立川 らく萬(たてかわ らくまん、1993年(平成5年)1月… 立川 らく萬(たてかわ らくまん、1993年(平成5年)1月19日 - )は、落語家。本名は渡部 智和記。 1993年(平成5年)1月19日、新潟県新潟市西区出身。父親は写真家の渡部佳則。日本文理高等学校を経て、新潟大学法学部中退。新潟大学落語研究部出身。 2015年(平成27年)4月、立川志らくに入門。前座名は「らくまん」。 2023年(令和5年)1月1日、立川志らぴーと共に二ツ目昇進し、「らく萬」に改名。
二代目 三笑亭 夢丸(さんしょうてい ゆめまる、1983年5… 二代目 三笑亭 夢丸(さんしょうてい ゆめまる、1983年5月19日 - )は新潟県新発田市出身の落語家。本名は 前田 就。出囃子は『万才くずし』。落語芸術協会会員。 新潟県新発田市出身。父親は学校の校長を務め、母親も教員。新発田市立本丸中学校を経て、新発田中央高等学校を卒業する。 趣味は銭湯巡り。仕事などで地方へ行った際には、時間があればその土地の銭湯を訪れている[要出典]。 落語家を夢見て新潟より米俵を持参して上京。初代三笑亭夢丸に弟子入りを志願するが、地元新潟とは違って東京は家が密集しており、師匠宅がなかなか見つからなかった。ようやく見つかったが、ドアに鍵がかかっており(夢吉の地元では、ドアに鍵をかけていないのが普通であった)、仕方なく米俵を肩に担いだままドアの脇に立っていた。
春風亭 鯉づむ(しゅんぷうてい りづむ、1974年5月15日… 春風亭 鯉づむ(しゅんぷうてい りづむ、1974年5月15日 - )は、落語家。落語芸術協会所属の真打。出囃子は「サンライズ」。本名:高橋 倫玲。 1974年5月、新潟県長岡市出身。新潟県立長岡高等学校、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻を卒業する。 2010年11月、36才で瀧川鯉昇に入門。前座となり「瀧川鯉津」。2014年11月、二ツ目に昇進した。 2025年5月1日、瀧川鯉丸、立川幸之進と共に真打に昇進し、「春風亭 鯉づむ」に改名した。 「笑点」シリーズの春風亭昇太担当の放送作家をしていた。 同じ落語芸術協会に所属する二つ目10人(他のメンバーは、春風亭昇吾、桂竹千代、昔昔亭喜太郎、瀧川鯉白、三遊亭遊子、桂鷹治、古今亭今いち、立川幸之進、笑福亭希光)で「芸協カデンツァ」というユニットを組み、リーダーである。
入船亭 扇辰(いりふねてい せんたつ、1964年2月13日 … 入船亭 扇辰(いりふねてい せんたつ、1964年2月13日 - )は、落語協会会員の落語家。出囃子は『から傘』。本名∶川越 辰朗。 新潟県長岡市出身で、長岡市立阪之上小学校、長岡市立東中学校、新潟県立長岡高等学校をそれぞれ卒業し、國學院大學文学部漢文学科を中退した。國學院大學落語研究会出身。 1989年に九代目入船亭扇橋に入門し、扇たつの名を与えられる。 1993年5月に柳家喬太郎、林家彦いちと共に二ツ目に昇進して扇辰と改名した。1998年ににっかん飛切り落語会努力賞、1999年ににっかん飛切り落語会努力賞、2001年ににっかん飛切り落語会奨励賞をそれぞれ受賞。 2002年に古今亭菊生、林家彦いち、三遊亭金八、鈴々舎鈴之助と共に真打に昇進。
三遊亭 白鳥(さんゆうてい はくちょう、1963年5月21日… 三遊亭 白鳥(さんゆうてい はくちょう、1963年5月21日 - )は、落語協会所属の落語家。出囃子は『白鳥の湖』。主に新作落語を中心に活動している。 新潟県高田市(現:上越市)出身で、自転車店(後に模型店)の二男。兄は天理大学教授の藤田明良。三児の父。 新潟県立高田高等学校を経て日本大学藝術学部文芸学科卒業。 1987年7月、初代三遊亭圓丈に入門。前座名「にいがた」。 1990年3月に入船亭扇治、橘家文吾、三遊亭窓樹と共に二ツ目昇進。「新型」に改名するも、「しんがた」と誤読されたためほどなく「新潟」に再改名。1992年にニッポン放送主催「第7回お笑いゴールドラッシュ」優勝。 2001年9月 - 柳家禽太夫、入船亭扇治、橘家文左衛門(文吾改め)、三遊亭萬窓(窓樹改め)、林家きく姫、柳家三太楼、柳家一琴、古今亭駿菊、金原亭馬遊と共に真打昇進、「白鳥」に改名。
桂 歌助(かつら うたすけ、1962年9月19日 - )は、… 桂 歌助(かつら うたすけ、1962年9月19日 - )は、新潟県十日町市出身の落語家。落語芸術協会所属。本名∶関口 昇。出囃子は『十日町小唄』。 新潟県十日町市の土産屋に生まれる。新潟県立十日町高等学校卒業後、浪人生活を経て1982年に東京理科大学理学部数学科へ入学。大学2年の頃から人前で話す能力を磨くため落語を聞き始める。落語家に入門するため、新潟の実家を訪れ寝起きの父親を説得し了承を得る。1985年12月に桂歌丸に入門。1986年1月に「歌児」を拝命し、同年3月に横浜市の三吉演芸場で初高座に上がる。演目は、「道灌」であった。同年5月に前座になる。1987年、1年の留年を経て東京理科大学を卒業。
柳家 さん吉(やなぎや さんきち、1938年〈昭和13年〉1… 柳家 さん吉(やなぎや さんきち、1938年〈昭和13年〉1月18日 - 2022年〈令和4年〉2月15日)は、落語協会に所属していた落語家。新潟県中蒲原郡村松町(現・五泉市)出身。本名∶榑井 昌夫(くれい まさお)。 新潟県立村松高等学校卒業後1957年6月に五代目柳家小さんに入門、柳家小二三を名乗り内弟子修行。 1960年11月に二ツ目昇進し、柳家小三郎に改名。1962年、さん吉に改名。(※一部の資料で-1963年改名となっている) 1973年3月、三升家勝彌、橘家圓平、三遊亭さん生、三代目吉原朝馬、柳家小のぶ、柳家かゑる、三升家勝二、桂小益、林家枝二、さん吉の十人で真打昇進。 サウナで倒れ全身火傷を負ってしまい、闘病・リハビリをしていた。
二代目 三遊亭 円歌(さんゆうてい えんか、1890年〈明治… 二代目 三遊亭 円歌(さんゆうてい えんか、1890年〈明治23年〉4月28日 - 1964年〈昭和39年〉8月25日)は、日本の落語家。本名∶田中 利助。出囃子は『踊り地』。新潟県新潟市出身。 新潟県立新潟中学校卒業。当時の落語家には珍しく旧制中学校卒業の高学歴で、家は洋館三階建ての裕福な両替屋であったが、祖母が米相場で失敗して破産し、神奈川県横浜市で貿易商館員として働くも、女性問題を起こしたことがきっかけで北海道札幌市に移り、京染屋を始める。花柳界相手の商売を通じて、元噺家の松廼家右喬と出会ったことで、落語に興味を抱き、素人演芸の集団に加わる。 北海道に移り住んだ後は旅回りの一座に入り、勝手に「東京落語の重鎮・三遊亭柳喬」と名乗っていたが、小樽市で巡業中の二代目三遊亭小圓朝に見つかり、それがきっかけとなり落語家の道に入る。