阿武南 三男(おうみなみ みつお、1982年9月3日 - )… 阿武南 三男(おうみなみ みつお、1982年9月3日 - )は、福井県福井市出身で阿武松部屋に所属していた元大相撲力士。最高位は東幕下31枚目(2002年11月場所)。現役時代の体格は176センチメートル (cm)、119キログラム (kg)。本名は南 三男(みなみ みつお)。得意手は右四つ、喰い下がり。 福井市立湊小学校2年生で体格を見込まれて福井市の相撲大会に駆り出されて相撲を始める。福井市立光陽中学校では相撲部が無かったので野球部に所属したが、小学校時代の担任に福井県立福井農林高等学校相撲部への出稽古を勧められた。中学卒業前、地元に住む阿武松の知人に紹介されて体験入門し、さらに「戦後以降、福井出身関取はほとんどいない。
床弓(とこゆみ、1961年10月12日 - )は、大相撲の元… 床弓(とこゆみ、1961年10月12日 - )は、大相撲の元床山。本名は行方嘉朗。福井県小浜市出身。最終所属は高砂部屋。最高位は一等床山。
大徹 忠晃(だいてつ ただみつ、1956年10月29日 - … 大徹 忠晃(だいてつ ただみつ、1956年10月29日 - )は、福井県大野市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は南 忠晃(みなみ ただみつ)。身長193cm、体重130kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。最高位は西小結(1987年3月場所)。 中学時代は剣道をやっていた。長身を見出されて二所ノ関部屋に入門し、中学在学中の1971年(昭和46年)7月場所に初土俵を踏んだ。東京で名を上げるために泣いて反対する母を振り切っての入門であった。1975年9月3日の押尾川部屋独立騒動では17代押尾川の側についたが、移籍は認められず二所ノ関部屋に残留することになった。1980年1月場所に新十両へ昇進。
天龍 源一郎(てんりゅう げんいちろう、1950年2月2日 … 天龍 源一郎(てんりゅう げんいちろう、1950年2月2日 - )は、日本の元男性プロレスラー、元大相撲力士、タレント。本名は嶋田 源一郎(しまだ げんいちろう)。福井県勝山市出身。身長189cm、体重120kg(力士時代は身長186cm、体重112kg)。血液型A型。所属事務所はMILLENNIUM PRO。エクセリングと業務提携している。 多くの同年代レスラーが年齢とともに引退および前座でファンを楽しませる役割に回るなか、天龍は65歳まで第一線で活躍。日本のプロレス界において「生ける伝説(Living Legend)」として一目置かれる存在だった。 福井県の勝山市にて農家の長男として生まれる。
玉手山 七郎(たまてやま しちろう、1887年7月14日 -… 玉手山 七郎(たまてやま しちろう、1887年7月14日 - 1941年9月13日)は、福井県大野郡(現大野市)出身で大嶽部屋から雷部屋を経て中村部屋に所属した大相撲力士。本名は縁本 七郎。身長171cm、体重90kg。最高位は関脇。 大嶽部屋に入門し、初め狼を名乗って1904年1月序ノ口となったが翌年脱走。その後小嵐の名で大坂相撲の雷部屋に加入し、1908年1月場所まで大坂相撲を務めて十両まで進む。その後東京相撲に戻ったが、同名力士がいたため改名を考え、イギリス製のラージ自転車にちなんで羅亜地山と改名届を出したが、広告的な四股名は受け入れられないとして協会から却下され、やむを得ず龍田川という四股名を付けた。
梅ノ花 市五郎(うめのはな いちごろう、1887年6月10日… 梅ノ花 市五郎(うめのはな いちごろう、1887年6月10日 - 1926年4月5日)は、現在の福井県福井市出身で雷部屋に所属した力士。本名は山田 市五郎(五郎とも)。164cm、105kg。最高位は東前頭4枚目。 1903年5月初土俵、1908年5月十両昇進。1909年6月新入幕。色白で端正な顔立ちが女性に人気があったが、前頭4枚目に躍進したあとは幕内下位に低迷。病を得て十両に陥落した。1915年1月廃業した。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
大緑 仁吉(おおみどり にきち、1880年1月3日 - 19… 大緑 仁吉(おおみどり にきち、1880年1月3日 - 1954年7月19日)は、現在の福井県福井市出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は帰山 仁吉。8代大山。179cm、94kg。最高位は東前頭3枚目。 1901年1月初土俵、1907年1月十両昇進。1908年1月、6勝2分2休で、現在なら十両優勝にあたる成績をあげ、翌5月場所で新入幕。3場所連続の好成績で3枚目まで躍進するが、以後は下降線を辿り、十両に陥落。1912年5月に引退して大山を襲名した。1938年5月に廃業し、瀬戸物業を営んだ。 エコノミーホテルほていやブログ~ 両店のルーツと山谷の宿の変遷 ~ - 帰山仁吉とその一族の足跡について書かれた記事 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。
嵐山 捨吉(あらしやま すてきち、安政6年(1859年) -… 嵐山 捨吉(あらしやま すてきち、安政6年(1859年) - 明治43年(1910年)10月4日)は、越前国足羽郡(現福井県福井市)出身の元大相撲力士。本名は佐々木 捨吉(のち八太夫)。京都相撲(松ヶ枝部屋)から東京(藤嶋→伊勢ノ海→千賀ノ浦)を経て最終的には小野川部屋(大阪相撲)所属。最高位は東京では小結、大阪・京都では大関を務めた。 初め京都相撲の松ヶ枝政右衛門の弟子となり石火矢から隅田川と名乗り二段目まで進んだ。明治17年(1884年)1月東京相撲に加入。嵐山 捨吉を名乗って幕下中位に付け出されると19年(1886年)5月に入幕、21年5月小結に進んだ(張出小結の第1号)。しかし1場所で平幕に下がり23年(1890年)5月全休して東京を去った。
13代 木村 庄之助(じゅうさんだい きむら しょうのすけ、… 13代 木村 庄之助(じゅうさんだい きむら しょうのすけ、1808年 - 1879年2月15日)は、大相撲の立行司。本名は成田小太郎。出身地は福井県武生市。 幕末から明治にかけて23年間にわたって立行司をつとめた。浦風林右エ門の弟子で9代庄之助に師事した。初名は木村小太郎、のちに幸太郎、市之介(助)を名乗り、1848年11月に3代木村夛司馬を襲名。13代庄之助の座をめぐって6代庄九郎と対立、その座を勝ち取った。長く庄之助に在位、引退後は年寄・木村松翁となった。 1879年2月15日没、墓所は東京都江東区の玉泉院。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
千賀ノ浦 喜三郎(ちがのうら きさぶろう、生年不詳 - 18… 千賀ノ浦 喜三郎(ちがのうら きさぶろう、生年不詳 - 1889年頃[要出典])は、越前国坂井郡(現福井県坂井市)出身で千賀ノ浦部屋、阿武松部屋に所属した大相撲力士。本名は武林 喜三郎(たけばやし きさぶろう、旧姓:番匠)。最高位は西前頭筆頭。先代からの遺弟子雷電震右エ門を大関まで育てる。大関大達の養父。 幕内の少ない越前国出身。1858年11月には大関猪王山を倒し、1859年1月にはのちの横綱陣幕と引分。三役には昇進できなかったが幕内を7年務め、大関雲竜に1回勝利、2回引き分け、鬼面山にも勝利した。1866年3月引退。引退後は阿武松の弟子を引き受け大関雷電、高砂を育てた。高砂を後継者に考えていたが相撲会所を脱退してしまい、大達を養子分にしている。