高野 誠鮮(たかの じょうせん、1955年11月2日 - )… 高野 誠鮮(たかの じょうせん、1955年11月2日 - )は、科学ジャーナリスト、日蓮宗僧侶、立正大学客員教授、1994年から2006年3月31日まで金沢大学理学部大学院等の講師も務めた。平成28年度から新潟経営大学特別客員教授となる。東京大学朝日講座講師、京都大学公共経営論講師など非常勤講師も務めた。人事院国家公務員研修センター、東北自治研修所等で講師も務める。 羽咋市役所勤務時代に限界集落を蘇らせ、『スーパー公務員』と言われた。元・羽咋市教育委員会文化財室(歴史民俗資料館)室長(館長)。
翫 正敏(いとう まさとし、1947年4月11日 - 202… 翫 正敏(いとう まさとし、1947年4月11日 - 2022年1月26日)は、昭和・平成期の日本の政治家(参議院議員1期)・真宗大谷派僧侶。測量士の資格を持つ。 石川県出身。小松高校卒業、1970年に立命館大学理工学部を卒業後に、京都市の建築設計事務所に勤務した後、父の後を継いで小松市の正光寺住職となる。僧侶としての立場から平和運動に参加して宗教者平和ネットワークを創設し、小松基地騒音公害訴訟や能登原発反対運動に参加する。 1989年の第15回参議院議員通常選挙比例区に日本社会党の比例代表名簿第19位で立候補して初当選する。1993年には日本社会党委員長選挙に立候補して村山富市と争うが敗れた。
中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月… 中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月16日 - 1984年(昭和59年)12月11日)は、日本の野鳥研究家で歌人・詩人、天台宗僧侶。文化功労者。日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。 「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こした。「野鳥」や「探鳥」は悟堂の造語。 1895年(明治28年)、石川県金沢市長町に生まれ、富嗣と命名される。祖父は加賀藩士。父親は海軍軍楽隊教官だったが、悟堂の生後まもなく病死し、母は長崎の実家に帰ったまま行方不明となり、父の兄で中西家十代の当主元治郎(悟玄)の養嗣子となる。3歳頃より四書五経を学び千字文を書写する。
赤松 連城(あかまつ れんじょう、天保12年1月17日〈18… 赤松 連城(あかまつ れんじょう、天保12年1月17日〈1841年2月8日〉 - 1919年〈大正8年〉7月20日)は、幕末から大正にかけての浄土真宗本願寺派の僧侶。赤松克麿、赤松常子の祖父。俗名は中宇三郎。 加賀国金沢出身。若狭国妙寿寺にて修行の後、28歳で周防国徳山の徳応寺を継ぐ。廃仏毀釈の混乱の中で、大洲鉄然・島地黙雷らとともに宗門改革に立ち上がる。 明治5年(1872年)から宗門大谷光尊の命で島地黙雷とヨーロッパに留学し、イギリスなどの教育制度を学んだ。帰国後は宗門の教育制度を改革するとともに東京奠都に伴う寺務所の東京移転計画を阻止し、大教院を事実上の廃仏政策であると批判して島地黙雷とともに反対運動を展開した。