小島 耕(こじま こう 1974年7月24日 - )は、日本… 小島 耕(こじま こう 1974年7月24日 - )は、日本の実業家、元編集者。日本初のサッカー専門新聞として2004年10月8日に創刊した『EL GOLAZO』の編集部デスクを経て、2020年からJリーグ・水戸ホーリーホックの運営会社である株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホックの代表取締役社長を務める。 茨城県鉾田市出身。茨城高校を経て、1998年に明治大学商学部卒業し、図書出版に入社。2004年に株式会社スクワッドに移籍し、日本初のサッカー専門新聞として創刊した『EL GOLAZO』の編集に携わり、編集部デスクを務める。 2010年、スポーツ関連の映像制作会社であるProduction9の創業メンバーとして参画(小島以外の創業メンバーは製作畑の人間ばかりであったという)。
軍地 彩弓(ぐんじ さゆみ、1964年4月25日 - )は、… 軍地 彩弓(ぐんじ さゆみ、1964年4月25日 - )は、日本の編集者、ファッション・クリエイティブ・ディレクター。現在、株式会社gumi-gumi代表。茨城県ひたちなか市出身。 茨城県立日立第一高等学校から中央大学文学部に進学し社会学を学ぶ。大学在学中からリクルートでマーケティングやタイアップを中心とした制作の勉強をする。その傍ら講談社の『Checkmate』でライターのキャリアをスタート。卒業と同時に講談社の『ViVi』編集部で、フリーライターとして活動。その後、雑誌『GLAMOROUS』の立ち上げに尽力する。 2008年には、現コンデナスト・ジャパンに入社。クリエイティブ・ディレクターとして、『VOGUE GIRL』の創刊と運営に携わる。
新井敏記(あらい としのり、1954年9月2日 - )は、日… 新井敏記(あらい としのり、1954年9月2日 - )は、日本の編集者、インタビュアー。スイッチ・パブリッシング代表取締役社長。 茨城県筑西市出身。國學院大學栃木高等学校、日本大学芸術学部芸術研究所卒業。1985年にインタビュー・カルチャー・マガジン『Switch』を創刊、1991年に『Literary Switch』と改題、2003年12月まで同誌編集長を務めたのち、スイッチ・パブリッシング社長に就任。2004年旅する雑誌『coyote』を刊行し、編集長。2013年『MONKEY』を刊行した。2015年、第7回伊丹十三賞受賞。
篠田 博之(しのだ ひろゆき、1951年9月10日 - )は… 篠田 博之(しのだ ひろゆき、1951年9月10日 - )は、日本の編集者、ジャーナリスト、実業家。月刊『創』編集長、『マス読』編集長、創出版社長。「コミック表現の自由を守る会」事務局長、「日本ペンクラブ言論表現委員会」副委員長。茨城県出身。 茨城県立水戸第一高等学校を経て、1976年に一橋大学経済学部卒業。当時の一橋大生は商社や銀行にフリーパスではあったが、篠田はそういった進路に疑問を感じ、雑誌ジャーナリズムを志して政策時報社に入社する。 1980年、政策時報社を退社し総合評論社に入社する。月刊『創』編集部所属となり1981年の月刊『創』編集長就任後、徐々にメディア批評誌化を進める。 1982年、月刊『創』編集者3人で創出版設立。
富田 正文(とみた まさふみ、1898年(明治31年)8月2… 富田 正文(とみた まさふみ、1898年(明治31年)8月20日 - 1993年(平成5年)8月27日)は、日本の作家・編集者・福澤諭吉研究者。昭和期から平成期の慶應義塾大学職員・名誉博士。第55回日本学士院賞受章。 茨城県水戸市出身。水戸中学校、慶應義塾大学文学部卒業。水戸藩出身の『時事新報』主幹・石河幹明に認められて在学中からその助手を務めて『福澤諭吉伝』の編纂に参加、卒業後も職員としてその完成に尽力した。『福澤諭吉伝』完成以後も福澤諭吉の事績研究にあたり、それが評価されて1938年(昭和13年)から文学部講師を兼ねて明治文化について講義することになる。 当時の塾長小泉信三も富田に信任をおいて慶應義塾の新塾歌の作詞を担当させた。
飛田 穂洲(とびた すいしゅう、1886年〈明治19年〉12… 飛田 穂洲(とびた すいしゅう、1886年〈明治19年〉12月1日 - 1965年〈昭和40年〉1月26日)は、茨城県出身の野球選手(内野手)、学生野球指導者、野球評論家、編集者、新聞記者。本名は飛田 忠順(とびた ただより、とびた ちゅうじゅん)。 日本の学生野球の発展に多大な貢献をしたことから、学生野球の父と呼ばれる。 茨城県東茨城郡大場村(現在の水戸市)出身。父親は、大場村初代村長でもある豪農であった。水戸中学校(現在の水戸第一高等学校)卒業後、1907年(明治40年)に父親の反対を押し切って早稲田大学専門部法学科に進学、野球部に入部する。この時、保証人になったのが小説家の押川春浪であり、下宿で同室であったのが針重敬喜であった。
石井 三郎(いしい さぶろう、1880年〈明治13年〉2月2… 石井 三郎(いしい さぶろう、1880年〈明治13年〉2月26日 - 1948年〈昭和23年〉3月25日)は、大正から昭和前期の剣道家、政治家、雑誌編集者。衆議院議員。 茨城県久慈郡、のちの久米村(金砂郷村、金砂郷町を経て現常陸太田市)で生まれる。1911(明治44年)に分家した。 中央大学で学び、銀行業に従事。大蔵省嘱託となり、狩猟調査委員を務めた。1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙に茨城県第4区から出馬して初当選。以後、第15回、第16回、第18回、第19回総選挙で再選され、衆議院議員に通算5期在任した。この間、齋藤内閣と岡田内閣の陸軍参与官などを務めた。1935年(昭和10年)には、昭和会の結党にも参加した。