米谷 治彦(こめたに はるひこ、1970年〈昭和45年〉12… 米谷 治彦(こめたに はるひこ、1970年〈昭和45年〉12月7日 - )は、日本の銀行家。北國銀行社長を務める。 石川県小松市出身。石川県立小松高等学校を経て、1993年(平成5年)に明治大学経営学部を卒業し、北國銀行に入行。 法人営業の経験が特に長い。本店営業部長。2021年執行役員 東京支店長。2022年執行役員 小松営業部長。2023年常務執行役員 法人部長。 2025年(令和7年)3月1日、北國銀行代表取締役社長に就任。役職名は、北國フィナンシャルホールディングス下の他のグループ会社に合わせ、頭取から社長に変更された。なお初代頭取の米谷半平 (7代)との縁戚関係はない。 2026年、北國新聞社専務取締役の坂野洋一と共に金沢経済同友会代表幹事に就任。
杖村 修司(つえむら しゅうじ、1961年〈昭和36年〉7月… 杖村 修司(つえむら しゅうじ、1961年〈昭和36年〉7月6日 - )は、日本の銀行家。北國銀行頭取を務め、現在はCCIグループ社長を務める。 石川県小松市出身。金沢大学附属中学校・高等学校を経て、1985年(昭和60年)3月に慶應義塾大学商学部を卒業し、4月に北國銀行に入行。祖父も父も北國銀行の役員を務めていた。 配属先は武蔵ヶ辻支店。東京銀行の研修を受けた後、外資系銀行での研修や日本興業銀行ニューヨーク支店への出向を経験。市場金融部門、商品サービスの企画開発、香港支店開設、人事部門に携わる。2004年企画部企画課長。2005年総合企画部企画課長。2006年総合企画部副部長兼企画課長。2007年総合企画部長健システム部長。
坂井 辰史(さかい たつふみ、1959年8月27日-)は、日… 坂井 辰史(さかい たつふみ、1959年8月27日-)は、日本の銀行家。元みずほフィナンシャルグループ社長。 石川県金沢市出身。神戸高校、東京大学法学部を卒業し、1984年に日本興業銀行に入行した。2013年みずほフィナンシャルグループ常務執行役員に就任し、2016年にみずほ証券社長を経て、2018年みずほフィナンシャルグループ社長に就任した。2022年辞任。
本陣 甚一(ほんじん じんいち、1904年1月5日 - 2… 本陣 甚一(ほんじん じんいち、1904年1月5日 - 2008年1月29日)は、日本の経営者、銀行家。北國銀行頭取を務めた。長男は北國銀行第6代頭取の本陣靖司。 石川県小松市出身。1929年に京都帝国大学法学部を卒業し、1930年2月に加越合同銀行に入行した。1943年12月に北國銀行に転じ、1948年2月に常務に就任し、1950年10月に専務、1954年11月に副頭取を経て、1961年1月には頭取に就任。1966年7月には会長も兼任し、1968年11月には頭取を退任。 近現代の日本画をはじめとした美術品収集を趣味としており、小松市立本陣記念美術館にコレクションが収蔵されている。 2008年1月29日、老衰のために死去。
新木 栄吉(あらき えいきち、1891年〈明治24年〉4月2… 新木 栄吉(あらき えいきち、1891年〈明治24年〉4月24日 - 1959年〈昭和34年〉2月1日)は、大正から戦後昭和に活躍した日本の銀行家。日本銀行総裁を2度にわたって務めたほか、戦後初の駐米大使も務めた。 石川県小松町(現 小松市)出身。石川四中から第四高等学校 (旧制)首席を経て、1916年(大正5年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年日本銀行に入行。 日本銀行では国庫局、大阪支店、ニューヨーク駐在(1922年-1926年および1935年-1937年の二度)などを経たのち、外国為替局長、営業局長、理事、副総裁を歴任。1945年(昭和20年)10月に渋沢敬三総裁が幣原内閣の大蔵大臣を拝命して入閣すると、その後任の日銀総裁に就任した。
広海 二三郎(廣海、ひろうみ にさぶろう、1854年12月2… 広海 二三郎(廣海、ひろうみ にさぶろう、1854年12月22日(安政元年11月3日)- 1929年(昭和4年)1月29日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。5代二三郎。北前船主。 広海常信(4代二三郎)の長男として、加賀国江沼郡瀬越村(石川県江沼郡大聖寺町瀬越を経て、加賀市大聖寺瀬越町)に生まれる。生家は加賀大聖寺藩の海運界の旧家。家訓により16歳から5年間手船に乗って船乗りと商売の基礎を学んだ。1887年(明治20年)1月、常信の死亡により家督を相続する。 1884年(明治17年)大阪に進出し、広海商店と屋号を掲げ、船舶業および海産物業を経営し、1889年(明治22年)には北海道小樽に「広海倉庫」を設立した。