも頭から水をかぶって登校し、5年生からは重さ3kgもある鉄下駄を履くなどしていた。サッカーが好きであったが、中学にサッカー部が無かったため中学時代は野球部に入部し、2年生から柔道部に転向。
三舩浪 盛吉(みふねなみ せいきち、1914年5月28日 -… 三舩浪 盛吉(みふねなみ せいきち、1914年5月28日 - 1943年9月23日)は、昭和時代の大相撲力士。浅香山部屋→井筒部屋所属。本名は有川 盛吉。最高位は十両5枚目。 鹿児島県姶良郡隼人町(現霧島市)出身。同郷の横綱であった三代目西ノ海の浅香山部屋に入門。1933年1月初土俵を踏む。間もなく師匠が亡くなり、井筒部屋に移籍する。1940年1月十両昇進。連続5場所その地位にあったが、1942年5月に幕下に落ちてから休場続きで、三段目まで落ちた1943年9月23日、現役のまま死去した。 錦江洋→三船浪→三舩浪
國ノ濱 源逸(くにのはま げんいつ、1906年7月3日 - … 國ノ濱 源逸(くにのはま げんいつ、1906年7月3日 - 1986年12月20日)は、鹿児島県姶良郡(現・霧島市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は中馬 源逸(ちゅうま げんいつ)。現役時代の体格は身長170cm、体重109kg、得意手は押し。最高位は西前頭5枚目(1932年2月場所、3月場所)、血液型はB型。 同郷の9代井筒(第25代横綱・西ノ海嘉治郎 (2代))の勧めで入門、1923年5月場所初土俵。1924年5月場所序二段。病気のため1926年5月場所一旦序ノ口に陥落したが、その後は順調に昇進した。1928年10月場所、三段目で6戦全勝の優勝同点の成績を挙げて幕下入り。1931年5月場所は幕下筆頭で4勝4敗の五分、10月場所は3勝3敗のこれまた五分の成績だったが、1932年1月の春秋園事件で協会に残ったために2月場所でラッキーな新入幕を果たした。
錦洋 与三郎(にしきなだ よさぶろう、1900年7月5日 -… 錦洋 与三郎(にしきなだ よさぶろう、1900年7月5日 - 1960年3月1日)は、鹿児島県姶良郡福山町(現霧島市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は豊平 才蔵。最高位は関脇(関西角力協会では大関をつとめた)だった。現役時代の体格は176cm、111kg。得意技は押し、寄り、掬い投げ。 井筒部屋に入門し、1917年5月場所に初土俵をふむ。1923年5月、新十両、1925年1月に新入幕を果たす。出足早く、攻めの相撲で鳴らした。1925年5月場所には、前頭12枚目で10勝1敗の好成績を挙げたが、優勝は同じ平幕でも上位の大蛇山酉之助に奪われた。そこから上昇気流に乗り、1927年10月には新小結、1928年には関脇に昇進した。
西ノ海 嘉治郎(3代)(にしのうみ かじろう、1890年11… 西ノ海 嘉治郎(3代)(にしのうみ かじろう、1890年11月2日 - 1933年7月28日)は、鹿児島県西囎唹郡西国分村(現・鹿児島県霧島市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。第30代横綱。本名は松山 伊勢助(まつやま いせすけ)。 1890年に鹿児島県で生まれる。子供の時から剛力で鳴り響いたため、二代目西ノ海嘉治郎に見出されたことから上京、鹿児島県出身の力士が多く所属する井筒部屋に入門した。1910年1月場所で源氏山大五郎と名乗って初土俵を踏むと順調に昇進、序二段、三段目、幕下で5戦全勝を記録し、十両2場所目の1915年5月場所でも6勝無敗1分を記録。1916年1月場所に新入幕を果たすとこの場所は9勝1敗の好成績で、1918年5月場所で関脇に昇進する。