花城 大輔 (はなしろ だいすけ、1971年〈昭和46年〉8… 花城 大輔 (はなしろ だいすけ、1971年〈昭和46年〉8月3日 - )は、日本の政治家。沖繩県沖縄市長(1期)。沖縄県議会議員(4期)、自由民主党沖縄県支部連合会幹事長を歴任した。 沖縄中頭郡コザ市諸見里(現・沖縄県沖縄市)出身。沖縄市立中の町小学校、沖縄市立山内中学校を経て沖縄県立北谷高等学校を卒業後、陸上自衛隊に入隊。4年間勤務した後、家業である化粧品の卸などを手掛ける会社に入り、代表取締役を務めた。2009年には沖縄青年会議所理事長に就任した。 2014年、琉球大学法文学部に入学。同年、沖縄県知事選挙と同日に執行された、県議会議員補欠選挙に沖縄市選挙区から初当選。県議中は、自由民主党沖縄県支部連合会幹事長も務めた。
比嘉 奈津美(ひが なつみ、1958年10月3日 - )は、… 比嘉 奈津美(ひが なつみ、1958年10月3日 - )は、日本の政治家、歯科医師。 衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)、環境大臣政務官、参議院厚生労働委員長を歴任。 米国統治下の沖縄のコザ市(現在の沖縄県沖縄市)に生まれる。コザ教育区立諸見小学校、コザ中学校を経て、1974年に浦添市に新設された昭和薬科大学附属高校に進学した。小学6年生時にはコザ暴動を目の当たりにした。その後福岡歯科大学へと進学し、1986年に卒業。 卒業後は沖縄県の久米島へと渡って歯科医師となり、後に沖縄市内に「なつみ歯科医院」を開院した。また2006年からカンボジアでの歯科医療ボランティアに携わるようになった。2009年4月には沖縄県歯科医師会の副会長に就任した。
桑江 朝幸(くわえ ちょうこう、1918年(大正7年)2月3… 桑江 朝幸(くわえ ちょうこう、1918年(大正7年)2月3日 - 1993年(平成5年)12月16日)は、琉球政府・沖縄県の政治家である。軍用地主の団体である市町村土地特別委員連合会(現:沖縄県軍用地等地主会連合会、通称:土地連)の初代会長となった。1978年から1990年まで沖縄市の市長を務めた。1989年に泡瀬干潟の埋め立て事業を含む東部海浜開発計画市案を発表する。2014年から2024年の死去まで沖縄市長を務めた桑江朝千夫の父である。 琉球列島米国民政府(略称:USCAR)については、「アメリカ民政府」と記述する。また肩書、施設名、その他名称について、当時のもので表記する。 1918年(大正7年)に沖縄県中頭郡越来村(現:沖縄市)に生まれる。
大山 朝常(おおやま ちょうじょう、1901年(明治34年)… 大山 朝常(おおやま ちょうじょう、1901年(明治34年)12月25日 - 1999年(平成11年)11月24日)は、琉球政府および沖縄県の政治家。1954年に立法院議員に当選。1958年から1974年まで4期16年間にわたりコザ市長を務めた。沖縄社会大衆党の結党メンバーの1人で、沖縄の本土復帰運動のリーダーであった。位階は正六位。沖縄戦の後の沖縄の政治、行政に大きな影響を与え、現在の沖縄市の基礎を築いたと評される。晩年、『沖縄独立宣言』 を出版し、「ヤマトは帰るべき祖国ではなかった」として琉球独立を主張した。 琉球列島米国民政府(略称:USCAR)については、「アメリカ民政府」と記述する。また肩書、施設名、その他名称について、当時のもので表記する。
石原 昌淳 (いしはら しょうじゅん、1900年(明治33年… 石原 昌淳 (いしはら しょうじゅん、1900年(明治33年)2月5日 - 1995年(平成7年)10月16日)は、沖縄県の政治家、実業家。 戦前は旧美里村議会議員、美里村助役、沖縄県会議員を、戦後のアメリカ施政権下では沖縄民政(沖縄民政府)議会議員、群島議会議員、琉球政府立法院議員、同中央教育委員会委員長、琉球工業連合会副会長、沖縄製塩社長などを務めた。勲五等瑞宝章受章。 1900年(明治33年)、現在の沖縄県沖縄市泡瀬地区にて生まれる。 大正の末期から昭和10年頃にかけての沖縄の政治界は、本土の二大政党であった民政党と政友会との対立に巻き込まれて、激しい勢力争いが続いていた。沖縄県選出の国会議員や県会議員のほとんどもこの二大政党のいずれかに属し、選挙の際には自派の議員の選出に懸命であった。