岡澤 セオン(おかざわ せおん、1995年12月21日 - … 岡澤 セオン(おかざわ せおん、1995年12月21日 - )は、日本の男子アマチュアボクシング選手。山形県山形市出身。本名は岡澤 セオンレッツ クインシー メンサ(Okazawa Sewonrets Quincy Mensah)。中央大学法学部卒業。大橋ボクシングジム・INSPA所属。2021年世界選手権ウェルター級金メダリスト。 ガーナ人の父と日本人の母の間に生まれた。小・中学校では9年間レスリングに熱中した。レスリングでの五輪出場を目指し、高校でも競技を続けるつもりだったが入試に失敗。レスラーとしての道を失い、進学した日本大学山形高等学校ではラグビー部か陸上部に入部しようと考えていたところ、先輩に目をつけられほぼ強制される形でボクシング部へ入部した。
土井 広之(どい ひろゆき、1974年8月5日 - )は、日… 土井 広之(どい ひろゆき、1974年8月5日 - )は、日本の男性シュートボクサー、キックボクサー。本名は土井 博幸。山形県酒田市出身。酒田工業高校卒業。シーザージム所属。元SB世界ウェルター級王者。 1995年3月にシュートボクシングでプロデビュー。 1998年11月、小比類巻貴之にTKO負け。1999年1月、魔裟斗に押し気味の判定ドロー。2000年9月、ジャンブラッド・アマンタエフに立ち関節技で一本勝ち。1999年11月。ウィリアム・スリヤパイに判定勝ち。 2001年1月12日、ダニー・スティール(アメリカ)とのSB世界スーパーシーガル級王座決定戦で3-0の判定勝ち(階級名は、後にウェルター級に改称された)。
梅津 正彦(うめつ まさひこ、1968年12月13日 - 2… 梅津 正彦(うめつ まさひこ、1968年12月13日 - 2013年7月23日)は、日本のボクシング指導者、アクション監督。山形県酒田市出身。 山形県立酒田東高等学校卒業。大学中退。高校でボクシングを始め、ソウルオリンピックを目指したが、怪我のため引退。 映画監督を志し松竹シナリオ研究所入所。松竹大船撮影所等で映画・テレビドラマ、野村芳太郎監督の戦争ドキュメンタリー作品、七人のおたくなどの助監督を務めた。その後ボクサーの経験を生かし、ボクシングコーチ、アクションディレクターとなる。映画・テレビ・CM・舞台等でボクシングやアクション指導をしながら、プライベートレッスン専門で梅津ボクシング倶楽部を主宰し、ダイエット指導等も行っていた。
石垣 仁(いしがき ひとし、1953年9月25日 - )は、… 石垣 仁(いしがき ひとし、1953年9月25日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手、元プロボクサー。1976年モントリオールオリンピックバンタム級日本代表。第35代日本同級王者。プロ現役時代はヨネクラボクシングジム所属。 山形県飽海郡出身。酒田南高等学校、専修大学卒業。 1974年、テヘランで開催されたアジア大会にバンタム級で優勝。1974年から3年連続で全日本選手権同級に優勝を収めた。村田英次郎とは、アマチュア時代に3戦し、1976年モントリオールオリンピック出場権をかけた試合も含め、いずれも判定勝ちしている。 1976年、モントリオールオリンピックにバンタム級の日本代表として出場し、7月20日に行われた1回戦では2R0分36秒DQ(disqualify; 反則などによる失格)勝利を収めたが、7月24日の2回戦でモントリオール・モスクワ2大会連続銅メダリストとなるヴィクトール・リバコフ(英語版)(ソ連)と対戦し、0-5のポイント負けを喫した。
サルトビ小山(さるとび こやま)、1949年10月5日 ‐ … サルトビ小山(さるとび こやま)、1949年10月5日 ‐ )は、日本の元プロボクサー。本名は小山 繁幸(こやま しげゆき)。山形県上山市出身。元日本スーパーバンタム級チャンピオン。4度の防衛後、眼疾によりタイトル返上し引退。引退後は様々な職を経験した後、ファイティング原田ジムでチーフトレーナーを歴任。現役時代は笹崎ボクシングジム所属。 山形県上山市にて3人兄弟の末っ子として誕生。笹崎ジム黄金期に全日本新人王、日本タイトルを獲得。 現役引退後は、役者を志願し千葉真一の設立したアクションスター養成のジャパンアクションクラブの3期生となり、数年役者としての活動。 その後、ファイティング原田ジムにトレーナーとしてボクシング界に戻り指導に当たっていた。