小倉 良則(おぐら よしのり / りょうそく、1848年10月13日(嘉永元年9月17日)- 1920年(大正9年)10月9日)は、明治期の実業家、教育者、政治家。衆議院議員、千葉県会議長。 下総国埴生郡土室村(千葉県下埴生郡土室村、印旛郡久住村土室を経て現成田市土室)で、小倉源之助の息子として生まれる。武本右京に師事し漢学を修め、中村一心斎に武術を学んだ。東京に遊学したが、郷里で地租改正の測量地図作成者がおらず、そのため帰郷して地図作成を担当。事業終了後に上京し、依田菫、今井芳洲に師事し漢学を修めた。 1882年(明治15年)に帰郷し1883年(明治16年)北総英漢義塾(現成田高等学校・付属中学校)を設けて郷土の子弟の教育を行った。
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