九月(くがつ、1992年〈平成4年〉9月21日 - )は、日… 九月(くがつ、1992年〈平成4年〉9月21日 - )は、日本のお笑い芸人、随筆家。 1992年、青森県八戸市出身。幼少期から理系と公務員の多い親族に囲まれ、反動から人文系と芸術に関心を持って育った。青森県立八戸高等学校に進学する。 親に「東大か京大に行けたら何をやってもいい」と言われたことをきっかけに、自由な学風への憧れから京都大学を志望する。土地で学ぶことはその土地の養分を吸うことだと捉え、青森の養分を持つ自分に京都の養分を掛け合わせたいと考えていた。 高校卒業後、一年浪人した後に京都大学教育学部に進学。教育学部を選んだのは、小中高と自分が受けてきた学校教育に疑問を持っていたからだった。大学進学によって自由で奇天烈な人生がスタートすることを期待していたために、入学後、明確にエリートコースを歩もうとしている周囲とのギャップを感じ、「ここにいたら凄い人間になってしまう」と落胆し、大学に行かなくなる時期を経験している。
高坂 友衣(こうさか ゆい、1985年8月28日 - )は、… 高坂 友衣(こうさか ゆい、1985年8月28日 - )は、日本のお笑い芸人、タレントである。かつての所属事務所は太田プロダクション(2023年12月まで)。お笑いコンビ「ばーん」時代は、ユイティ名義でも活動をしていた。結婚以前の本名は髙坂 友衣(結婚後は非公表)。女性。 青森県青森市出身。2022年現在は青森県を中心に活動をしている。 2004年、青森県立青森東高等学校卒業後、埼玉大学進学のために上京。 2005年、幼稚園から同級生だった幼馴染の高田千尋と「ばーん」を正式結成し、本格的にお笑い活動をスタートさせる。その後大学を卒業する。 2016年4月28日、11歳年上の元お笑い芸人(太田プロに所属していたお笑いトリオのメンバー)との結婚を発表。
高田 千尋(たかだ ちひろ、1985年4月16日 - )は、… 高田 千尋(たかだ ちひろ、1985年4月16日 - )は、日本のお笑い芸人、元グラビアアイドルである。お笑いコンビ「ばーん」の元メンバー。 青森県青森市出身。太田プロダクション所属。 水着撮影会中止騒動についてコメントし、「この撮影会は今までの実籍が認められたり、オーディションで勝ち取るなどしてグラビアアイドルならだれでもできるものでない」とコメント この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
じろう(1978年〈昭和53年〉7月14日 - )は、日本の… じろう(1978年〈昭和53年〉7月14日 - )は、日本のお笑い芸人、俳優、脚本家、作詞家。シソンヌのボケ(ネタによってはツッコミ)・ネタ作成担当、立ち位置は向かって左。吉本興業所属。本名は大河原 次郎(おおかわら じろう)。青森県弘前市出身。身長179cm、体重68kg。血液型B型。 コンビでの出演についてはシソンヌ (お笑いコンビ)を参照。
鉄板■魔太郎(てっぱんまたろう、1974年6月6日 - )は… 鉄板■魔太郎(てっぱんまたろう、1974年6月6日 - )は、大川興業所属のお笑い芸人。本名:釜津田裕也(かまつだ ひろや)。青森県弘前市出身。弘前市立南中学校、弘前東工業高等学校卒業。 高校卒業後に、IT系企業に勤務しPOSシステムの保守業務を経験。 芸名は大川興業による本公演「サバイバーパンク」終了日にフックを受ける鉄板を電車で運んだことに由来(■は鉄板を表している)。「魔太郎」は、漫画『魔太郎が来る!!』の主人公に性格が類似しているとして、大川豊が名づけた。
阿吾寿朗(あご じゅうろう、1934年3月11日 - 199… 阿吾寿朗(あご じゅうろう、1934年3月11日 - 1990年 没)は、漫才師、元吉本新喜劇の役者で一時は座長も務めた。本名:高橋享。 青森県十和田市生まれ、法政大学在学中に映画のエキストラを経験、役者になる為、大学を中退し晩年の榎本健一の元に弟子入り、あごぼん十の名で喜劇の舞台に立つ。喜劇役者のかたわらはせさん治と漫才を組む。1968年に角座に出演の為に来阪。1970年11月、吉本新喜劇に入団。翌年に阿吾十朗の名で準座長に昇進。1972年に座長に就任。1974年に座長の座を若い座員に譲る。1980年2月より今喜多代と組み漫才に復帰。その後コンビを病気の為に解消、引退した。後に通っていたスナックのママに看取られつつ死去。
大瀬 しのぶ(おおせ しのぶ、1930年7月24日 - 20… 大瀬 しのぶ(おおせ しのぶ、1930年7月24日 - 2004年9月15日)は、日本のお笑い芸人。ローカルタレント。本名:小笠原 敏夫(おがさわら としお)。 青森県上北郡法奥沢村(のち、十和田村→十和田町→十和田湖町、現・十和田市)出身。生家はかなりの資産家だったが、警察官をしていた父が病に倒れ、治療費や薬代に消えたため次第に減った。高等小学校卒業後、地元の消防団に入団。ある時村で火事が起き、消防自動車を無免許にもかかわらず運転したため、カーブを曲がり切れず、水田に転落させた。また、密造酒(どぶろく)を川に捨てたのを税務署員に見つかり、検挙され、裁判にかけられたが、無罪となったこともあった。