高橋 真裕(たかはし まさひろ、1950年(昭和25年)12… 高橋 真裕(たかはし まさひろ、1950年(昭和25年)12月25日 - )は、日本の銀行家。 岩手銀行代表取締役会長、岩手経済同友会代表幹事。 岩手県北上市出身。立教大学法学部卒業後、岩手銀行入行。融資、審査部門を長く担当した。 2007年、当時の永野勝美頭取から、「じっくり後輩を見た中で、ベストは分からないがベターだろう。」の辛口の評価を受けつつ、常務から後任として昇格する。年齢にして15歳の若返りとなった。しかし、会長に退いた後も永野の専横が目に余り、2頭政治への行内での不満が高まる中、2009年4月、永野を会長から解任。頭取中心のスピード経営を目指す体制とした。2014年には、東日本大震災を乗り越え、7年ぶりの増収増益となったことなどから会長に退いた。
浅沼新(あさぬま あらた、1945年〈昭和20年〉2月19日… 浅沼新(あさぬま あらた、1945年〈昭和20年〉2月19日 - )は、日本の銀行家。東北銀行取締役会長。藍綬褒章を2008年(平成20年)に受章。 岩手県水沢市(現:奥州市)出身。岩手県立水沢高等学校、青山学院大学卒業後、東北銀行入行。大学の後輩に6代目三遊亭円楽がおり、岩手県での落語会等が開催される度に、懇談する旧知の間柄であるという。 2004年、頭取に就任する。トップ在任時には、中小事業者への融資の拡大や、農林水産業の6次産業化の支援を進めたほか、東証1部上場の実現などに手腕を発揮した。2014年6月、会長に退いた。 蘭学者高野長英の末裔であり、実家は文化財として保護されている。
佐藤 安紀(さとう やすのり、1945年(昭和20年)2月1… 佐藤 安紀(さとう やすのり、1945年(昭和20年)2月11日 - )は、日本の銀行家。北日本銀行代表取締役会長。2008年藍綬褒章受章。 岩手県盛岡市出身。元主計大尉にして質屋を営む父のもとで育つ。小学4年で番台に上がり高校入学までそれを続けた。また、その場で金利の計算から、人物の見極目まで行い審査と担保の清算を肌で学んだという。 学生時代は東京で過ごし、都内の百貨店への就職も内定していたが、父から帰郷を促されたため、入社試験の間に合った北日本相互銀行を受験。同行に入行した。 1994年の「平成銀行」騒動の際には、仙台支店長として大蔵省と接触し、德陽シティ銀行の財務内容の悪さを熟知していたため、北日本相銀役員や労働組合に対し、財務内容を独自に分析した資料を配布。
梅村俊男(うめむら としお、1943年〈昭和18年〉3月28… 梅村俊男(うめむら としお、1943年〈昭和18年〉3月28日 - )は、日本の銀行家。元北日本銀行代表取締役専務。岩手県江刺市(現・奥州市)出身。
永野 勝美(ながの かつみ、1935年(昭和10年)9月14… 永野 勝美(ながの かつみ、1935年(昭和10年)9月14日 - 2020年 (令和2年) 11月19日 )は、日本の銀行家。岩手銀行特別常任相談役。2008年(平成20年)旭日小綬章。 岩手県一関市出身。岩手県立一関第一高等学校を経て、立教大学経済学部卒業後、岩手銀行入行。 企画、営業担当が長く専務時代は、インターネットバンキングやエリアグループ制の導入を推進する。また、事務開発以外のすべての本部業務を担当した。 頭取在任時は、経営企画の経験とアイデアにより融資に慎重な姿勢を転換。2006年(平成18年)3月期には、2期連続の最高益を達成させた。 2007年(平成19年)には、高橋真裕に頭取職を禅譲し会長として君臨するも、2頭政治に対して行内から反発が高まり2009年(平成21年)4月、会長を解任され特別常任相談役に退いた。
斎藤 育夫(齋藤、さいとう いくお、1930年 <昭和5年>… 斎藤 育夫(齋藤、さいとう いくお、1930年 <昭和5年> 8月27日 - 2011年 <平成23年> 5月14日)は、日本の銀行家。岩手銀行頭取を務めた。位階は従五位。旭日小綬章。 岩手県釜石市出身。1954年に東北大学法学部を卒業し、同年に岩手殖産銀行(のちの岩手銀行)に入行。人事部長を経て1979年4月1日に仙台支店長に就任。1981年4月1日に本店営業部長となり、同年6月26日には取締役に就任。1985年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1996年6月には頭取に上り詰める。2001年には佐藤光の後任として、2月に盛岡商工会議所の会頭、6月には岩手銀行の会長に就いた。 2004年5月には、岩手の経済発展・産業振興に貢献したとして、岩手県より平成16年度県勢功労者に選ばれた。
雫石 隆孝(しずくいし たかよし、1900年2月26日 - … 雫石 隆孝(しずくいし たかよし、1900年2月26日 - 1988年12月23日)は、日本の銀行家。岩手県出身。 盛岡中学を経て、1926年に東京帝国大学経済学部を卒業。澁澤倉庫、地方事務官、岩手県出納長を経て、1947年10月に岩手銀行頭取に就任。1973年12月には会長に就任し、1977年12月に取締役を経て、1979年12月には相談役に退いた。 1978年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 1988年12月23日急性肺炎のために死去。88歳没。