長堀 和正(ながほり かずまさ、1961年〈昭和36年〉3月… 長堀 和正(ながほり かずまさ、1961年〈昭和36年〉3月30日 - )は、日本の銀行家。武蔵野銀行代表取締役頭取。 埼玉県草加市生まれ。1984年(昭和59年)3月に立教大学社会学部産業関係学科を卒業し、同年4月に武蔵野銀行入行。大学では斎藤精一郎教授のゼミに所属して金融を学んでいた。 2001年総合企画部経営政策室長。2003年北浦和支店次長、2006年戸田西支店長、2008年越谷支店長、2010年総合企画部長。2011年執行役員総合企画部長。武蔵野銀行の長期ビジョンおよび中期経営計画の策定を取りまとめる。2014年常務取締役。2017年専務取締役。 2019年(令和元年)6月、代表取締役頭取に就任。
長島恭助(ながしま きょうすけ、1901年(明治34年)9月… 長島恭助(ながしま きょうすけ、1901年(明治34年)9月17日 - 1992年(平成4年)9月22日)は、日本の銀行家、社会福祉活動家、古美術品愛好家。さいたま市名誉市民。 埼玉県大里郡吉見村(のちの大里村、現・熊谷市)小八ッ林の豪農で、のちに吉見村長を務めた長島甚助、せい夫妻の長男として生まれる。 吉見尋常小学校(現・熊谷市立吉見小学校)、吹上尋常小学校高等科、旧制熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)、山口高等商業学校(現・山口大学)を経て、1923年(大正12年)に渋沢栄一が設立に深く関与し、その甥が頭取を務める武州銀行に入行。 1943年(昭和18年)7月の八十五銀行、忍商業銀行、飯能銀行との合併による埼玉銀行の発足と同時に本店営業部長に就任した。
村上 義之助(むらかみ よしのすけ、1888年3月 - 19… 村上 義之助(むらかみ よしのすけ、1888年3月 - 1980年)は、大正から昭和にかけての日本の銀行家。 埼玉縣信用金庫初代理事長および会長、全国信用金庫連合会(現・信金中央金庫)会長を務めた。 埼玉県忍町(現・行田市)初代町長の村上多熊の次男として、忍町で生まれる。 埼玉県立熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)を経て埼玉県師範学校(現・埼玉大学)を卒業した。その後県下の3町村で小学校教員を務めたが、1915年(大正4年)に退職した。1918年に忍町北谷信用組合を設立し、専務理事に就任する。第一次世界大戦の好況期に創業したため、業績は順調で、預金量を増やした(1920年に「忍町信用組合」に改称)。
武政 藤太郎(たけまさ とうたろう、1857年10月12日(… 武政 藤太郎(たけまさ とうたろう、1857年10月12日(安政4年8月25日) - 没年不明)は、日本の政治家、銀行家。埼玉県大里郡榛沢村長。深谷銀行取締役。族籍は埼玉県平民。 埼玉県大里郡榛沢村(のち岡部町、現・深谷市)出身。兵助の嫡男。寺子屋に学び、私塾等にて漢学を研修する。農業を営む。戸長連合村副戸長を歴任する。 榛沢村助役に推され、10数年に亘り勤続して村長を補佐する。1894年4月に榛沢村長に就任し、1902年10月に退職する。榛沢村会議員を4期つとめる。 村政の元老で、多年自治開発に努力精進して名望が高かった。 武政家は旧幕時代、組頭をつとめた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
双木 八郎(なみき はちろう、1853年 - 1923年12… 双木 八郎(なみき はちろう、1853年 - 1923年12月8日)は、日本の政治家、銀行家。 名栗村の柏木家で生まれ、利八郎の養子になった。真能寺村戸長、飯能・久下分・真能寺の三村が合併した連合村の筆生を経て、1889年、飯能町(現・飯能市)の初代町長に就任した。1897年、自治行政の功により藍綬褒章を受けた。1903年頃から、第三十六銀行の監査役、取締役を務める。 1907年、日露戦争銃後の功により勲七等に叙せられた。1908年から2期8年、町長と兼任して埼玉県会議員を務めた。1910年から4年間は小山八郎平と交替したが、1922年に健康上の問題で退任するまで前後あわせて30年にわたり町長を務めた。