山谷 拓志(やまや たかし、1970年6月24日 - )は、… 山谷 拓志(やまや たかし、1970年6月24日 - )は、東京都昭島市出身の元アメリカンフットボール選手、実業家。プロバスケットボールチーム・リンク栃木ブレックス代表、ナショナル・バスケットボール・リーグの運営法人である一般社団法人日本バスケットボールリーグの専務理事兼COO、茨城ロボッツ代表を歴任した。 昭島市立富士見丘小学校から八王子市立由井中学校に進み、3年次に受験勉強の合間にたまたま日本ラグビーフットボール選手権大会決勝戦で慶應義塾大学がトヨタ自動車を破った試合を観て、慶應でラグビーがしたいと思い、卒業後に慶應義塾高等学校に進学。しかし、ラグビー部には小学校・中学校のころからラグビーをやってきた選手が数多く在籍していることから試合には出られないかもしれないという現実を目の当たりにしてラグビーを断念、部室が隣のアメリカンフットボール部から勧誘を受け、「高校にはアメフト部が少ないから、頑張ればすぐ日本一になれる」という文句に惹かれアメフトを始める。
佐々木 康元(ささき やすもと、1969年 - )は、東京都… 佐々木 康元(ささき やすもと、1969年 - )は、東京都出身の日本の元アメリカンフットボール選手、指導者。 日本大学フェニックスの主将として、1990年[要検証 – ノート]に甲子園ボウル優勝を果たした。また、日本代表のキャプテンとして1999年・2003年のアメリカンフットボール・ワールドカップで連覇に貢献した。 日本大学鶴ヶ丘高等学校を卒業後、日本大学文理学部に進学。アメリカンフットボール部「フェニックス」に所属し、主将として活躍。1990年[要検証 – ノート]には甲子園ボウルで優勝し、大学日本一に輝いた。 1999年に開催された第1回W杯(英語版)(イタリア・パレルモ)および2003年の第2回大会(英語版)(ドイツ・ヘッセン州)において、日本代表のキャプテンを務め、両大会で優勝を果たした。
朝倉孝雄(あさくら たかお 1968年10月22日- )は日… 朝倉孝雄(あさくら たかお 1968年10月22日- )は日本のアメリカンフットボール指導者。現在、桜美林大学アメリカンフットボール部コーチを務めている。現役時代のポジションはラインバッカー。 早稲田大学高等学院在学中は主将を務め、クリスマスボウル優勝を果たした。、早稲田大学米式蹴球部でも主将を務めた。大学卒業後、東京銀行に入社、1992年から2001年までアサヒビールシルバースターに所属し 1994年、1995年、2001年にはライスボウル優勝を経験している。2001年にマサチューセッツ州立大学大学院に留学し、スポーツ経営学修士課程を修了、2003年より早稲田大学職員となりヘッドコーチ兼ディフェンスコーディネーターとなった。
関 孝英(せき たかひで、1966年12月9日 - )は、東… 関 孝英(せき たかひで、1966年12月9日 - )は、東京都中野区出身の日本の僧侶・アメリカンフットボール指導者、元銀行員。 天台宗善明寺の副住職を務めるほか、佼成学園高等学校アメリカンフットボール部「LOTUS」の指導スタッフ(DLコーチ・副監督相当)としてチームの強化に貢献した。学生時代は日本大学アメリカンフットボール部フェニックスで主将を務め、全国大会制覇に貢献した。 関は日本大学アメリカンフットボール部フェニックスに所属し、1988年度(在学時)には主将を務め、甲子園ボウル・ライスボウル制覇に貢献したとされる[出典無効]。 卒業後は母校である佼成学園高等学校のアメリカンフットボール部「LOTUS」にてDLコーチとして指導にあたり、副監督相当の職務を兼務した。
渡邉 弘幸(わたなべ ひろゆき、1966年 - )は、日本の… 渡邉 弘幸(わたなべ ひろゆき、1966年 - )は、日本の実業家、元アメリカンフットボール選手。
古橋 由一郎(ふるはし ゆういちろう、1965年〈昭和40年… 古橋 由一郎(ふるはし ゆういちろう、1965年〈昭和40年〉1月7日 - )は、日本の元アメリカンフットボール選手。2024年4月現在、近畿大学ビッグブルーヘッドコーチ。 兵庫県立伊丹西高等学校卒業。高校時代は野球部(一塁手兼投手)。1985年立命館大学文学部地理学科入学後、立命館大学パンサーズ入部。ポジションはDLで主力として活躍。4回生時の1988年には主将を務める。 当時の立命館大学は1984年に平井英嗣がヘッドコーチに就任、1987年にスポーツ推薦が開始されるなど、チーム強化へ向けて着実に歩を進めている段階であった。在学中の1985年には同率2位になるものの、優勝をすることなく卒業する。
福島 伸一郎(ふくしま しんいちろう、1965年 - )は、… 福島 伸一郎(ふくしま しんいちろう、1965年 - )は、日本の元アメリカンフットボール選手。京都大学ギャングスターズの黄金期(1980年代後半)を支えた一人で、ポジションはWR(ワイドレシーバー)。1992年から2019年まで経済産業省に勤務。関東経済産業局資源エネルギー環境部長を最後に2019年に同省を退職し、同年から五洋建設顧問。2020年から現在まで五洋建設に執行役員として勤務。 神奈川県綾瀬市出身。1965年横浜市生まれ。1981年綾瀬市立綾瀬中学校、1984年神奈川県立厚木高等学校を卒業(高校36回)。1989年京都大学工学部を卒業後、同大学大学院工学研究科を修了し、1992年通産省(現経済産業省)に入省。
東海 辰弥(とうかい たつや、1964年12月18日 - )… 東海 辰弥(とうかい たつや、1964年12月18日 - )は、日本の元アメリカンフットボール選手。ポジションはQB(クォーターバック)。富山県氷見市出身。富山県立高岡高等学校、京都大学農学部卒業。怪物と称された。 高校時代は野球部に所属。 1984年に京都大学入学。3、4年次の1986年、1987年と連続して甲子園ボウルに優勝してミルズ杯を獲得し、生来の強肩と自らのランも強力で得点力向上の原動力となり、京都大学ギャングスターズ史上最高のQBと言われている。特に1年後輩の福島伸一郎とのホットラインは強力であった。また、4年次の主将・屋敷利紀(金融庁総合政策局長)とは、高岡高校時代からの同級生でもあった。
森 清之(もり きよゆき、1964年10月30日 - )は、… 森 清之(もり きよゆき、1964年10月30日 - )は、日本のアメリカンフットボール指導者である。 愛知県名古屋市出身。名古屋市立菊里高等学校、京都大学卒。 高校時代はバスケットボール部に所属していたが、京都大学入学後に京大アメフト部に入部しアメフトを始めた。京大黄金時代に守備エンド、ラインバッカーとしてプレーし、1986-1987年度の甲子園ボウル、ライスボウルをともに連覇。1988年に京都大学を卒業し味の素に入社するも、母校の恩師である水野弥一に請われて、程なくして退社し、京大アメフト部のフルタイムコーチ、守備コーディネーターに就任。以後、NFLヨーロッパのアムステルダム・アドミラルズ、Xリーグのアサヒビールシルバースター、アサヒ飲料チャレンジャーズのコーチを歴任。
橋詰 功(はしづめ いさお、1963年8月1日 - )は、日… 橋詰 功(はしづめ いさお、1963年8月1日 - )は、日本のアメリカンフットボール指導者。 立命館大学卒業。現役時代はWRだった。 1994年に立命館大学パンサーズコーチに就任。2000年、米国のアメフト強豪校オクラホマ大学Soonersに留学。帰国後、立命館大学パンサーズのライスボウルの2003年・2004年の2連覇にコーチとして貢献した。2008年から立命館宇治高等学校、2014年から立命館守山高等学校でコーチを務めた。 2018年7月、日本大学フェニックスの悪質タックル問題に端を発した騒動で、日大監督の公募に応募し、日大フェニックスの監督に就任した。2021年8月、3年契約が終了し、退任。
濱田 篤則(はまだ あつのり、1960年 - )は元アメリカ… 濱田 篤則(はまだ あつのり、1960年 - )は元アメリカンフットボール選手、現審判・解説者。 関西学院高等部時代はクォーターバック(QB)、関西学院大学ファイターズではランニングバック(RB)で活躍する。息子の濱田大地も、関西学院高等部のアメフト部に所属している。(ポジションはLB) 関西学院大学在学中、甲子園ボウルには、京都大学ギャングスターズにリーグ初制覇を許した1982年のシーズン以外の3回出場。1983年に関西学院大学を卒業し、関学OBを中心に結成されたNACL(関西社会人リーグ(Xリーグ・ウェストディビジョンの前身)所属) 現役引退後は関西アメリカンフットボール協会審判部に所属。現在は日本アメリカンフットボール審判協会副理事長も務める。
内田 正人(うちだ まさと、1955年〈昭和30年〉8月9日… 内田 正人(うちだ まさと、1955年〈昭和30年〉8月9日 - )は、日本の元アメリカンフットボール選手、元アメリカンフットボール指導者。元日本大学常務理事。埼玉県生まれ。 日本大学豊山高等学校卒業後、日本大学に入学した。日本大学ではアメリカンフットボールに打ち込み、篠竹幹夫の指導を受ける。 日本大学卒業後、1979年自身の母校である日本大学文理学部職員となる。2011年学校法人日本大学評議員に選任され、2014年同理事・人事部長を経て、2017年より同人事兼男女共同参画担当常務理事。 1978年より日本大学アメリカンフットボール部(日大フェニックス)のコーチを務め、1990年の毎日甲子園ボウルで優勝。
平井 英嗣(ひらい ひでつぐ、1948年(昭和23年)3月2… 平井 英嗣(ひらい ひでつぐ、1948年(昭和23年)3月2日 - )は元アメリカンフットボール選手・コーチ。関西学生アメリカンフットボール連盟理事長。立命館大学職員。立命館大学体育会アメリカンフットボール部パンサーズヘッドコーチ・監督・総監督を歴任。
水野 彌一(水野 弥一、みずの やいち、1940年6月13日… 水野 彌一(水野 弥一、みずの やいち、1940年6月13日 - )は、日本のアメリカンフットボール指導者、京都大学アメリカンフットボール部元監督。元京都市教育委員。 京都市生まれ。京都市立西京高等学校卒後、パイロットを目指し、防衛大学校に入学するも、アメリカンフットボールで腰を痛め1年で中退し、1961年京都大学工学部に入学。ラグビー部に入るつもりだったが部員が足りないからとアメリカンフットボール部に入部。1965年同部コーチに就任。1968年同大院工学研究科修了後、コロラド鉱山大学留学を経てトヨタ自動車に勤務の傍ら1974年より監督となった。アメフトの経験のない初心者を猛練習で鍛える手技で京大アメフト部を強豪チームに育て上げた。
金澤 好夫(かなざわ よしお、1935年 - )は、日本のア… 金澤 好夫(かなざわ よしお、1935年 - )は、日本のアメリカンフットボール指導者。 1935年、出生。明治大学在学時に第11回ライスボウルに出場するなど、アメリカンフットボール選手として活躍。卒業後、拓殖大学初代監督に就任。並行して、関東学生アメリカンフットボール連盟理事や日本アメリカンフットボール協会理事などを務めると共に、社会人チームの体制構築に尽力。1980年、東日本社会人協会を設立し理事長に就任。社会人王座決定戦を創設。1985年、日本社会人アメリカンフットボール協会初代理事長に就任し、1996年にXリーグを設立。第1回、第2回のワールドカップで日本チームを優勝に導いた。2003年から2005年まで、日本アメリカンフットボール協会理事長。
服部 慎吾(はっとり しんご、1913年 - 1995年)は… 服部 慎吾(はっとり しんご、1913年 - 1995年)は、元アメリカンフットボール選手。戦後にアメリカンフットボールの復興に尽力し、日本アメリカンフットボール協会理事長を務めた。日本アメリカンフットボール殿堂顕彰者。 立教大学予科を経て、1935年に立教大学に入学。予科在学中からアメリカンフットボールを始め、アメリカンフットボール部のセンターとして活躍。1939年、立教大学卒業。 1940年に応召し、札幌の歩兵部隊に従軍する。 終戦後、関東地区のフットボールの復興に戦前からの仲間とともに尽力。戦後再来日したポール・ラッシュとともに、チームの復興を進め、グラウンドの手配や防具の準備など、運営の中心人物として活躍する。
波木 健太郎(なみき けんたろう)は、日本のアメリカンフット… 波木 健太郎(なみき けんたろう)は、日本のアメリカンフットボール選手。ポジションはクォーターバックおよびパンター。身長185cm 体重86kg。 駒場学園高等学校→早稲田大学→ケルン・センチュリオンズ→アサヒビールシルバースター。
黛拓郎(まゆずみ たくろう)は、日本のアメリカンフットボール… 黛拓郎(まゆずみ たくろう)は、日本のアメリカンフットボール選手。アメリカンフットボール日本代表候補。ポジションはタイトエンド。 東京都生まれ。東京都立西高等学校から東京大学に進学。高校時代にアメフトを始め、大学では東京大学ウォリアーズの主力として活躍し、関東リーグ4強進出の原動力となった。2001年、西宮ボウル出場。 卒業後、2003年に日本コカ・コーラに就職。クラブチームであるアサヒビールシルバースターに入団する。2007年、日本代表候補に選出される。
森下 順光(もりした よしみつ)は、日本のアメリカンフットボ… 森下 順光(もりした よしみつ)は、日本のアメリカンフットボール指導者。現役時代のポジションはディフェンシブラインマン。 1982年六甲高校卒業。京都大学農学部在学中は京都大学ギャングスターズに所属し、1987年のライスボウルでは優勝を味わった。また、社会人アメリカンフトボールリーグのXリーグのサイドワインダーズのGM兼監督を務めている。 また日本アメリカンフットボール協会の理事やXリーグ改革委員、三島高等学校のコーチを務めたこともある。 卒業後に旭化成、富久娘酒造(現オエノンホールディングス)を経て、現代表取締役の北谷知生(横浜商科大学卒)と共に、2006年のシンワフーズケミカルの創業に参画、取締役を務めている。