幾田 桃子(いくた ももこ、1976年 - )は、日本の実業… 幾田 桃子(いくた ももこ、1976年 - )は、日本の実業家、芸術家、教育者、社会活動家。株式会社サヴァン代表取締役CEO。 埼玉県生まれ。南カリフォルニア大学国際関係学部卒業。在学中に、ファッション業界による環境汚染問題に興味を抱く。2001年、米国法人株式会社 Le charme de fifi et fafa を設立。2003年、表参道にル シャルム ドゥ フィーフィー エ ファーファ―を設立。2006年、株式会社サヴァンを設立。 2022年、世界最古のファッション誌『ハーバーズ・バザー』の「未来を創造する7人の才能」に選ばれた。
ぺぺ長谷川(ぺぺはせがわ、1966年6月 - 2023年2月… ぺぺ長谷川(ぺぺはせがわ、1966年6月 - 2023年2月15日)は、日本の社会運動家。 埼玉県立浦和西高等学校卒業。早稲田大学第二文学部卒業。大学ではノンセクト系の左翼活動をやり7年間通う。大学では就職活動をしないで、卒業してから一度も就職していない。サラリーマンにならないという思想も有ったが、単に働きたくないということもあった。働きたくないの方が濃厚で、サラリーマンにならないという思想は後から付けた理由かもしれないと振り返る。これを幸せと感じることも多々あり、何が幸せか分からないとする。でも就職すれば良かったと思うこともある。 2020年時点で53歳の時には、週に1日のアルバイトと、月に2回のアルバイトと、他に日払いのアルバイトをして月収10万円弱。
伊藤 岳(いとう がく、1960年〈昭和35年〉3月6日 -… 伊藤 岳(いとう がく、1960年〈昭和35年〉3月6日 - )は、日本の政治家、反原発活動家。 埼玉県川口市出身。埼玉県立越ヶ谷高等学校、文教大学人間科学部卒業。 日本民主青年同盟埼玉県委員長、日本共産党埼玉中央地区委員長等を経て、参議院議員(1期)、日本共産党中央委員、同党埼玉県国民運動部長を歴任。 2001年に行われた第19回参議院議員通常選挙で国政に初挑戦した。比例区より立候補したが落選。 それからは2003年、2005年、2009年の衆議院選挙で埼玉1区より、そして2010年、2013年、2016年の参議院議員選挙に参議院埼玉県選挙区より日本共産党から立候補したものの、いずれも落選に終わっている。
江藤 正修(えとう まさのぶ、1944年 - 2017年5月… 江藤 正修(えとう まさのぶ、1944年 - 2017年5月24日)は、昭和から平成時代の社会運動家、ジャーナリスト。政治グループ・MELTの中心メンバー。『労働情報』編集長。 東京都杉並区、埼玉県川口市で育ち、中学生のとき隣家の共産党員から影響を受けた。1960年、埼玉県立浦和西高校に入学。1962年、日本社会主義青年同盟に加盟。1963年、高校の先輩で後に全国反戦委員会世話人となる村上明夫により社青同構造改革派(後の主体と変革派)の一員となった。高校卒業後、一浪して法政大学文学部に入学。1966年頃に村上の誘いで社青同の専従となり、1968年に埼玉県反戦青年委員会事務局長となった。 70年闘争の後は左翼運動から離れてサラリーマン生活を送っていたが、社青同に加入していた第四インターメンバーと再会したことが契機となり、1974年に第四インターナショナル日本支部に加盟した。
飯塚 繁雄(いいづか しげお、1938年〈昭和13年〉6月8… 飯塚 繁雄(いいづか しげお、1938年〈昭和13年〉6月8日 - 2021年〈令和3年〉12月18日)は、日本の人権活動家。北朝鮮による拉致被害者である田口八重子の長兄。「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(通称、「家族会」)の代表を務めた。 1938年(昭和13年)6月8日、東京市神田区(現・東京都千代田区神田)で生まれる。疎開で各地を転々とし、終戦後は埼玉県川口市へ転居した。1954年(昭和29年)、15歳で家計を支えるため民生デイゼル工業株式会社(現・UDトラックス株式会社)へ入社し、機械技術者となるため埼玉県立川口工業高等学校定時制課程に入学、昼は働いて夜は学校へ通う生活を送る。1955年(昭和30年)8月、17歳の時に末妹の八重子が生まれた。
松崎 明(まつざき あきら、1936年〈昭和11年〉2月3日… 松崎 明(まつざき あきら、1936年〈昭和11年〉2月3日 - 2010年〈平成22年〉12月9日)は、日本の労働運動家。革マル派副議長。鉄道労連(後にJR総連)副委員長、東鉄労(後のJR東労組)委員長を務め、JR東労組会長、顧問を務め、事実上JR東労組のトップだった。 埼玉県出身。埼玉県立川越工業高等学校卒。愛称は松っつあん。 国鉄動力車労働組合(動労)元委員長を務め、全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)・東日本旅客鉄道労働組合(JR東労組)顧問を務めていた。 なお、元革命的労働者協会活動家の松崎重利は実父が同様に日本国有鉄道(国鉄)職員で姓が同じであるが、縁戚関係はなく政治活動面においても無関係である。
井野川 潔(いのかわ きよし、1909年5月15日 - 19… 井野川 潔(いのかわ きよし、1909年5月15日 - 1995年12月21日)は、日本の教育運動家。本名は早船斌男(よしお)。妻は早船ちよ。 埼玉県川口市出身。埼玉師範学校卒業。小学校教師となる。 1931年退職し、郷土社で『綴方生活』などを編集。新興教育研究所に属し左翼教育運動を行い、弾圧を受ける。 1934年早船ちよと結婚、共に浦和市(現・さいたま市)で児童文化運動にかかわる。 戦時中科学工業新聞社、朝日映画社に勤務。 戦後は教育運動史研究会を運営、新作家協会・児童文化の会の創立に参画し、『新作家』『子ども世界』などを主宰した。また、『新興教育』『綴方生活』の復刻や出版に努めた。1977年生活綴方研究会を創設、教育運動史研究の隆盛に貢献した。
秋笹 政之輔(あきささ まさのすけ、1903年1月16日 -… 秋笹 政之輔(あきささ まさのすけ、1903年1月16日 - 1943年7月15日)は、日本の戦前の政治運動家。日本共産党中央委員、「赤旗」編集長。 埼玉県北足立郡田間宮村(現鴻巣市)出身。本名は正之輔。埼玉県立熊谷中学校を経て早稲田大学附属第二高等学院に進む。同学院在学中に関東学生連合会に加盟、組織部長・常任委員。1926年3月、京都学連事件に連座、軍事教練反対などの運動を指導、退学処分になる。 1927年1月、産業労働調査所に入り機関誌『インターナショナル』の編集発行人。1927年10月、労働農民党に入党、本部書記。1928年7月、日本共産党に入党。1929年4月、四・一六事件で逮捕、懲役5年の判決を受けたが病気を理由に1931年2月に保釈出所。
長島恭助(ながしま きょうすけ、1901年(明治34年)9月… 長島恭助(ながしま きょうすけ、1901年(明治34年)9月17日 - 1992年(平成4年)9月22日)は、日本の銀行家、社会福祉活動家、古美術品愛好家。さいたま市名誉市民。 埼玉県大里郡吉見村(のちの大里村、現・熊谷市)小八ッ林の豪農で、のちに吉見村長を務めた長島甚助、せい夫妻の長男として生まれる。 吉見尋常小学校(現・熊谷市立吉見小学校)、吹上尋常小学校高等科、旧制熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)、山口高等商業学校(現・山口大学)を経て、1923年(大正12年)に渋沢栄一が設立に深く関与し、その甥が頭取を務める武州銀行に入行。 1943年(昭和18年)7月の八十五銀行、忍商業銀行、飯能銀行との合併による埼玉銀行の発足と同時に本店営業部長に就任した。
安部 立郎(あんべ たつろう、1886年2月6日 - 192… 安部 立郎(あんべ たつろう、1886年2月6日 - 1924年2月29日)は、日本の図書館員、郷土史家。 埼玉県川越市生まれ。1903年埼玉県立川越中学校卒業、1909年早稲田大学政治経済学科卒業。学生時代は外交官志望であった。中学時代から図書館設立に努め、学生団体の学生同志会を創設すると、1906年に川越市内に同志会図書館を設立した。1913年には川越尋常高等小学校の図書館と合併し、私立川越図書館となり、同図書館の理事に就任した。1918年に町立川越図書館となると司書として勤務し、郷土資料の収集に努め、近世の地誌類を翻刻する川越叢書の刊行にあたった。資料の収集は文献のみならず、考古資料の調査研究にもあたり、考古学会や東京人類学会の会員となったほか、1919年には梅原末治の紹介により史学研究会に入会した。
発智 庄平(ほっち しょうへい、1864年11月4日〈元治元… 発智 庄平(ほっち しょうへい、1864年11月4日〈元治元年10月5日〉- 1936年〈昭和11年〉2月28日)は、日本の教育者、実業家、社会事業家。埼玉・笠幡村の大地主・発智家の27代目当主で埼玉県多額納税者。黒須銀行頭取、霞ヶ関村村長、埼玉育児院院長のほか、武州銀行(黒須銀行後身)、武州貯蓄銀行、日米生糸の役員などを務め、霞ヶ関カンツリー倶楽部の創設者でもある。 埼玉の黒須村(現入間市)で代々名主役を務めた豪農商・繁田家の12代繁田武平(満義)の長男・亀太郎として生まれ、親戚の発智家の養嗣子となり、埼玉県師範学校高等師範科卒業後、黒須高等小学校を設立し校長となる。 日本弘道会の西村茂樹の講演に触発されて、弟の13代繁田武平(翠軒)と同会の支部と黒須信用組合を1894年に設立、1898年には霞が関村支部も設立して西村の唱える「道徳と経済」の調和と活性化を図り、弘道会の全国集会では「農民の道徳」と題した演説も行なった。