スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
田村 朋輝(たむら ともき、2004年4月6日 - )は、東… 田村 朋輝(たむら ともき、2004年4月6日 - )は、東京都八王子市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 緑ヶ丘幼稚園卒園後、別所小学校2年の時に軟式チーム・松が谷ジャガーズで野球を始め、別所中学時には町田市の硬式チーム・町田リトルシニアに所属。 高校は山形県の酒田南高等学校に進学。1年夏からメンバー入りし、2年春からはエース。2年の秋に山形県大会で優勝。3年夏の県大会の3回戦では、延長10回までを投げて11個の三振を奪い降板したが、11回に勝ち越され東海大学山形高等学校に敗戦。甲子園に出場することはできなかった。 2022年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツから育成ドラフト2巡目指名を受けた。
伊藤 海斗(いとう かいと、2001年4月2日 - )は、山… 伊藤 海斗(いとう かいと、2001年4月2日 - )は、山形県飽海郡遊佐町出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 遊佐町立遊佐中学校時代は軟式野球部に所属。3年夏は山形県大会に優勝。 酒田南高校では1年夏からベンチ入りも、甲子園出場はなかった。高校通算36本塁打。 2019年10月17日に行われたプロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツからドラフト6巡目で指名され、11月14日に契約金3000万円、年俸540万円で仮契約した。背番号は97。担当スカウトは柏田貴史。 2020年は、イースタン・リーグ38試合に出場し、打率.234、0本塁打、5打点の成績だった。オフに、現状維持の推定年俸540万円で契約を更改した。
石垣 勝海(いしがき まさみ、本名・旧登録名:石垣 雅海〈読… 石垣 勝海(いしがき まさみ、本名・旧登録名:石垣 雅海〈読み同じ〉、1998年9月21日 - )は、山形県酒田市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学3年生の時に亀城小野球スポーツ少年団(亀城ブレーブス)に入り、野球を始める。 酒田南高等学校では、1年から三塁手のレギュラーに定着。2年秋から主将となってチームを牽引。3年夏の山形県大会準決勝で敗退し、甲子園出場はなかったが、3試合で4本塁打を記録。同年度の山形県高校野球連盟の奨励賞と優秀野手賞を受賞した。高校通算37本塁打。 2016年10月20日に行われたドラフト会議では、中日ドラゴンズから3位指名を受け、11月22日に契約金5000万円、年俸540万円で仮契約を結んだ。
下妻 貴寛(しもつま たかひろ、1994年4月15日 - )… 下妻 貴寛(しもつま たかひろ、1994年4月15日 - )は、山形県酒田市(旧・松山町)出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍バッテリーコーチを務める。 小学校3年生から野球を始めると、松山中学校では軟式野球部に所属しつつ、「酒田ハーバーベースボールクラブ」で硬式野球も経験した。酒田南高校では1年生の春から正捕手を務める。3年の夏には甲子園に初出場、大会の選手宣誓を行った。試合は初戦で明徳義塾高校に敗れる。 2012年のプロ野球ドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから4巡目で指名。契約金3500万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。
阿部 翔太(あべ しょうた、1992年11月3日 - )は、… 阿部 翔太(あべ しょうた、1992年11月3日 - )は、大阪府大阪市大正区出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 大阪府大阪市大正区の出身であり、大阪ドームから歩いて10分とかからない場所に実家がある。 大阪市立中泉尾小学校で軟式野球を始め、大阪市立大正東中学校時代に所属していた大正シニアでは捕手であった。 高校は山形県の酒田南高等学校に進学。2年時には夏の甲子園に出場し、1回戦の関西学院高等部戦では「7番・捕手」として先発出場して1安打を放ったが、チームは敗退した。その後も3年春までは捕手をしていたが、2学年下で下妻貴寛が捕手として入部してきたこともあり、投手にコンバートした。
山本 斉(やまもと ひとし、1989年7月10日 - )は、… 山本 斉(やまもと ひとし、1989年7月10日 - )は、大阪府大阪市東住吉区出身の元プロ野球選手(投手)。 1996年、大阪市立矢田西小学校1年生の時に野球を始めた。1999年には小学校4年生ながら、6年生に混じってボーイズリーグの名門「ジュニアホークス」でプレー。2004年の大阪市立矢田西中学校3年生の時にジュニアホークスのエースとして全国大会でベスト4に入った。中学校3年間はサッカー部に所属しており、高校進学にあたってはどちらを続けるか迷っていた。 PL学園や中京高等学校などの強豪からも誘いを受けたが、親元を離れた環境で精神的にも成長したいと考え2005年に酒田南高等学校に越境入学した。
阿部 健治郎(あべ けんじろう、1989年2月25日 - )… 阿部 健治郎(あべ けんじろう、1989年2月25日 - )は、将棋棋士。西村一義九段門下。棋士番号は277。山形県酒田市出身。血液型はB型。 5歳の頃、父親と兄が将棋を指しているところを見て、自然と覚える。小学1年の時から土岐田勝弘アマ八段(棋道師範)が地元で主宰する土岐田将棋道場に通う。 2001年、酒田市立第三中学1年生のときに第22回全国中学生選抜将棋選手権大会で準優勝。翌2002年に奨励会入会試験で合格し入会。三段昇段までは3年で駆け抜けたが、三段リーグでややもたつき四段昇段には8期(4年間)を要した。なお、酒田南高等学校を卒業後上京している。 2009年10月にプロ入り後は一転して快進撃を見せ、初参加の第23期(2010年度)竜王戦(竜王ランキング戦6組)では準優勝し、1期で5組昇級(プロ入りから最短タイ)を決める。
金本 明博(かねもと あきひろ、1987年12月5日 - )… 金本 明博(かねもと あきひろ、1987年12月5日 - )は、元プロ野球選手(内野手、投手)。大阪府大東市出身。右投右打。 山形・酒田南高校時代は2年の夏、3年の夏でそれぞれ甲子園に出場し共に3回戦敗退。 2005年高校生ドラフトで中日ドラゴンズに指名され入団。 中日入団時、野手転向を勧められたが金本本人の意向から投手登録となった。その1年目は二軍(ウエスタン・リーグ)で1試合の登板、0回1/3を投げて3失点、防御率81.00という成績だった。 2007年のキャンプ終了後、球団首脳陣からの野手転向の勧告を受諾し、野手として再スタートを切ることとなった。同年シーズン途中、球団がウェイバー公示のうえ育成選手として再契約することを発表したが、後に撤回される(後述)。
小林 賢司(こばやし けんじ、1985年7月3日 - )は、… 小林 賢司(こばやし けんじ、1985年7月3日 - )は、山形県酒田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 酒田第二中学時代は軟式野球部に所属し、投手兼外野手として活躍。高校は酒田南高校へ進学。1学年上の先輩には福岡ソフトバンクホークスの長谷川勇也がいる。2年の春・夏に甲子園出場するも、いずれも初戦敗退。 青山学院大学では、3年次に春のリーグ戦で最優秀防御率を獲得。4年次には高市俊の抜けたあとのエースピッチャーとしてチームを牽引した。東都大学野球連盟のリーグ戦通算38試合登板し14勝9敗、防御率2.82、184奪三振。 2007年の大学生・社会人ドラフトでは、大場翔太、篠田純平と2度の抽選に外れたオリックスから1位指名を受けた。
長谷川 勇也(はせがわ ゆうや、1984年12月22日 - … 長谷川 勇也(はせがわ ゆうや、1984年12月22日 - )は、山形県鶴岡市出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)、プロ野球コーチ。 小学校に入る前に5歳上の兄が所属する少年野球の練習を見たことをきっかけに野球に興味を持ち、鶴岡市立大泉小学校3年生時に両親の許可が下りて大泉スポーツ少年団で軟式野球を始めた。鶴岡市立鶴岡第四中学校でも軟式野球部に所属し、主に投手としてプレーしていた。 酒田南高等学校に進学すると、1年秋に外野手に転向し、2年夏、3年春・夏と3季連続で甲子園出場を果たした。1学年下の後輩に元オリックス・バファローズの小林賢司がいた。 専修大学では1年春からレギュラーに定着し、3年秋には東都大学リーグ2部首位打者、4年秋には41打数14安打で打率.341、6本塁打を打ちMVPを獲得した。
荒生 沙緒利(あらお さおり、1984年1月21日 - )は… 荒生 沙緒利(あらお さおり、1984年1月21日 - )は、日本のフリーアナウンサー。2022年1月に個人事務所「Sunny Rhythm」を立ち上げる。 山形県酒田市出身・在住。普通自動車、中型二輪車免許所持。ファイナンシャルプランナー3級、整理収納アドバイザー2級、柔道初段。 2002年に酒田南高等学校を、2006年に帝京大学文学部国際文化学科を卒業した後、ケーブルテレビ山形(現在のダイバーシティメディア)のアナウンサーとなる。2008年3月から2010年1月までTBSラジオのTBS954情報キャスター(現在はTBSラジオキャスター)を務めた。2021年8月にジョイスタッフを退所した。その後、地元の山形県酒田市に戻り2022年1月に個人事務所「Sunny Rhythm」を立ち上げる。
和島 香太郎(わじま こうたろう、1983年4月7日 - )… 和島 香太郎(わじま こうたろう、1983年4月7日 - )は、日本の映画監督。京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科(現映画学科)卒業。 2006年、京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科卒。 2007年、BS-TBS先生道・『聴く先生』(主演・大浦龍宇一)を監督。同年9月、仙台短篇映画祭「新しい才能」部門にて、監督作の『店番の間』が上映される。シナリオ『かなたゆ』(未映像化)が第4回BS-i(現BS-TBS)新人脚本賞にて審査員特別賞受賞。 2008年11月、文化庁若手映画作家育成プロジェクト(NDJC 2008)に選出され、35ミリフィルムによる映画『第三の肌』(出演:りりィ、唐橋充)を監督。 2010年3月、トロントジャパニーズ短編映画祭にて『第三の肌』(英題 "A Third Skin")が観客賞(Audience Choice Award)を受賞。
高木 修二(たかぎ しゅうじ、1982年10月24日 - )… 高木 修二(たかぎ しゅうじ、1982年10月24日 - )は、元競輪選手、元社会人野球選手(外野手)。大阪府生まれ。 小学校の頃から野球に取り組み、酒田南高等学校で甲子園出場、東京農業大学生物産業学部を経て、社会人野球のTDKに進み、2006年の第77回都市対抗野球大会で優勝メンバーとして名を連ねた。その後、NPBの横浜ベイスターズのキャンプにテスト生として参加。 高校時代のトレーナーが順天堂大学出身で同大学出身者の海老根恵太(86期)と知り合いであるという縁もあり、競輪選手への転身を決意。大阪に戻って中澤孝之(56期)に師事し、日本競輪学校第97期生として入学。競輪学校時代の在校競走成績は35位(8勝)。
荻原 和歌(おぎわら わか、1974年3月7日 - )は、日… 荻原 和歌(おぎわら わか、1974年3月7日 - )は、日本の料理研究家。山形県鶴岡市出身。 編集職、フリーランスの編集・ライターを経て、忙しい生活にフィットするレシピを提供する料理研究家。「R25」では「和歌ネエ」の名で知られた。タイムラインエージェンシー所属。 TV『はなまるマーケット』(TBS)『とくダネ』(フジテレビ)『めざせ!会社の星』(NHK)『おねがいランキング』『仕分け∞』(テレビ朝日)『L4you』(テレビ東京)ラジオ『焼酎ダイニングYASU』雑誌『七緒』『LEE』『CREA』その他多数。
天音 里望(あまね さとみ、本名:渡部千春、1973年(昭和… 天音 里望(あまね さとみ、本名:渡部千春、1973年(昭和48年) - )は、日本の演歌歌手。山形県東田川郡余目町(現・庄内町)出身。学習塾経営者。
山吹 草太(やまぶき そうた、1964年2月9日 - )は、… 山吹 草太(やまぶき そうた、1964年2月9日 - )は、詩人、脚本家、演出家。山形県酒田市生まれ。酒田南高等学校卒。奈良県生駒市在住。 酒・タバコ・釣り・コーヒー・チョコレートを愛する。 演劇やあらゆる芸術は詩から誕生するという考えを持っている。 2005年に奈良へ引っ越しする際、死にかけの野良猫を連れて帰り、人生の師として共に暮らしている。 アジア圏への旅が好き。
影山 明仁(かげやま あきひと、1964年〈昭和39年〉 )… 影山 明仁(かげやま あきひと、1964年〈昭和39年〉 )は日本の著作家。福島県郡山市出身。岩手県盛岡市在住。丸野 一・八日丁梅之助のペンネームでも活動。 この項目は、作家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:作家/PJ作家)。
弁納 才一(べんのう さいいち、1959年5月 - )は、日… 弁納 才一(べんのう さいいち、1959年5月 - )は、日本の経済史学者。学位は、史学博士。金沢大学経済学部経済学科教授。元研数学館世界史講師。研究分野は中国経済史。山形県鶴岡市(旧藤島町)出身。
仲川秀樹(なかがわ ひでき 1958年(昭和33年) - )… 仲川秀樹(なかがわ ひでき 1958年(昭和33年) - )は、日本の社会学者、日本大学文理学部教授。マス・コミュニケーション論専攻。近年はサブカルチャーの研究者としても知られている。山形県酒田市出身。
土田 義晴(つちだ よしはる、1957年2月11日 - )は… 土田 義晴(つちだ よしはる、1957年2月11日 - )は、日本の絵本作家。 酒田南高等学校を経て[要出典]、日本大学芸術学部油絵科に進み、中谷貞彦・千代子夫妻の指導を受ける中で絵本作家を志望した。1980年の『にわのはな』により、23歳で絵本作家としてデビューした。
石垣 仁(いしがき ひとし、1953年9月25日 - )は、… 石垣 仁(いしがき ひとし、1953年9月25日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手、元プロボクサー。1976年モントリオールオリンピックバンタム級日本代表。第35代日本同級王者。プロ現役時代はヨネクラボクシングジム所属。 山形県飽海郡出身。酒田南高等学校、専修大学卒業。 1974年、テヘランで開催されたアジア大会にバンタム級で優勝。1974年から3年連続で全日本選手権同級に優勝を収めた。村田英次郎とは、アマチュア時代に3戦し、1976年モントリオールオリンピック出場権をかけた試合も含め、いずれも判定勝ちしている。 1976年、モントリオールオリンピックにバンタム級の日本代表として出場し、7月20日に行われた1回戦では2R0分36秒DQ(disqualify; 反則などによる失格)勝利を収めたが、7月24日の2回戦でモントリオール・モスクワ2大会連続銅メダリストとなるヴィクトール・リバコフ(英語版)(ソ連)と対戦し、0-5のポイント負けを喫した。
石川 孝志(いしかわ たかし、1953年2月5日 - )は、… 石川 孝志(いしかわ たかし、1953年2月5日 - )は、日本の元プロレスラー、花籠部屋所属の元大相撲力士。 石川 隆士および石川 泰士のリングネームでも活動していた(読みは同じ)。大相撲時代は大ノ海(おおのうみ)の四股名で活躍、最高位は西前頭4枚目。大相撲時代は身長179cm、体重123kg。 中学時代までは野球少年であったが、酒田南高等学校進学後に相撲に没頭、国民体育大会高校の部で優勝するなど実力を発揮、素質にも恵まれ、この時点で相撲部屋からのスカウトもあったがこれを断り日本大学に進学。名門日大相撲部で活躍し、全日本相撲選手権大会に優勝してアマチュア横綱など数多くのタイトルを獲得、主将も務めたが4年時に糖尿病を患った。