篠塚 公史(しのづか こうじ、1983年7月13日 - )は… 篠塚 公史(しのづか こうじ、1983年7月13日 - )は、2020年現在トップイーストリーグDiv.2サントリーフーズサンデルフィスに所属するラグビー選手。 15歳からラグビーを始めた。 埼玉工大深谷高校卒業後、法政大学へと入る。 2006年、法政大学卒業後はサントリーサンゴリアスに入団。同年9月3日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節の神戸製鋼コベルコスティーラーズ戦に先発出場で公式戦初出場を果たした。 2014年、トップリーグ通算100試合出場を達成した。 代表歴はU19ラグビー日本代表、7人制日本代表、日本代表。 なお日本代表では2008年4月26日に行われた2008年アジア5カ国対抗韓国戦で日本代表初キャップを獲得した。
神尾 卓志(かみお たかし、1983年2月5日 - )は、日… 神尾 卓志(かみお たかし、1983年2月5日 - )は、日本のラグビー選手。 ラグビーを小学校から始めた。 2001年、埼工大深谷高校卒業後、埼玉工業大学に入学する。 2005年、埼玉工業大学卒業後、セコムラガッツに加入。 2007年11月11日に行われたトップイーストリーグ11第1節の清水建設ブルーシャークス戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2009年、リコーブラックラムズに加入。
ホラニ 龍シオアペラトゥー(Holani Ryu Sioap… ホラニ 龍シオアペラトゥー(Holani Ryu Sioape Latu、1982年12月29日 - )は、トンガ出身のラグビー選手。旧名「シオアペ・ホラニ」 高校からラグビーを始めた。 2002年、埼工大深谷高校卒業後、埼玉工業大学に入る。 2006年、埼玉工業大学卒業後、クボタスピアーズに加入。 2007年11月10日に行われたジャパンラグビートップリーグ第3節のヤマハ発動機ジュビロ戦にて途中出場で公式戦初出場を果たす。 2011年、パナソニック ワイルドナイツに加入。 2017年、NECグリーンロケッツに加入。 2018年、釜石シーウェイブスに加入。 2020年、釜石シーウェイブスを退団した。
オツコロ カトニ(Otukolo Katoni、1982年8… オツコロ カトニ(Otukolo Katoni、1982年8月23日 - )は、日本のラグビー指導者。現在ジャパンラグビーリーグワン日本製鉄釜石シーウェイブスのアシスタントコーチを務めている。 ラグビーを始めた動機は「神様のお告げから」だと語る。 2002年、埼工大深谷高校卒業後、埼玉工業大学に入学する。 2006年、埼玉工業大学卒業後、クボタスピアーズに加入。同年10月7日に行われたジャパンラグビートップリーグ第5節のリコーブラックラムズ戦にて途中出場で公式戦初出場を果たす。 2008年、日本国籍を取得。 2019年、クリーンファイターズ山梨に加入。 2020年、クリーンファイターズ山梨を退団した。
吉田 永昊(よしだ えいこう、1982年7月19日 - )は… 吉田 永昊(よしだ えいこう、1982年7月19日 - )は、日本のラグビー選手。 2001年、法政一高校卒業後、法政大学に入る。 2005年、法政大学卒業後、神戸製鋼コベルコスティーラーズに加入。 2007年10月28日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節のNECグリーンロケッツ戦に先発出場で公式戦初出場を果たす。 2014年、神戸製鋼コベルコスティーラーズを退団した
安藤 栄次(あんどう えいじ、1982年5月14日 - )は… 安藤 栄次(あんどう えいじ、1982年5月14日 - )は、日本の元ラグビー選手。NECグリーンロケッツを経て、三菱重工相模原ダイナボアーズに在籍した。 熊谷工業高校時代は花園出場はなかったが、U-19代表に選出された。 早大進学後は、1年先輩の大田尾竜彦(現ヤマハ発動機ジュビロ)の控えとなり、大田尾卒業後の4年次にレギュラーを獲得。キック、ラン、パス、ディフェンスすべてのプレーで卓越しており[要出典]、大学王座に貢献した。 卒業後、NECに入社。 2007年にはW杯日本代表のメンバーに選ばれたが、負傷のため帰国となった。 2012年度シーズンより三菱重工相模原に在籍し、3シーズンプレーした後現役を引退。
相 亮太(あい りょうた、1981年9月18日 - )は、日… 相 亮太(あい りょうた、1981年9月18日 - )は、日本のラグビーユニオン指導者。元ラグビーユニオン選手。流経大柏高校ラグビー部の監督を務めている。 小学1年生からラグビーを始めた。 2000年、大東大一高校卒業後、大東文化大学に入学する。 2003年、大東文化大学ラグビー部の主将に就任した。 2004年、大東文化大学卒業後、リコーブラックラムズに加入。同年10月31日に行われたジャパンラグビートップリーグ第7節のトヨタ自動車ヴェルブリッツ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2013年、現役を引退した。
渡辺 哲也(わたなべ てつや、1979年4月13日 - )は… 渡辺 哲也(わたなべ てつや、1979年4月13日 - )は、埼玉県出身の日本の元ラグビー選手。 法政大学第一中学時代からラグビーを始め、大学、社会人(トヨタ)で活躍。ラグビー日本代表として、2002年10月13日の韓国【第14回アジア競技会・第4回日韓定期戦】に13番センターとして元木由記雄とのコンビで出場。7人制日本代表(2002年)でもキャップを取得している。2006年に現役を引退。 その他代表歴は、学生日本代表(2001年)、日本A代表(2001年)。 高校時代は高校日本代表候補。 中学3年時に東京都大会優勝を経験。大学時代の全国大学ラグビーフットボール選手権大会では、2000年度に準優勝、2001年度にベスト4を経験。
塚越 賢(つかごし けん、1977年9月12日 - )は、日… 塚越 賢(つかごし けん、1977年9月12日 - )は、日本の元ラグビー選手。 5歳からラグビーを始めた。 1996年、埼玉工大深谷高校卒業後、中央大学に入る。 2000年、中央大学卒業後、東芝府中(現・東芝ブレイブルーパス)に加入。 2011年、現役を引退した
佐藤 剛(さとう つよし、1977年7月16日- )は、日本… 佐藤 剛(さとう つよし、1977年7月16日- )は、日本のラグビー選手。 東和大学附属昌平高等学校(現:昌平高等学校)を卒業後、東京ガスを経て、三洋電機に所属していたが、チームでの出番が減ったことや方向性の違いから2007年に退社。所属チームを持たないため日本協会所属として2007年9月に開かれるフランスW杯の日本代表の候補に名を連ねていた。2008-2009シーズンから2009-2010シーズンまでホンダヒートに所属していた。
山賀 敦之(やまが あつし、1974年10月30日 - )は… 山賀 敦之(やまが あつし、1974年10月30日 - )は、日本の元ラグビーユニオン選手。ジャパンラグビーリーグワン狭山セコムラガッツのチームスタッフを務めている。 高校からラグビーを始めた。 1993年、朝霞西高校卒業後、帝京大学に入る。 1997年、帝京大学卒業後、セコムに入る。 2015年、現役を引退してセコムラガッツの総監督に就任。
青柳 勝彦(あおやぎ かつひこ、1973年6月1日 - )は… 青柳 勝彦(あおやぎ かつひこ、1973年6月1日 - )は、日本のラグビー指導者。現在ジャパンラグビーリーグワン埼玉パナソニックワイルドナイツのFWコーチ兼S&Cアシスタントを務めている。 大東大一高校卒業後、大東文化大学に入る。 大東文化大学卒業後、三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に加入。 現役引退後、パナソニック ワイルドナイツのストレングス&フィットネスコーチを経て、2013年、大東文化大学ラグビー部の監督に就任。 2017年、監督としてチームを22年ぶりのリーグ戦優勝に導く。 そして2019年、パナソニック ワイルドナイツのコーチに復帰。
松田 努(まつだ つとむ、1970年4月30日 - )は、日… 松田 努(まつだ つとむ、1970年4月30日 - )は、日本の元ラグビー選手。 草加高校でラグビーを始め、関東学院大学進学後にナンバー8からフルバックに転向。トレードマークの長髪をなびかせながら大股のストライドでピッチを駆け抜けるランニングで学生時代より注目を浴びる。 大学卒業後に東芝府中へ入社。1996年からは当時の監督向井昭吾の「PからGO」の戦術のもと、日本選手権3連覇を達成するなどチームの中心選手となった。 日本代表には大学在学中のラグビーワールドカップ1991メンバーにも選出されるも、出場機会はなかった。1992年の香港戦で初キャップを獲得。その後日本代表の正FBに定着し、ラグビーワールドカップ1995、ラグビーワールドカップ1999、ラグビーワールドカップ2003に3大会連続出場した。
堀越正己(ほりこし まさみ、1968年11月27日- )は、… 堀越正己(ほりこし まさみ、1968年11月27日- )は、日本の元ラグビー選手・指導者である。元早稲田大学ラグビー蹴球部、元神戸製鋼コベルコスティーラーズ選手。現在は立正大学ラグビー部監督。埼玉県熊谷市出身。選手時代のポジションはスクラムハーフ (SH)。 中学時代までは野球に熱中しプロ野球選手を目指していたが、背の低さのため断念すると、先輩の勧めもあって県下のラグビー強豪校だった熊谷工業高校に進学。1年時からスクラムハーフを務めると、全国高校大会では控え選手としてベスト4。2年時には埼玉県選抜に選ばれ国民体育大会で初優勝、全国高校大会ではベスト4。3年時には高校日本代表に選出されニュージーランド遠征に参加、全国高校大会では準優勝を経験した。
横田 典之(よこた のりゆき、1968年3月8日 - )は、… 横田 典之(よこた のりゆき、1968年3月8日 - )は、日本のラグビー指導者。現在熊谷高校ラグビー部の監督を務めている。 高校からラグビーを始めた。 熊谷工業高校、日本体育大学を経て、吉見高校の教師になる。なお日本体育大学時代、主将を務めた。 2000年、深谷高校ラグビー部の監督に就任。18年監督を務めて花園9度出場。後の日本代表山沢拓也ら選手を数多く育て上げた。 2018年、熊谷高校ラグビー部の監督に就任。
青木 忍(あおき しのぶ、1968年1月26日 - )は、日… 青木 忍(あおき しのぶ、1968年1月26日 - )は、日本の元ラグビー選手及び元ラグビー監督。 大東大一高校時代、1985年度の全国高等学校ラグビーフットボール大会で優勝を経験。1986年に大東文化大学(以下、大東大)に入学し、1年次よりレギュラーの座を掴む。そして同年度の第23回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(以下、大学選手権)において、同じく1年生だったシナリ・ラトゥ、ワテソニ・ナモアのトンガからの留学生らとともに、早稲田大学(以下、早大)を決勝で破って、大東大の初優勝に貢献。 1988年度の第25回大学選手権では、明治大学と、決勝で12-12の引き分けながらも2度目の大学日本一を経験。
加藤 尋久(かとう ひろなが、1967年6月16日 - )は… 加藤 尋久(かとう ひろなが、1967年6月16日 - )は、埼玉県出身の元ラグビー選手、ラグビー指導者。ポジションはSO(スタンドオフ)、CTB(センター)。 現在は東京都世田谷区用賀にあるトレーニングサロン「エウレカ」の代表としてパーソナルトレーニングを中心に行なっている。 ・ブルテリアを2匹(ブンタとバナナ)飼っている 熊谷工業でラグビーを始める。スタンドオフとして全国大会4強2回。 1986年、明治大学に入学。2年生の時には伝説の「雪の早明戦」に出場した。 1990年、神戸製鋼に入社、同社ラグビー部(現神戸製鋼コベルコスティーラーズ)に入部しV3~V7の5年間在籍。日本代表ではアルゼンチン遠征でキャップ2。
宿沢 広朗(しゅくざわ ひろあき、1950年9月1日 - 2… 宿沢 広朗(しゅくざわ ひろあき、1950年9月1日 - 2006年6月17日)は、埼玉県出身の元ラグビー選手、ラグビー日本代表監督。その一方で三井住友銀行取締役専務執行役員コーポレートアドバイザリー本部長を務めて金融界においても実績を残した(なお、宿沢の「沢」の文字は、当初「沢」だったが、いつしか「澤」の旧字が使われるようになった。ラグビーでは「沢」、銀行では「澤」が使われていたが、ここでは便宜上「宿沢」とする)。 埼玉県立熊谷高等学校でラグビーを始める。全国高等学校ラグビーフットボール大会(花園)出場歴はなし。 成績優秀だった宿沢は東京大学への進学を考えていたが、東大紛争により入試が中止されたため、早稲田大学政治経済学部へ進学した。
鏡 保幸(かがみ やすゆき、1950年2月27日 - )は、… 鏡 保幸(かがみ やすゆき、1950年2月27日 - )は、日本の元ラグビー選手及び指導者。 大東文化大学第一高校を経て、大東文化大学ラグビー部時代はスタンドオフ(SO)のポジションを務めた。1972年に大東文化大学卒業後、東京三洋電機へ進み社会人ラグビーでプレーをした。 現役引退後、1981年に母校・大東文化大の監督に就任。ホポイ・タイオネ、ノフォムリ・タウモエフォラウ、シナリ・ラトゥ、ワテソニ・ナモアなどトンガからの留学生を前面に、青木忍ら当時強豪として知られた付属大東大一高出身者など高校ラグビー界で鳴らした有力選手や力のある選手を中心にした陣容を率い、全国大学ラグビーフットボール選手権大会(以下、大学選手権)で3度の優勝をもたらした。
船戸 彰(ふなと あきら)は、日本のラグビー指導者。2023… 船戸 彰(ふなと あきら)は、日本のラグビー指導者。2023年から昌平高校ラグビー部の監督を務めている。 國學院栃木高校、大東文化大学を経て、2007年、富士ゼロックスFIREBIRDに加入 現役引退後、2013年、國學院栃木高校ラグビー部のコーチに就任。2年間務めた。 その後昌平高校ラグビー部のコーチを経て、2023年、監督に昇格。
小林 剛(こばやし つよし)は、日本のラグビー指導者。現在草… 小林 剛(こばやし つよし)は、日本のラグビー指導者。現在草加高校ラグビー部の監督を務めている。 県立浦和高校、筑波大学を経て、2000年、県立浦和高校ラグビー部の監督に就任。 2013年、監督として第93回全国高等学校ラグビーフットボール大会にて花園54年振りの出場に貢献。 2017年、県立浦和高校ラグビー部の監督退任。その後草加高校ラグビー部の監督に就任。