スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
平田 快笙(ひらた かい、1997年1月25日 - )は、日… 平田 快笙(ひらた かい、1997年1月25日 - )は、日本の元ラグビー選手。 16歳でラグビーを始めた。 2015年、大東大一高校卒業後、大東文化大学に入学。 2018年、大東文化大学ラグビー部の主将に就任した。 2019年大東文化大学卒業後、東芝ブレイブルーパス (現・東芝ブレイブルーパス東京)に加入。 2020年1月25日にジャパンラグビートップリーグ第3節Honda HEAT戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2022年、現役を引退した。
中村 和史(なかむら かずし、1994年6月7日 - )は、… 中村 和史(なかむら かずし、1994年6月7日 - )は、日本のラグビー選手。 高校からラグビーを始めた。 2013年、大東大一高校卒業後、大東文化大学に入る。 2017年、大東文化大学卒業後、日野自動車レッドドルフィンズに加入。同年9月24日に行われたジャパンラグビートップチャレンジリーグ1stステージ第3節のマツダブルーズーマーズ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2020年、日野レッドドルフィンズを退団した。
田中 輝希(たなか てるき、1992年8月26日 - )は、… 田中 輝希(たなか てるき、1992年8月26日 - )は、東京都出身のサッカー選手。登録ポジションはフォワード。 三菱養和SCユース所属時代の2010年2月に名古屋グランパスのキャンプに練習生として参加。首脳陣から評価を得て、2011年に名古屋に入団。2013年には第5節・柏レイソル戦でスタメンに抜擢されると、セットプレーからヘディングで自身Jリーグ初ゴールを記録。次の試合でもゴールを決める活躍を見せるも、その後は徐々に出場機会は減少した。同年オフにJ2・大分トリニータに期限付き移籍。尚、名古屋時代はMF登録だったが、大分では登録ポジションはFWとなっていた。 2015年、名古屋へ復帰。同年シーズン終了後、契約満了のため退団。
鈴木 祐真(すずき ゆうま、1991年3月8日 - )は、日… 鈴木 祐真(すずき ゆうま、1991年3月8日 - )は、日本の俳優。埼玉県出身。大東文化大学第一高等学校卒業、日本大学芸術学部映画学科演技コース卒業。身長180cm。血液型はA型。
生方 信孝(うぶかた のぶたか、1988年3月28日 - )… 生方 信孝(うぶかた のぶたか、1988年3月28日 - )は、日本の元ラグビー選手。 2006年、大東大一高校卒業後、大東文化大学に入る。 2010年、大東文化大学卒業後、Honda Heat(現・三重ホンダヒート)に加入。 2012年9月8日に行われたトップウェスト第1節の中部電力戦に先発出場で公式戦初出場を果たす。 2022年、現役を引退した。
松田 圭祐(まつだ けいすけ、1988年1月6日 - )は、… 松田 圭祐(まつだ けいすけ、1988年1月6日 - )は、日本のラグビーユニオン選手。 16歳からラグビーを始める。 2006年、大東大一高校卒業後、大東文化大学に入学する。なお大東大一高校時代、高校日本代表候補に選ばれたことがある。 2009年、大東文化大学ラグビー部の副将に就任した。 2010年、大東文化大学卒業後、東芝ブレイブルーパスに加入。同年9月3日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節の三洋電機ワイルドナイツ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2020年、東芝ブレイブルーパスを退団した。
田中 順也(たなか じゅんや、1987年7月15日 - )は… 田中 順也(たなか じゅんや、1987年7月15日 - )は、東京都板橋区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 小学校1年生の時から本格的にサッカーを始めた。小学生時代は高島平SCと掛け持ちで三菱養和SCのスクールに通い、卒業後は三菱養和巣鴨SCジュニアユースへ昇格。力強いドリブルで前線に切り込み、左足の豪快なシュートを狙うプレースタイルから「三菱養和のアドリアーノ」の異名を取った。 高校3年時の2005年には、チームのエースストライカーとして背番号「10」を背負い、第29回日本クラブユースサッカー選手権に出場したが、香川真司、吉田麻也、安田理大、槙野智章といった後の日本代表メンバーが勢揃いした大会で目立った成績は残せず、グループリーグで敗退。
溝口 優(みぞぐち ゆう、1986年12月7日 - )は、東… 溝口 優(みぞぐち ゆう、1986年12月7日 - )は、東京都世田谷区出身の日本の俳優である。身長178cm、血液型はA型である。劇団fool主宰。 大東文化大学第一高等学校卒業、代々木アニメーション学院入学。そこで初めて芝居に出会い、カクスコや劇団☆新感線に多大な影響を受ける。舞台、映像、声優を中心に活動する傍ら、殺陣・アクションでも活躍している。 2007年に自身が主宰の「劇団fool」を旗揚げ。年2〜3回の本公演を手掛ける傍ら自らも出演する。舞台天元突破グレンラガンに出演以来、IZAMと交友がある。 代々木アニメーション学院演技講師。また殺陣師、舞台監督、演出助手などでも仕事をしている。
相 亮太(あい りょうた、1981年9月18日 - )は、日… 相 亮太(あい りょうた、1981年9月18日 - )は、日本のラグビーユニオン指導者。元ラグビーユニオン選手。流経大柏高校ラグビー部の監督を務めている。 小学1年生からラグビーを始めた。 2000年、大東大一高校卒業後、大東文化大学に入学する。 2003年、大東文化大学ラグビー部の主将に就任した。 2004年、大東文化大学卒業後、リコーブラックラムズに加入。同年10月31日に行われたジャパンラグビートップリーグ第7節のトヨタ自動車ヴェルブリッツ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2013年、現役を引退した。
生沼 知裕(おいぬま ともひろ、1981年4月30日 - )… 生沼 知裕(おいぬま ともひろ、1981年4月30日 - )は、ラグビーユニオン選手。 兄が出場した全国高校ラグビー都大会決勝を見て、ラグビーを始めた。 2000年、大東大一高校卒業後、大東文化大学に入る。なお大東大一高校時代、高校日本代表に選ばれたことがある。 2004年、大東文化大学卒業後、セコムラガッツに加入。同年9月4日に行われたトップイースト10第1節のブルーシャークス戦に先発出場で公式戦初出場を果たす。 2009年、リコーブラックラムズに加入。 2017年、リコーブラックラムズを退団。
ピエール中野(ピエールなかの、1980年7月18日 - )は… ピエール中野(ピエールなかの、1980年7月18日 - )は、日本のドラマー、DJ。スリーピースロックバンド凛として時雨のドラマー。凛として時雨以外にも数々のバンド・ユニットにドラマーとして参加(後述)。また、DJピエール中野名義でDJ、クールJ名義でヒップホップユニット玉筋クールJ太郎のMCも務める。本名、中野 正敏(なかの まさとし)。 埼玉県越谷市出身。ムーヴィング・オン所属。 中学2年の時にバンドを始めた時はギターだったが、練習場としていた北部市民会館の音楽室にあったドラムセットを練習の合間に叩いていたところ、仲間から褒められたことからドラムスに転向。中学3年のときにX JAPAN『破滅に向かって』のライブビデオを見て、YOSHIKIのドラムパフォーマンスに衝撃を受け、本格的にドラマーを目指す。
曲山 英里(きょくやま えり、1979年4月12日 - )は… 曲山 英里(きょくやま えり、1979年4月12日 - )は、日本の元ファッションモデル、元女優。埼玉県出身・元アガペー所属。旧芸名は曲山 えり。 かつてはオスカープロモーションに所属していた。
吉武 大地(よしたけ だいち、1979年2月28日 - )は… 吉武 大地(よしたけ だいち、1979年2月28日 - )は、日本の歌手、バリトン、俳優。埼玉県さいたま市(旧浦和市)出身。東京藝術大学音楽学部声楽科・イタリアミラノ音楽院卒業。ヴォーカルグループ「ESCOLTA(エスコルタ)」「ブラウエライター」オペラユニット「THE LEGEND(ザ・レジェンド)」の新リーダーを務めた。さいたま観光大使、佐賀市プロモーション大使のひとり。 画家の父と歌手の母の下、幼少より芸術に触れる。3歳からピアノを習い子供ミュージカルに出演するなどするが、その後はスポーツ(テニス・水泳・野球・サッカーなど)に没頭。 高校3年の夏、国立競技場で三大テノール[誰?]来日公演を聞き、声の素晴らしさ、歌うことの素晴らしさに感銘を受け、声楽家を志すこととなる。
生沼 元(おいぬま はじめ、1979年1月27日 - 200… 生沼 元(おいぬま はじめ、1979年1月27日 - 2005年9月16日)は、元ラグビー選手。 大東大一高校、大東文化大学を経てセコムラグビー部(現・狭山セコムラガッツ)に加入。 2003年、精巣腫瘍を患い手術をするも2005年に腫瘍が肺に転移し再発し同年9月16日逝去。
木村 晃健(きむら こうけん、1974年4月5日 - )は、… 木村 晃健(きむら こうけん、1974年4月5日 - )は、日本のお笑いタレント。本名は木村 豊(きむら ゆたか)。 埼玉県上福岡市(現在のふじみ野市)出身。現在はフリーランス。 峰崎部屋所属の元大相撲力士で、現役時代の四股名は三杉豊高暁(みすぎゆたか たかあき)。 力士を志して峰崎部屋に入門し、1993年(平成5年)1月場所に翔鶴山(しょうかくざん)の四股名で初土俵を踏んだ。1995年(平成7年)5月場所より四股名を三杉豊(みすぎゆたか)と改名したが伸び悩み、1999年(平成11年)9月場所を以って現役を引退した。最高位は東三段目60枚目。 力士時代のキャリアを活かし、アマチュア時代に本名の木村豊として、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の名物コーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」に第2回から第6回まで5回連続出場。
青柳 勝彦(あおやぎ かつひこ、1973年6月1日 - )は… 青柳 勝彦(あおやぎ かつひこ、1973年6月1日 - )は、日本のラグビー指導者。現在ジャパンラグビーリーグワン埼玉パナソニックワイルドナイツのFWコーチ兼S&Cアシスタントを務めている。 大東大一高校卒業後、大東文化大学に入る。 大東文化大学卒業後、三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に加入。 現役引退後、パナソニック ワイルドナイツのストレングス&フィットネスコーチを経て、2013年、大東文化大学ラグビー部の監督に就任。 2017年、監督としてチームを22年ぶりのリーグ戦優勝に導く。 そして2019年、パナソニック ワイルドナイツのコーチに復帰。
酒井 宏之(さかい ひろゆき、1972年9月25日 - )は… 酒井 宏之(さかい ひろゆき、1972年9月25日 - )は、東京都北区出身の元ラグビー選手で現在は俳優。コラソン所属。現役時代のポジションはセンター(CTB)。 大東文化大一高校では1年で花園ベスト16を経験。 大東文化大学でも1年で関東大学ラグビーリーグ戦優勝。4年では関東リーグに加えて大学選手権との2冠を達成。 卒業後、リコーに入社。日本A代表、7人制などの日本代表として海外遠征に参加。 2000年、リコーラグビー部の主将を務める。 2002年、現役引退。俳優に転向する。 以降、テレビ・ラジオ・CM・モデル・舞台などで活躍。 近年は俳優活動の傍ら、六本木のカフェバーを経営したりイベントプロデュースやデザイナーとしても活動している。
小口 耕平(おぐち こうへい、1968年10月6日 - )は… 小口 耕平(おぐち こうへい、1968年10月6日 - )は、日本の実業家、元ラグビー選手。丸昌エンターテインメントの代表取締役を務めている。 大東大一高校、大東文化大学、伊勢丹を経て、リコー(現・リコーブラックラムズ東京)に加入。なお大東文化大学時代、主将を務めた。 1997年6月7日に行われたパシフィック・リム選手権アメリカ合衆国戦で日本代表初キャップを獲得した。 2006年、現役を引退して丸昌の代表取締役に就任。
青木 忍(あおき しのぶ、1968年1月26日 - )は、日… 青木 忍(あおき しのぶ、1968年1月26日 - )は、日本の元ラグビー選手及び元ラグビー監督。 大東大一高校時代、1985年度の全国高等学校ラグビーフットボール大会で優勝を経験。1986年に大東文化大学(以下、大東大)に入学し、1年次よりレギュラーの座を掴む。そして同年度の第23回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(以下、大学選手権)において、同じく1年生だったシナリ・ラトゥ、ワテソニ・ナモアのトンガからの留学生らとともに、早稲田大学(以下、早大)を決勝で破って、大東大の初優勝に貢献。 1988年度の第25回大学選手権では、明治大学と、決勝で12-12の引き分けながらも2度目の大学日本一を経験。
藤原 秀之(ふじわら ひでゆき、1968年1月10日 - )… 藤原 秀之(ふじわら ひでゆき、1968年1月10日 - )は、日本のラグビー指導者。現在桐蔭学園高校ラグビー部監督を務めている。 高校からラグビーを始めた 大東大一高校卒業後、日本体育大学に入る。なお大東一高校時代、花園優勝経験。 日本体育大学卒業後、1990年、桐蔭学園高校のラグビー部コーチに就任。 2002年、監督に就任。2011年、監督として花園初優勝を経験。
太田 光(おおた ひかり、1965年〈昭和40年〉5月13日… 太田 光(おおた ひかり、1965年〈昭和40年〉5月13日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、作詞家、文筆家、川柳作家、俳優。お笑いコンビ爆笑問題のボケ、ネタ作成を担当。相方は田中裕二。 埼玉県入間郡福岡町(上福岡市を経て、現在はふじみ野市)出身。タイタン所属。 1988年に田中裕二とのお笑いコンビ「爆笑問題」のメンバーとしてデビュー。荒唐無稽なボケやギャグで注目を集める一方で、政治・社会問題に対する持論も度々展開しており、生まれ育った日本への強い愛情と世界平和を希求する思いを発信し続けている。漫才のネタ作りを担当している他、コントや小説の執筆、作詞や川柳の作成及びイラストの作成などのセンスも評価されている。
山賀 教弘(やまが かずひろ、1963年2月17日 - )は… 山賀 教弘(やまが かずひろ、1963年2月17日 - )は、日本の男性俳優、声優。東京都出身。身長174cm、体重65kg、血液型はO型。 大東文化大学第一高等学校卒業後、青年座研究所を経て(14期)、1990年4月から劇団青年座に所属。 特技は歌。趣味はテニス、絵画鑑賞。
来生 たかお(きすぎ たかお、1950年〈昭和25年〉11月… 来生 たかお(きすぎ たかお、1950年〈昭和25年〉11月16日 - )は、日本のシンガーソングライター・作曲家である。本名は来生 孝夫(読みは同じ)。 ※以下では原則として、来生たかおは“来生”に省略、来生えつこは“来生えつこ”と表記。 アンニュイな歌声、都会的でノスタルジックな作風で知られるニューミュージックのアーティスト。マイナー調の曲が多く、淡々としつつ叙情的なメロディーが特長。ほとんどビブラートを掛けない歌唱は“来生節”とも称される。歌手活動と同時に、姉・来生えつことのコンビを主軸に作曲家としても活動しており、「セーラー服と機関銃」(歌唱:薬師丸ひろ子)、「スローモーション」「セカンド・ラブ」(歌唱:共に中森明菜)、「シルエット・ロマンス」(歌唱:大橋純子)、「マイ・ラグジュアリー・ナイト」(歌唱:しばたはつみ)など、日本ポピュラー音楽史上に残るスタンダードナンバーを数多く送り出している。
鏡 保幸(かがみ やすゆき、1950年2月27日 - )は、… 鏡 保幸(かがみ やすゆき、1950年2月27日 - )は、日本の元ラグビー選手及び指導者。 大東文化大学第一高校を経て、大東文化大学ラグビー部時代はスタンドオフ(SO)のポジションを務めた。1972年に大東文化大学卒業後、東京三洋電機へ進み社会人ラグビーでプレーをした。 現役引退後、1981年に母校・大東文化大の監督に就任。ホポイ・タイオネ、ノフォムリ・タウモエフォラウ、シナリ・ラトゥ、ワテソニ・ナモアなどトンガからの留学生を前面に、青木忍ら当時強豪として知られた付属大東大一高出身者など高校ラグビー界で鳴らした有力選手や力のある選手を中心にした陣容を率い、全国大学ラグビーフットボール選手権大会(以下、大学選手権)で3度の優勝をもたらした。
加藤 保男(かとう やすお、1949年〈昭和24年〉3月6日… 加藤 保男(かとう やすお、1949年〈昭和24年〉3月6日 - 1982年〈昭和57年〉12月27日?)は、日本の登山家。8000メートル峰に4度、エベレストに3度の登頂を果たした。エベレストをネパール、チベット両側から登頂したのは世界初。エベレスト3シーズン(春・秋・冬)登頂も世界初。埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。大宮市市民栄誉賞(現:さいたま市民栄誉賞)第一号を受賞。 1982年末に冬期エベレスト登頂を目指し、12月23日に7900mの最終キャンプから一人でアタックしたが片足のアイゼンが脱げ落ち、強風のなか8,100m地点で断念した。12月27日に再度、小林利明とともに最終キャンプからアタックし、約11時間後の15時55分登頂に成功した。
三原 昌平(みはら しょうへい、1947年 - )は、福島県… 三原 昌平(みはら しょうへい、1947年 - )は、福島県三春町出身のプロダクトデザイナー、教育者。三原デザイン事務所主宰。 「主な発表会・個展・受賞・出版など」
河東 純一(かとう じゅんいち、1946年〈昭和21年〉 -… 河東 純一(かとう じゅんいち、1946年〈昭和21年〉 - )は、日本の国家公務員、書家。内閣府職員。号は峰城。総理府内閣総理大臣官房人事課辞令専門官、内閣府大臣官房人事課辞令専門官などを歴任した。 茨城県出身。総理府にて辞令専門官などを務め、中央省庁再編後は内閣府に勤務した。官記、位記、辞令書などを揮毫した。内閣官房長官の小渕恵三が新元号を発表する際に掲げた「平成」の書を揮毫したことでも知られる。また、大東文化大学のロゴなども手掛けている。書家としての号は「蜂城」を名乗った。 茨城県にて生まれ育つ。大東文化大学第一高等学校在学中に書家を志し、毎晩100枚近く書き続けるなど修練を重ねた。同校卒業後は大東文化大学の文学部中国文学科に進学し、1969年(昭和44年)に卒業した。