大纒 千代吉(おおまとい ちよきち、1863年(文久3年) … 大纒 千代吉(おおまとい ちよきち、1863年(文久3年) - 1934年(昭和9年)10月14日)は、現在の千葉県船橋市馬込町出身で出来山部屋に所属した大相撲力士。本名は鈴木 千代吉→松枝 忠三。最高位は前頭筆頭。8代出来山。 先代大纒の出来山部屋に入門し、1885年5月場所で序ノ口に就く。四股名は初めは「當り島」を名乗り、後に師匠の四股名の「大纒」を名乗った。1889年1月に十両に上がり、1891年5月に新入幕を果たした。1894年1月、西前頭4枚目で大関小錦(のち横綱)に勝ち、6勝2敗1分の成績を収めた。攻めや守りに技を使いこなす取り口を見せた。最高位の前頭筆頭まで進んだ1899年1月に「出来山」と改名した。
荒馬 吉五郎(あらうま きちごろう、文化6年(1809年) … 荒馬 吉五郎(あらうま きちごろう、文化6年(1809年) - 嘉永7年5月18日(1854年6月13日))は、下総国葛飾郡(現在の千葉県船橋市本町)出身で宮城野部屋に所属した江戸時代の大相撲力士。八戸藩のお抱え力士。本名は松本。最高位は西関脇。幕内通算成績は27場所 86勝54敗29分7預4無83休。嘉永7年、現役中のまま死去。数え46歳没。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
勝ノ浦 与一右エ門(かつのうら よいちえもん、1843年〈天… 勝ノ浦 与一右エ門(かつのうら よいちえもん、1843年〈天保14年〉 - 1888年〈明治21年〉7月22日)は、勝ノ浦部屋及び境川部屋に所属した力士。 本名は吉井→川島 力之助。身長162cm,体重105kg(成人時)。出身地は現在の千葉県山武市(旧・上総国武射郡)。 最高位は東前頭筆頭。 農家の次男として出生。子供の時から体格が大きく、怪童力士として1850年11月に初土俵を踏んだ。当時数え8歳で、121cm,68kgあったと伝わる。嘉永年間は土俵入りのみだった(番付上は西張出前頭。当時の四股名は鬼若力之助だった)が、1860年10月に序ノ口として相撲を取り始めた。最初は苦労したが、明治に入って力を付け始め、1870年4月に十両昇進(西二段目7枚目となり十両相当となった)。
境川 浪右衛門(さかいがわ なみえもん、1841年5月28日… 境川 浪右衛門(さかいがわ なみえもん、1841年5月28日(天保12年4月8日) - 1887年(明治20年)9月16日)は、下総国葛飾郡(現・千葉県市川市高谷)出身で境川部屋に所属した大相撲力士。第14代横綱。本名は宇田川 政吉(うだがわ せいきち(まさきち))で、のちに市川 政吉(いちかわ - )から市川 浪右衛門( - なみえもん)。 1841年に下総国葛飾郡(現:千葉県市川市)で製塩業を営む家に三男として生まれる。13歳で江戸・新川(現:東京都中央区新川)にあった酒問屋「小西屋」に奉公へ出たが、四斗樽を楽々と運ぶ政吉を見た相撲好きの主人が力士転向を熱心に勧め、境川部屋に入門、1857年11月場所で初土俵を踏んだ。
高砂 浦五郎(たかさご うらごろう、天保9年11月20日(1… 高砂 浦五郎(たかさご うらごろう、天保9年11月20日(1839年1月5日) - 明治33年(1900年)4月8日)は、上総国山辺郡(現在の千葉県東金市)出身で明治期の大相撲力士・年寄。最高位は前頭筆頭。身長170cm、体重100kg。本名は山崎 (後に一時今井姓)伊之助(後に浦五郎)。現在まで続く高砂部屋の開祖である。 農家の三男で土地相撲で活躍し、20代半ばで妻子ある身ながら江戸へ出て、3代阿武松庄吉の門下に入った。東海大之助の初名で1863年(文久3年)8月場所に初土俵を踏み、1865年(元治2年)に序ノ口についた。1867年(慶応3年)に三段目に昇進、ここで姫路藩のお抱え力士になり「高見山大五郎」の四股名を名乗るようになった。
小柳 常吉(こやなぎ つねきち、1838年〈天保9年〉 - … 小柳 常吉(こやなぎ つねきち、1838年〈天保9年〉 - 1881年〈明治14年〉8月20日)は、阿武松部屋、武隈部屋、鬼面山部屋に所属した元力士。本名は御簾生 春吉(御簾納とする資料もある)。上総国市原郡戸田村岩崎(現在の千葉県市原市南岩崎)出身。身長170cm・体重115kg。最高位は西関脇。 1858年1月場所で初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1861年10月場所5日目に千草山と改名し、徳島藩のお抱え力士となった。1866年3月場所で東十両9枚目(十枚目格)に昇進。その場所で、いきなり7勝1敗の優勝次点の好成績を挙げた(優勝相当成績は同じ徳島藩お抱えの千羽ヶ嶽兵右エ門〈8勝1分け〉)。
象ヶ鼻 平助(ぞうがはな へいすけ、1836年(天保7年) … 象ヶ鼻 平助(ぞうがはな へいすけ、1836年(天保7年) - 1890年(明治23年)3月18日)は、安房国館山(現・千葉県館山市)出身の大相撲力士。最高位は大関。身長171cm、体重103kg。所属部屋は谷川部屋→雷部屋→高砂改正組。幸運かつ異例なスピード出世で知られる。 元幕下二段目・鍬形の4代谷川の門人となり1859年(安政6年)11月鍬形 平次の名で幕下に付出される。1861年(万延2年)轟 平助と改め1866年(慶応2年)11月場所4日目より丸亀藩の抱えとなり象ヶ鼻 平助を名乗る。1868年(慶応4年)6月入幕。1870年(明治3年)4月小結を飛ばして関脇、翌1871年(明治4年)3月鬼面山谷五郎の引退を受けて大関に昇進。
盤石 力勝(ばんじゃく りきかつ、1834年〈天保5年〉 -… 盤石 力勝(ばんじゃく りきかつ、1834年〈天保5年〉 - 1875年〈明治8年〉10月15日)は、木瀬部屋,錦戸部屋に所属した元力士。江戸時代最後の新入幕力士である。 本名は古茶とのみ伝わっている(姓か名かは不明)。上総国市原郡養老村(現在の千葉県市原市養老)出身。身長・体重は不明。 最高位は西前頭筆頭。 津藩のお抱え力士として、1857年11月場所で初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1863年7月場所で、西十両9枚目(十枚目格)に昇進。十両時代は5割程度の勝率だったこともあり、比較的ゆっくりと昇進を重ねていった。1867年6月場所で、新入幕を果たした(ちなみに前述の通り、江戸時代最後の新入幕力士となった)。
荒馬 大五郎(あらうま だいごろう、1793年5月5日 - … 荒馬 大五郎(あらうま だいごろう、1793年5月5日 - 1849年7月16日)は、下総国千葉郡馬加村(現在の千葉県千葉市花見川区幕張)出身で桐山部屋、大坂相撲の小野川部屋に所属した大相撲力士。本名は川島 重美(紋重郎)。最高位は関脇。2代目年寄宮城野を襲名。身長197cm、 文化8年~11年11月は横須賀藩のお抱え 出生地の幕張には墓があり、「宮城野馬五郎重美之墓」とある。 千葉ヶ嵜→荒馬紋蔵→荒馬大五郎→宮城野馬五郎→年寄宮城野 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
戸田川 鷲之助(とだがわ わしのすけ、1791年(寛政3年)… 戸田川 鷲之助(とだがわ わしのすけ、1791年(寛政3年)/1792年(寛政4年) - 1819年(文政2年)5月3日(旧暦4月10日))/1824年(文政7年)7月21日(旧暦6月25日)は、上総国埴生郡(現在の千葉県茂原市綱島)出身の元大相撲力士。本名は井桁 秀五郎(いけた しゅうごろう)。 出生地は上総国埴生郡。1808年(文化5年)10月場所において戸田川 鷲之助の名で松江藩の抱え力士として初土俵を踏むと、いきなり西小結に付け出される。数え年17歳(満16歳)での三役となり、記録に残る三役昇進年齢としては史上最年少記録である。しかしこれには、義父だった相撲会所頭取・錣山喜平治の強い意向があったと伝わる。
鬼面山 与一右エ門(きめんやま よいちえもん、1768年〈明… 鬼面山 与一右エ門(きめんやま よいちえもん、1768年〈明和5年〉 - 1832年8月5日〈天保3年7月10日〉)は、小野川部屋(大坂相撲),勝ノ浦部屋,境川部屋に所属した元力士。 本名は国本 与平治。身長は188cm、体重は158kgと非常に大柄だった。出身地は現在の千葉県富里市(旧・下総国印旛郡)。 最高位は東大関。初めは明石藩(1789年11月~1791年6月)、後に徳島藩蜂須賀氏(1791年11月~)の抱えであった。 1789年3月初土俵(二段目格番附外)。翌1790年10月東二段目10枚目にあがり、現在でいう十枚目昇進を果たす。1790年11月場所、7勝1敗1分の成績で初の優勝相当成績を挙げた。
豊昇龍 智勝 は、モンゴル国ウランバートル市出身で立浪部屋所… 豊昇龍 智勝 は、モンゴル国ウランバートル市出身で立浪部屋所属の現役大相撲力士。第74代横綱。本名はスガラグチャー・ビャンバスレン。血液型はAB型。好物はかつ丼。嫌いなものは魚介類、トマト。叔父に第68代横綱・朝青龍明徳がいる。 いわゆる「花のイチイチ組」の1人。
待乳山 楯之亟(まつちやま たてのじょう、生年不明 - 18… 待乳山 楯之亟(まつちやま たてのじょう、生年不明 - 1862年5月10日〈文久2年4月12日〉)は、入間川部屋及び待乳山部屋に所属した元力士。本名・身長・体重とも不明。。下総国香取郡(現在の千葉県旭市)出身。最高位は西前頭8枚目。 1851年11月場所で初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1858年11月場所で西十両8枚目(十枚目格)に昇進。1860年2月場所で6勝2敗1預の優勝相当成績を挙げた。翌1860年10月場所より園部藩のお抱えとなり、1861年10月場所で新入幕を果たした。この場所でも6勝3敗1休の好成績を挙げ、将来の躍進が期待されたが、翌1862年3月場所後の4月12日に急逝。
小柳 常吉(こやなぎ つねきち、1817年(文化14年)8月… 小柳 常吉(こやなぎ つねきち、1817年(文化14年)8月 - 1858年5月6日(安政5年3月23日)は、上総国市原郡上高根村(現・千葉県市原市上高根)出身の大相撲力士。本名は高石 桂治。所属部屋は武隈部屋→雷部屋→阿武松部屋。アンコ型の大関として知られた。 横綱阿武松緑之助の弟子となり1835年(天保6年)1月緑松 慶治郎の名で二段目に付け出されるが4番取って全敗。翌10月場所東二段目11枚目につくも2敗して休場。1836年(天保7年)2月8枚目に上がって緑松 常吉と改めるが1預を挟んで4連敗。6日目に漸く初白星を上げた。(この場所6日目限り)その後も負け越し続きながら番付はじりじり上がった。
照ヶ嶽 光右エ門(てるがたけ こうえもん、文政11年(182… 照ヶ嶽 光右エ門(てるがたけ こうえもん、文政11年(1828年) - 明治6年(1873年)5月13日)は、下総国葛飾郡(現在の千葉県船橋市海神)出身で、宮城野部屋、追手風部屋、雷部屋、追手風部屋に所属した江戸時代の大相撲力士。本名は海津 八五郎(途中で金子 為右衛門と改名)。最高位は東前頭2枚目。幕内通算成績は12場所 27勝27敗3分4預57休。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。