清水 和也(しみず かずや、1997年2月6日 - )は、東… 清水 和也(しみず かずや、1997年2月6日 - )は、東京都出身のフットサル選手。名古屋オーシャンズ所属。ポジションはピヴォ。フットサル日本代表。 東京都出身。2学年上の兄の清水誠也もフットサル選手である。和也は小学4年、誠也は小学6年時に兄弟そろって中野区に拠点を置く上鷺宮フットボールクラブに入団した。小学6年の終わり頃にはやはり兄と同時期に、中野区のソレイユ・フットサルでフットサルをはじめた。ソレイユ時代の恩師望月充監督は、「明るく活発で、今よりポッチャリしていました。足元のあるプレーヤーだなと思いました」と語っている。チーム事情からソレイユでの最初の半年から1年はゴレイロをやることが多かったが、その後フィールドプレーヤーの主力となった。
加部 未蘭(かべ みらん、1992年6月18日 - )は、東… 加部 未蘭(かべ みらん、1992年6月18日 - )は、東京都小平市出身のフットサル選手・サッカー選手。サッカー選手としてのポジションはフォワード(FW)。 FC東京の下部組織で本格的にFWとしてプレー。山梨学院大学付属高校で2年生時の第88回全国高校選手権で優勝を経験。3年生時の第89回大会では白崎凌兵とのコンビでチームを牽引。3得点を挙げてベスト8入りし、優秀選手に選出された。 2011年、前年に特別指定選手となっていたヴァンフォーレ甲府へ入団。クリスティアン・ヴィエリが好んだ背番号32を自ら希望した。 2012年、ギラヴァンツ北九州へ期限付き移籍。2013年、契約満了に伴い甲府・北九州を退団、同年4月からの福岡大学への進学が発表された。
野村 啓介(のむら けいすけ, 1989年2月14日- )は… 野村 啓介(のむら けいすけ, 1989年2月14日- )は、東京都杉並区出身のフットサル選手。ペスカドーラ町田所属。ポジションはピヴォ。前線でのキープからの反転が特徴。既婚。 東京都杉並区出身。幼少時代にはじめたサッカーを専修大学卒業まで続ける。大学卒業後、語学留学したスペインでフットサルに出会い、2013年の日本帰国後、バルドラール浦安の下部組織であるバルドラール浦安セグンド(セカンドチーム)に加入。2013-2014シーズンの途中からと、翌シーズンの2014-2015シーズンと、関東フットサルリーグ1部の試合に出場した。なお、所属時のセグンドは2シーズン連続して全日本フットサル選手権大会本大会に出場している。
清水 一平(しみず いっぺい、1989年1月11日 - )は… 清水 一平(しみず いっぺい、1989年1月11日 - )は、東京都出身のサッカー選手、フットサル選手。ポジションは、DF。 高校卒業後、JAPANサッカーカレッジに入学。在学中にアルビレックス新潟シンガポールに1年間所属した。同校卒業後は各カテゴリーの国内チームに所属、2015年からカンボジア・リーグのポリス・コミッサリーに移籍。同国ではプロサッカー選手以外にもアルビレックス新潟プノンペンのサッカースクールのコーチも務めている。
永島 俊(ながしま しゅん, 1988年5月9日 - )は、… 永島 俊(ながしま しゅん, 1988年5月9日 - )は、東京都府中市出身のフットサル選手。元バルドラール浦安所属。ポジションはアラ。フットサル日本代表。180cmの長身で大きなストライドのドリブルを特徴とする。 フットサルの盛んな東京都府中市出身。小学生でサッカーを始め、中学年代では横河武蔵野FCジュニアユースでプレー。横河武蔵野FCでは原博実の長男・原大悟とチームメイトだった。高校年代では鹿児島実業高校にサッカー留学。2学年上に岩下敬輔、山下真太郎、1学年上に西岡謙太、赤尾公、豊満貴之らがいる。1年時の第83回全国高等学校サッカー選手権大会ではチームが優勝し、2年時の第84回サッカー選手権ではチームが準優勝した。
海老澤 宏樹(えびさわ ひろき、1988年3月17日 - )… 海老澤 宏樹(えびさわ ひろき、1988年3月17日 - )は、東京都出身のサッカー選手、フットサル選手。ポジションはMF。
星 龍太(ほし りゅうた 1987年6月1日 - )は、東京… 星 龍太(ほし りゅうた 1987年6月1日 - )は、東京都葛飾区出身の元フットサル選手。ポジションはフィクソ。日本代表。同じく日本代表の星翔太は実兄。 兄の星翔太と同じく暁星小学校、暁星中学校・高等学校出身。日本大学へ進学後に兄の誘いでフットサルを始めた。 FUGA TOKYOでは2009年に全日本フットサル選手権大会(PUMA CUP)優勝。この時の監督は須賀雄大であり、チームメイトには兄の翔太や佐藤亮などがいた。フウガすみだに入団したばかりの頃は須賀監督曰く「強いて言えばダイレクトパスが上手い選手」に過ぎなかったが、2010年のFUTSAL地域チャンピオンズリーグの表彰式では大仁邦彌COOが「あいつ面白いな」と語る選手に成長した。
金井 智之(かない ともゆき、1987年1月23日 - )は… 金井 智之(かない ともゆき、1987年1月23日 - )は、東京都出身のフットサル選手。圧倒的なスピードでピッチを駆け回り、積極的に仕掛けるプレーを持ち味としているアタッカー。 2016年に現役引退。引退後は湘南ベルマーレの普及コーチに就任。現在はサテライトコーチも兼任。 大学卒業後に名古屋オーシャンズサテライトへ加入。第1期生のキャプテンを務め、2011年に名古屋オーシャンズトップチームへ昇格。同年のAFCフットサルクラブ選手権カタール2011優勝メンバー
滝田 学(たきた まなぶ, 1986年7月26日 - )は、… 滝田 学(たきた まなぶ, 1986年7月26日 - )は、東京都出身のフットサル選手。フットサル日本代表。ポジションはフィクソ。 幼少時には野球をしていたが、衛星放送でキャプテン翼が始まったのをきっかけに幼稚園の時にサッカーを始めた。小学校1年時にはJリーグが開幕。宿河原FCではフォワードとしてプレーし、小学5年時には川崎市多摩区選抜に選ばれている。サッカーと並行して小学4年時にフットサルスクールに通いだし、桐朋中学校・高等学校に進学すると、桐朋中学校サッカー部に在籍しながらガロジュニアユースで本格的にフットサルを行う。高校2年でサッカーから退いてフットサルに専念し、2004年の中央大学進学と同時期にガロのトップチームに昇格して関東フットサルリーグ初出場。
星 翔太(ほし しょうた、1985年11月17日 - )は、… 星 翔太(ほし しょうた、1985年11月17日 - )は、東京都葛飾区出身のフットサル選手。ポジションはピヴォ。弟の星龍太もフットサル選手である。 暁星小学校でサッカーを始め暁星中学校に進学。全国中学校サッカー大会に3年連続出場し、3年次には全国優勝も果たしている。その後暁星高校へ進学。 高校卒業後は早稲田大学スポーツ科学部に入学。大学では野球やテニス、格闘技など、様々なスポーツに挑戦したが、どれもサッカーを超越するほど熱中できるものではなかった。そんななか、須賀雄大や北原亘の誘いから、森のくまさんに参加、関東大学フットサルリーグへ参加したことがきっかけで本格的にフットサルを始めた。その後、関東フットサルリーグ昇格が決まっていたBOTSWANA FC MEGUROに入団。
伴 京次朗(ばん けいじろう、1984年11月24日- )は… 伴 京次朗(ばん けいじろう、1984年11月24日- )は、東京都出身のフットサル選手、元サッカー選手。ポジションはピヴォ。 「フットサルは日本サッカーを変える!」というスローガンを掲げ、フットサルの普及活動も行っている。
金 宏明(キム・グァンミョン/キム・グェンミョン、김광명/김… 金 宏明(キム・グァンミョン/キム・グェンミョン、김광명/김굉명、1984年2月25日 - )は、東京都葛飾区出身のサッカー選手、フットサル選手。ポジションはMF、ウイングFW。小柄だがリズミカルで切れ味あるドリブルを得意とする選手[要出典]。アメリカ3部リーグのダービーシティ・ローバーズ所属。 日本生まれ日本育ちの在日コリアン3世。韓国のプロサッカーリーグであるKリーグなどでプレー経験がある。 彼には「金宏明」という名前で2つの呼び名がある。主に日本ではキム・グァンミョン(김광명)、そして韓国ではキム・グェンミョン(김굉명)として呼ばれている。彼は生まれてから韓国で活動するまでキム・グァンミョン(金宏明、김광명)として活動してきた。
肥沼 謙(ひぬま けん、1983年8月8日 - )は、東京都… 肥沼 謙(ひぬま けん、1983年8月8日 - )は、東京都出身のフットサル選手。ポジションはゴレイロ。
稲葉 洸太郎(いなば こうたろう、1982年12月22日 -… 稲葉 洸太郎(いなば こうたろう、1982年12月22日 - )は、東京都出身の元フットサル選手、フットサル指導者。ポジションはAla。暁星小学校、暁星中学校、暁星高等学校、武蔵大学経済学部卒業。フランス語検定3級取得。メディア活動においてはベンヌ所属。 幼稚園のサッカークラブで年中からサッカーを始める。「サッカーに力を入れている」という理由から小・中・高一貫教育である暁星小学校に入学した。小学1年次から3年次までは、神奈川県横浜市に所在する少年サッカークラブ、あざみ野フットボールクラブに在籍し、小学4年次から6年次まではアストラジュニアでプレーした。中学1年次から高校3年次までは、暁星中・高校のサッカー部でプレーした。
太見 寿人(ふとみ ひさと、1982年4月26日 - )は、… 太見 寿人(ふとみ ひさと、1982年4月26日 - )は、東京都出身のフットサル選手である。ポジションはピヴォ。日本代表。 8歳からサッカーを始め、1997年度の全国高校サッカー選手権大会に初出場した東京都立駒場高等学校へ翌年入学。駒場高校では東京都国体選抜メンバーに2年と3年時に連続で選出され、現プロサッカー選手の前田遼一や田中達也と共にプレーした。なお、高校の同期には元アビスパ福岡の福嶋洋がいた。 サッカーの強豪大学から推薦のオファーがあったが、指導者養成(スポーツ指導者・体育教員など)では定評のある日本体育大学体育学部に進学。大学ではサッカー部には所属せず「友人との輪」を最優先に置き、2001年に同年代の駒場高校OBを中心に結成したフットサルチーム「BOTSWANA FC MEGURO」に入団。
庄司 紘之(しょうじ ひろゆき 、1981年10月19日 -… 庄司 紘之(しょうじ ひろゆき 、1981年10月19日 - )は、日本の元フットサル選手。ポジションはアラ。 2009年、ステラミーゴいわて花巻に入団するが、レギュラーに定着できず退団。その後スペインでフットサルを学び直す。帰国後、バルドラール浦安セグンドに一時所属したものの、その後は無所属となり2010年に引退。 引退後、古巣インペリオ浦和にてコーチを務めていたが、2011年、現役復帰し古巣のステラミーゴいわて花巻に入団。 2015年にヴォスクオーレ仙台で再度現役を引退。引退後は、フットサル指導者としてデールさいたまU-18監督に就任。当時無名だったチームを埼玉県優勝へ導いた。2020年より埼玉県1部所属デールさいたまで選手兼監督の就任が発表された。
鳥丸 太作(とりまる だいさく 、1981年8月22日 - … 鳥丸 太作(とりまる だいさく 、1981年8月22日 - )は、日本のフットサル選手。ポジションは主にフィクソ。 FC東京U-18、明治大学サッカー部を経て、フットサルに臨む。明治大学では松ヶ枝泰介と同期だった。 2008年、Fリーグ・ステラミーゴいわて花巻に加入。プレーの傍ら、フットサルスクールの開校を自らスポーツ施設に働きかけ、クリニックを開催するなど、フットサル普及に努めた。 2010年、バルドラール浦安へ移籍。
久光 重貴(ひさみつ しげたか、1981年7月8日 - 20… 久光 重貴(ひさみつ しげたか、1981年7月8日 - 2020年12月19日)は、神奈川県出身のフットサル選手。フットサル日本代表。 1981年、神奈川県に生まれる。1987年、小学校1年から横浜サッカークラブつばさに入団しサッカーを始める。1993年、セレクションに参加した約500人中9人の狭き門を突破しヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)ジュニアユースに入団し中学時代の3年間プレー。中学卒業後、高校サッカーの名門・帝京高校に進学し、ナオト・インティライミとの出会いをきっかけにカスカヴェウ(現ペスカドーラ町田)の一員となる。2008年、湘南ベルマーレフットサルクラブに移籍。 2009年にはフットサル日本代表にも選出されたが、2011年に骨髄炎を発病。
小野 大輔(おの だいすけ、1980年1月25日 - )は、… 小野 大輔(おの だいすけ、1980年1月25日 - )は、東京都出身のフットサル選手。ポジションはピヴォ。日本代表。 ファイルフォックスで第5回全日本フットサル選手権大会優勝を経験し、その後フトゥーロ旗揚げに参加。 フットサル日本代表にも選出され、2004年11月の2004 FIFAフットサル世界選手権にも出場している。 2005年にはイタリア1部のCLTテルニに移籍したが出場機会に恵まれなかった。2006年にはスペイン2部のタラベラFSに移籍したが、2006-07シーズン中に監督が2度代わるなどのチーム事情によって満足な活躍ができなかった。2007-08シーズンはスペイン2部のCFSバルガスに在籍し、2008年に日本に帰国してバルドラール浦安と契約した。
伊藤 雅範(いとう まさのり、1978年4月20日 - )は… 伊藤 雅範(いとう まさのり、1978年4月20日 - )は東京都調布市出身のフットサル指導者。元サッカーおよびフットサルの選手。高等学校教員免許を保持。 読売日本サッカークラブジュニアユースから読売ユースへと進み、多数のタイトル獲得に貢献。高校卒業後に駒澤大学へと進学。4年時には主将を務め、FC東京の練習に参加。2001年、同クラブに入団。サテライトの試合やチームの紅白戦では守備的なポジション(ボランチやセンターバック)で相手との1対1のディフェンスに強さを見せたが、トップチームの試合には出場することなく1年限りで自ら退団を希望し、契約非更新となった。 その後2003年よりフットサルに転向。恵まれた体格を活かし、ピヴォやフィクソのポジションをこなした。
前田 喜史(まえだ よしふみ、1977年4月25日 - )は… 前田 喜史(まえだ よしふみ、1977年4月25日 - )は、東京都府中市出身の元フットサル選手、現フットサル指導者。
阿久津貴志(あくつ たかし、1975年9月28日 - )は、… 阿久津貴志(あくつ たかし、1975年9月28日 - )は、神奈川県高座郡寒川町の元サッカー選手、元フットサル選手である。ポジションはゴレイロ。 2010年よりFリーグ湘南ベルマーレGKコーチ。 寒川町立旭小学校2年生からサッカーを始める。寒川町立旭が丘中学校、帝京高校から国士舘大学を経てアルビレックス新潟に練習生として加入。いわばエリートコースである。(本契約には至らず)。佐川急便東京SCに移籍し引退。 その後、esporte藤沢でフットサル転向し、湘南ベルマーレの前身であるP.S.T.C.LONDRINAに入団。別名「ロンドリーナの師範ゴレイロ」と呼ばれ、2003年には全日本フットサル選手権大会優勝に導いた。
小林 悟(こばやし さとる、1973年8月26日 - )は、… 小林 悟(こばやし さとる、1973年8月26日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手、フットサル選手。サッカー指導者。ポジションはMF。
奥原 崇(おくはら たかし、1972年7月31日 - )は、… 奥原 崇(おくはら たかし、1972年7月31日 - )は、東京都稲城市出身のサッカー指導者、元サッカー選手、フットサル選手。 堀越高校、中央大学を経て、1995年に東京ガスサッカー部(現 FC東京)に加入。高いテクニックと創造性のあふれるプレーでファンタジスタとして活躍し、FC東京の初代背番号10を背負った。スルーパスやボレーシュートに代表される攻撃センス溢れるプレーと、ポニーテールをなびかせた外見から「ロベルト・オク」、「東京のバッジョ」と呼ばれ愛された。 しかし、大学時代にファウルを受けた際に膝を負傷して以来、この怪我との戦いが続いた。髪型をバッジョに肖ったのも、バッジョが重傷からの復活を遂げた選手だからだった。
保坂 信之 (ほさか のぶゆき、1970年7月23日 - )… 保坂 信之 (ほさか のぶゆき、1970年7月23日 - ) は、埼玉県出身のサッカー指導者、元サッカー選手、元フットサル選手である。ポジションはミッドフィールダー。 埼玉県さいたま市(旧大宮市と旧浦和市のそれぞれを出身とする資料がある)出身。神奈川県厚木市の厚木ゴールプランダーズでサッカーを始め、第5回全日本少年サッカー大会出場。その後、北浦和サッカー少年団で少年時代を過ごし、浦和市立本太中学校へ進学。中学時代には関東選抜に選出される。 帝京高校では、2学年上に岩本三郎、巻田清一、1学年上に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、森山泰行、同期に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、浅沼達也、2学年下に森下仁志がいた。
鈴木 政紀(すずき まさのり、1968年9月15日 - )は… 鈴木 政紀(すずき まさのり、1968年9月15日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー及びフットサル指導者。 プロ選手時の名前は「鈴木 将方」(読みは同じ)。 国士舘大学から東芝に入社してサッカー部へ。1993年にホルヘ・デリー・バルデスとコンビを組んで活躍したことがきっかけで認められ、1994年にジャパンフットボールリーグからJリーグに昇格したジュビロ磐田に移籍。それを契機に「政紀」から「将方」に改名した。 この年は中山雅史やサルバトーレ・スキラッチらフォワード陣が故障がちだったこともあり、Jリーグ1年目の磐田を引っ張る活躍を見せた。翌年以降は「ゴン・トト」の2トップが定着したため、途中出場やミッドフィールダーでの出場が多くなった。