スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
今野 美穂 (いまの みほ、1990年1月25日 - )は、… 今野 美穂 (いまの みほ、1990年1月25日 - )は、埼玉県出身の、日本の元陸上競技選手。第19回アジア陸上競技選手権大会女子棒高跳日本代表。身長165.0 cm、体重69 kg。 中学時代は器械体操に打ち込んだ。進学先の埼玉県立草加高等学校 に器械体操部がなく止むを得ず新体操部に所属したが馴染めずにいたところ、顧問にスカウトされて陸上部に転部。最初はポールを持っただけで筋肉痛になっていたが、翌年には県の新人大会で優勝。保育士の資格取得の目標もあり、同校卒業後、聖学院大学人間福祉学部児童学科に進学し、以降、本格的に棒高跳に打ち込むようになった。大学時代の日本学生陸上競技対校選手権大会は、2011年の第79回大会で2位に入るなど、4年連続入賞する成績を残した。
謙吾(けんご、1976年1月31日 - )は、日本の元男子総… 謙吾(けんご、1976年1月31日 - )は、日本の元男子総合格闘家。ラグビー指導者。埼玉県越谷市出身。 幼い頃はプロレスラーのアントニオ猪木に憧れ、中学校時代は水泳をやっていた。ラグビー部を題材にしたドラマ「スクール☆ウォーズ」に刺激され、埼玉県立草加高等学校からラグビーに熱中。県選抜メンバーとして国体に出場。高校日本代表に選出され海外遠征も経験した。進学した大東文化大学ラグビー部では1年生からレギュラーとなり、2年生の時には関東大学ラグビーリーグ戦グループで優勝。4年生では主将となり、関東大学ラグビーリーグ戦グループベストフィフティーンにも選ばれ、また日本代表候補にも選ばれた。大学時代には、明治大学ラグビー部に所属し後にプロレスラーとなった鈴木健想と対戦歴がある。
松田 努(まつだ つとむ、1970年4月30日 - )は、日… 松田 努(まつだ つとむ、1970年4月30日 - )は、日本の元ラグビー選手。 草加高校でラグビーを始め、関東学院大学進学後にナンバー8からフルバックに転向。トレードマークの長髪をなびかせながら大股のストライドでピッチを駆け抜けるランニングで学生時代より注目を浴びる。 大学卒業後に東芝府中へ入社。1996年からは当時の監督向井昭吾の「PからGO」の戦術のもと、日本選手権3連覇を達成するなどチームの中心選手となった。 日本代表には大学在学中のラグビーワールドカップ1991メンバーにも選出されるも、出場機会はなかった。1992年の香港戦で初キャップを獲得。その後日本代表の正FBに定着し、ラグビーワールドカップ1995、ラグビーワールドカップ1999、ラグビーワールドカップ2003に3大会連続出場した。
小沼 克行(こぬま かつゆき、1955年(昭和30年)8月1… 小沼 克行(こぬま かつゆき、1955年(昭和30年)8月14日 - )は、埼玉県春日部市大字粕壁出身で鏡山部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。身長180cm、体重134kg。得意手は左四つ、寄り。自己最高位は東前頭9枚目(1976年(昭和51年)5月場所)。通称・北の湖二世。 埼玉県立草加高等学校を中退後、角界入り。1971年(昭和46年)7月、元横綱・柏戸が興した鏡山部屋より初土俵を踏んだ。角界入りの動機は、以前より柏戸に心酔していたことであった。 なお、高校在学時までは、砲丸投げやサッカーなどを得意としていた。 入門当初から期待され、着々と番付を上げていった。 1975年(昭和50年)7月場所にて、同部屋の先輩である安達(後の前頭筆頭・蔵玉錦)と同時に十両へ昇進。