柳本 浩市(やなぎもと こういち、1969年4月4日 - 2… 柳本 浩市(やなぎもと こういち、1969年4月4日 - 2016年3月4日)は、山梨県韮崎市出身のアーキビスト、デザイナー、編集者である。 大量の物品収集と選別を通じて公共空間の記号や生活文化のヴィジュアルを体系化する作業を続けた。Glyph.を拠点に出版・展覧会・商品開発を横断し、記号文化の可視化とアーカイブ実践を行った。2016年3月4日に急逝し、享年は46歳であった。 柳本は収集と編集を通じて、空港サイン、パッケージ、ピクトグラム等の印刷物や日用品を体系化する実践を続けた。Glyph.を拠点に限定刊行物や小冊子、展覧会企画、コラボレーション商品を制作し、記号文化の可視化に貢献した。 Glyph.名義、または柳本の編集実践に基づく刊行物・商品を挙げる。
丸山 昭(まるやま あきら、1930年11月14日 - 20… 丸山 昭(まるやま あきら、1930年11月14日 - 2016年12月15日)は、日本の漫画編集者。『少女クラブ』編集長、講談社取締役を務めた。山梨県甲府市出身。学習院大学文学部哲学科卒業。 1950年代から1960年代にかけて、手塚治虫担当の編集者を務めた。初期のトキワ荘に住む漫画家を発掘、担当を務めて、数々の新人を育て上げた編集者でもある。藤子不二雄Aの自伝漫画『まんが道』にも「編集長の丸池」として登場する。 育てた漫画家として、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水野英子らがいる。 1953年(昭和28年)、大日本雄弁会講談社(現・講談社)に入社。1954年(昭和29年)、『少女クラブ』編集部配属となり、当時「リボンの騎士」を連載していた手塚治虫の担当となり、以後、手塚番を6年務めた。
三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年(大正9年)10月… 三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年(大正9年)10月4日 - 2023年(令和5年)1月12日)は、日本の編集者、著述家。中央公論社編集局長、商品科学研究所所長などを務めた。旧姓、若尾。 若尾金造の三女として山梨県甲府市に生まれる。生家の若尾家は甲州財閥の中心的存在だった。 1938年東洋英和女学院高等部、1941年日本女子大学を卒業。1942年、同郷の三枝守雄と結婚。守雄は東大生時代に本郷追分のYMCAに寄宿していたことから佐枝子と知り合った。 守雄が気付いた新聞の三行広告をきっかけに、1946年4月に中央公論社に入社。 1958年9月、嶋中鵬二に代わって『婦人公論』編集長となり、日本で初めて商業誌の女性編集長となった。
小野 政方(おの まさかた、1885年(明治18年)8月3日… 小野 政方(おの まさかた、1885年(明治18年)8月3日 - 1945年(昭和20年)1月19日)は、日本の児童文学者・編集者。 妻は小説家の小野美智子。 山梨県東八代郡境川村(現:山梨県笛吹市)出身。山梨県師範学校を卒業後、八代尋常小学校に訓導として勤務した。その後、上京して巖谷小波に師事し、『少年世界』『少女世界』に童話を発表した。執筆活動初期には、故郷を流れる笛吹川にちなみ「小野小峡」の筆名を名乗った。1912年に山内秋生、竹貫佳水、蘆谷蘆村、大井冷光らと、日本初の児童文学団体である少年文学研究会を設立。1920年には、研究社『小学少女』の編集に当たっている。のちに、小川未明、楠山正雄、鹿島鳴秋、蘆谷蘆村、浜田廣介が創立準備をした童話作家協会に参画。