桜井 直蔵(櫻井 直藏、さくらい なおぞう、1849年2月1… 桜井 直蔵(櫻井 直藏、さくらい なおぞう、1849年2月13日(嘉永2年1月21日) - 1929年(昭和4年)1月23日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 下総国香取郡西大須賀村(後の千葉県香取郡滑河町→下総町、現在の成田市)生まれ。農業を営む。その傍ら、1872年に学制が発布されると、私財を投じて村内に学校を建てた。1878年に西大須賀村外二ヶ村戸長となる。また、利根川流域は水害が頻繁に起こるため、利根川の護岸工事の必要性を流域住民に戸長として訴えた。1884年に堤防が完成した。1886年に大和田村外六ヶ村の戸長を兼ね、さらなる治水事業に着手し、利根川の堤防改修工事を完成させた。1889年に町村制が施行されると初代滑河町長に就任した。
小倉 良則(おぐら よしのり / りょうそく、1848年10… 小倉 良則(おぐら よしのり / りょうそく、1848年10月13日(嘉永元年9月17日)- 1920年(大正9年)10月9日)は、明治期の実業家、教育者、政治家。衆議院議員、千葉県会議長。 下総国埴生郡土室村(千葉県下埴生郡土室村、印旛郡久住村土室を経て現成田市土室)で、小倉源之助の息子として生まれる。武本右京に師事し漢学を修め、中村一心斎に武術を学んだ。東京に遊学したが、郷里で地租改正の測量地図作成者がおらず、そのため帰郷して地図作成を担当。事業終了後に上京し、依田菫、今井芳洲に師事し漢学を修めた。 1882年(明治15年)に帰郷し1883年(明治16年)北総英漢義塾(現成田高等学校・付属中学校)を設けて郷土の子弟の教育を行った。
千葉 禎太郎(ちば ていたろう、1847年4月3日(弘化4年… 千葉 禎太郎(ちば ていたろう、1847年4月3日(弘化4年2月18日)- 1931年(昭和6年)4月21日)は、幕末・明治から昭和時代前期の大地主、政治家、実業家、銀行家。衆議院議員(7期)。 上総国市原郡今富村(千葉県海上村、三和町を経て現市原市)出身。千葉氏の末裔。漢学を修める。1868年(明治元年)里正に就任。1875年(明治8年)千葉県代議人となり、村会議員、郡会議員、郵便局長、小学校長を歴任する。この間、戸長も務めた。1879年(明治12年)県制発布とともに千葉県会議員に当選し、市原倶楽部を設立した。ほか、大日本農会、大日本水産会連合品評会各評議員および協賛会長、千葉県教育会評議員、神国生命保険社長、興業貯蓄銀行、成田鉄道各監査役、千葉県農工銀行頭取、東京米穀取引所理事および監査役などを歴任した。
西村 甚右衛門(甚右衞門、にしむら じんうえもん、1847年… 西村 甚右衛門(甚右衞門、にしむら じんうえもん、1847年2月24日(弘化4年1月10日)- 1926年(大正15年)10月24日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。 下総国海上郡成田村(千葉県海上郡成田村、旭町を経て現旭市)で、呉服商、醤油醸造業「成田屋」当主・西村醇治の二男として生まれた。鹿島の儒学者・吉川松浦に師事し漢学を修め、塾頭を務めた。 1879年(明治12年)3月、第1回千葉県会議員選挙で当選し、当時の議員半数改選の制度により再選されたが、日本の府県会は有名無実で自らの意思を貫徹することはできないとして、再任を辞退し1880年(明治13年)8月に議員を退任した。 その後、1881年(明治14年)同志と東京醤油会社を設立し、醤油の共同販売と品質向上を図り、また、1883年(明治16年)アムステルダムで開催された植民地博覧会(en:International Colonial and Export Exhibition)に出品するなど、醤油の海外への販路を開拓した。
髙梨 正助(たかなし しょうすけ、1843年6月12日(天保… 髙梨 正助(たかなし しょうすけ、1843年6月12日(天保14年5月15日)- 1925年(大正14年)7月18日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、千葉県会議長、千葉県夷隅郡東村長。 上総国夷隅郡佐室村(千葉県夷隅郡佐室村、東村佐室、大原町を経て現いすみ市佐室)で、農業・髙梨正作、モトの長男として生まれる。堀江文同に師事し漢学を修めた。1867年(慶応3年)組頭、名主に就任。1869年(明治2年)から1879年(明治12年)まで、宮谷県、木更津県、千葉県の捕亡掛、第6大区副区長、同戸長を歴任した。この間、自由民権運動に加わり、1879年、以文会の発会式に参加した。 1880年(明治13年)1月、補欠選挙で千葉県会議員に選出され、1891年(明治24年)11月まで在任し、この間、同副議長(1889年11月-1890年10月)、同議長(1890年10月-1891年11月)を務めた。
成川 尚義(なりかわ なおよし / なるかわ ひさよし、18… 成川 尚義(なりかわ なおよし / なるかわ ひさよし、1841年10月4日〈天保12年8月20日〉 - 1899年〈明治32年〉11月27日)は、日本の内務・大蔵官僚、政治家。三重県知事(官選第5代)、貴族院勅選議員。幼名:禎三郎。 上総国山辺郡白幡村(現千葉県山武市)に、伊志田治平(石田治平)の次男として生まれる。同郡本須賀村・成川家の養子となり名を尚義と改める。 幕末の動乱期に勝海舟のもとで事態の収拾に奔走した。新政府軍の江戸城入城後、追及を受けて自首するが、沈着冷静な対応により釈放された。その際、刑法官判事・中島錫胤からの熱心な勧めを受けて出仕することを決意した。 明治2年(1869年)、若森県大参事に就任。
武井 惣左衛門(惣左衞門、たけい そうざえもん、1841年2… 武井 惣左衛門(惣左衞門、たけい そうざえもん、1841年2月1日(天保12年1月10日)- 1919年(大正8年)4月14日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、千葉県望陀郡馬来田村長。 上総国望陀郡真里谷村(千葉県望陀郡真里谷村、馬来田村、君津郡馬来田村、富来田町を経て現木更津市真里谷)で、農業・小原桂助、かよ の長男として生まれた。漢学を修めた。養蚕、製茶業を営む。 1884年(明治17年)真里谷村戸長に就任。1887年(明治20年)真里谷村外4カ村戸長となる。1889年(明治22年)馬来田村が発足し初代町長に就任し、また同村会議員に1893年(明治26年)6月まで在任した。 1892年(明治25年)3月、立憲改進党から推されて千葉県会議員に選出され、1896年(明治29年)3月まで2期在任した。
板倉 胤臣(いたくら たねおみ、1840年9月27日(天保1… 板倉 胤臣(いたくら たねおみ、1840年9月27日(天保11年9月2日)- 1895年(明治28年)8月21日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、千葉県会議長。 上総国長柄郡茂原村(千葉県長柄郡茂原村、茂原町茂原、長生郡茂原町を経て現茂原市)で、醤油醸造業・板倉任他郎の長男として生まれる。1865年(慶応元年)江戸に出て芳野金陵に師事し儒学を修め、勤皇の志士と交わった。 1868年(明治元年)夏、鎮撫総督柳原前光が勅使として上総、下総に派遣された際に、板倉は先導役を務めた。同年9月、鎮台府房総監察兼宮谷県知事・柴山典の属官となり訟事を担った。 1872年(明治5年)に帰郷し、千葉県第7大区(長柄・埴生郡)副区長に就任。
水沼 秀幸 は、日本の政治家。衆議院議員(1期)を務めた。
神谷 裕 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(4… 神谷 裕 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(4期)。
矢崎 堅太郎 は、日本の政治家。姓の「崎」の正字は「﨑」(異… 矢崎 堅太郎 は、日本の政治家。姓の「崎」の正字は「﨑」(異体字、いわゆる「たつさき」)である。
斉藤 和子 は、日本の政治家。日本共産党所属の元衆議院議員(… 斉藤 和子 は、日本の政治家。日本共産党所属の元衆議院議員(1期)。本名:齋藤和子(さいとう かずこ)。
谷田川 元 は、日本の政治家。
水野 清 は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等旭日大… 水野 清 は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等旭日大綬章。在東京マケドニア共和国名誉総領事。