片桐 仁(かたぎり じん、1973年〈昭和48年〉11月27… 片桐 仁(かたぎり じん、1973年〈昭和48年〉11月27日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、声優、彫刻家。トゥインクル・コーポレーション所属。 埼玉県南埼玉郡宮代町出身。埼玉県立春日部高等学校、多摩美術大学卒業。身長176 cm。血液型B型。 妻は元モデルでタレントの村山ゆき(現・片桐友紀)。 雑誌で連載を抱え、数多くの造形作品を発表している。作風は顔をモチーフとしたものが多く、彫刻家として片桐斎仁吾郎名義で粘土の作品集も出版している。 造形作品を発表しているもののみ。コラムやエッセイは除く。 主にコラムやエッセイなど。造形作品の連載は除く。
平野功二(ひらのこうじ、Koji HIRANO, 1968年… 平野功二(ひらのこうじ、Koji HIRANO, 1968年7月25日 - )は、米国・ハワイを拠点に活動する写真家、映画監督、彫刻家である。 ハワイ大学マノア校芸術学部彫刻科卒。 1968年(昭和43年) 長野県南安曇郡豊科町(現・安曇野市)で生まれ直ぐに東京都豊島区へ。後に埼玉県春日部市へ。ホノルル・ハワイ在住。1986年、埼玉県立岩槻高等学校を卒業後、宝田明のミュージカル劇団に入団する。90年に渡米し、91年、アラバマ州・ギャズデン・ステート・コミュニティ大学に入学。93年に卒業するまでの間、アメリカ本土の全48州を車で回り、写真を撮影する。同年、渡布。99年にハワイ大学観光業経営学部、2001年に同大学芸術学部彫刻科を卒業し、ハワイを拠点にプロのフォトグラファーとして活動を始める。
平井 一嘉(ひらい かずよし、1958年 - )は、埼玉県秩… 平井 一嘉(ひらい かずよし、1958年 - )は、埼玉県秩父市出身の彫刻家。 主に大理石や御影石による野外彫刻作品を制作している。イタリアに留学し、大理石技術の星取り等を学ぶ。日本国内のコンクールで多数受賞、作品は日本、イタリア各地に展示されている。「豆」をテーマに、生命力や自然の営々としたつながりを大切にし、普段の生活の流れの中で目に留まらないもの、見えないものを、彫刻という三次元に構成して表現するというコンセプトに沿って制作している。 代表作に、「ハッピーバード」(山口県美祢市)、「NYMPH」(東京都調布市)、「豆物語」(茨城県桜川市)などがある。 現在 東北芸術工科大学非常勤講師。アトリエは埼玉県川越市に持つ。
関根 伸夫(せきね のぶお、1942年9月19日 - 201… 関根 伸夫(せきね のぶお、1942年9月19日 - 2019年5月13日)は、日本の現代美術家、彫刻家。多摩美術大学客員教授。埼玉県大宮市(現・さいたま市)生まれ。埼玉県と米カリフォルニア州に在住した。 1968年から1970年にかけて「もの派」をリードする作品を次々に発表。その後、「公共空間を活性化させるアート」に関心を移し、1973年、環境美術研究所を設立。東京都庁舎シティーホール前の《水の神殿》をはじめ、さまざまなモニュメントやプロジェクトを実現している。 1962年から1968年まで、多摩美術大学絵画科に在籍し、斎藤義重と高松次郎に師事する。 高松次郎のイリュージョニスティックな絵と立体作品は当時の東京のアートシーンで中心的な存在だった。
長澤 英俊(ながさわ ひでとし、1940年10月30日 - … 長澤 英俊(ながさわ ひでとし、1940年10月30日 - 2018年3月24日)は日本の彫刻家。現在の中国黒龍江省生まれ。 父親が日本軍の軍医として勤務していた満洲国牡丹江省東寧(トウネイ―現在の中国吉林省東寧・トンニン)で生まれた。1945年の敗戦時、ソ連軍が満洲に侵攻してきたため、長澤と家族は、突然の引揚げを余儀なくされた。助産婦だった母親の実家のある埼玉県比企郡川島郷三保谷村(現在の川島町)に定住した長澤は、県立川越高校時代に数学と絵画に傾倒し、多摩美術大学に進学してからは1963年の卒業まで、建築とインテリア・デザインを学ぶかたわら、空手と徒歩旅行に打ち込んだ。その間、東京上野で毎年開催されていた読売アンデパンダン展などをとおして「グタイ」、「ネオダダ」など当時最先端の前衛動向に親しく接し、芸術の本質が物質・物体に記録されなくても行為と精神に宿るものであることを理解した。
麦倉 忠彦(むぎくら ただひこ、1935年 - 2025年1… 麦倉 忠彦(むぎくら ただひこ、1935年 - 2025年1月26日)は、日本の彫刻家。九州産業大学大学院芸術研究科教授。 埼玉県草加市出身。1954年埼玉県立春日部高等学校卒業。1959年東京芸術大学芸術学部彫刻科卒業。1961年東京芸術大学研究科彫刻専攻修了。同大学研究室副手。 1963年日本美術家連盟会員に推挙。 アメリカ合衆国サウスダコタ州K・ジョーロコフスキー彫刻研究所に留学。1968年新制作協会会員に推挙。 1997年新宿パークタワー・ギャラリー1にて東京ガス都市開発主催による記念個展を開催。1999年新制作協会委員長。2000年草加市文化会館にて草加市文化賞受賞記念展開催。その後、埼玉県美術家協会運営審査員を歴任。
大熊 氏廣(おおくま うじひろ、1856年7月14日(安政3… 大熊 氏廣(おおくま うじひろ、1856年7月14日(安政3年6月13日) - 1934年(昭和9年)3月20日)は、日本の彫刻家。日本初の西洋式銅像とされる靖国神社の大村益次郎像で知られる。 鳩ヶ谷宿近くの武蔵国足立郡中居村八幡木(現埼玉県川口市八幡木)で農家の次男として生まれた。兄・徳太郎は後に篤農家として知られた人物である。 幼少時から絵が得意で、後に洋画を学んだ。1876年(明治9年)に開校した工部美術学校の彫刻科に入学し、イタリア人教師ラグーザのもとで学んだ。1882年に首席で卒業し、翌年、有栖川宮邸(J.コンドル設計)の建築彫刻を担当、1884年に工部省に入り、皇居(明治宮殿)造営などに関わった。