原田 道一(はらだ どういつ、1935年 - )は、日本の僧… 原田 道一(はらだ どういつ、1935年 - )は、日本の僧侶、文筆家。岐阜県の曹洞宗正宗寺東堂。 高山市生まれ。1941年春から半年間、三重県津市景雲寺(尼寺)に預けられ、剃髪。1963年駒澤大学仏教学部卒業。曹洞宗教化研修所青年コース(4年間)修了。岐阜県立高校教諭(倫理と社会科)を経て、正宗寺住職となる。住職としての職責のほか講演会、音楽会などを企画、運営。地元飛騨の地域、文化活動に積極的に関わる。 著書に「出あうところ わがいのち」「脳幹鍛練で『自分流の生き方』をつくる -いま、身心一如の時代に必要なこと」など。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
冨長 覚梁(とみなが かくりょう、1934年9月15日 -2… 冨長 覚梁(とみなが かくりょう、1934年9月15日 -2024年4月1日 )は、日本の詩人、浄土真宗僧侶。長願寺住職。 岐阜県養老町生まれ。岐阜大学卒。2002年「そして秘儀そして」で第35回日本詩人クラブ賞受賞。2009年度岐阜県芸術文化顕彰受賞。2023年地域文化功労者。愛情に満ちた心温まる「愛の詩」審査委員長。代々養老町の文人で、曾祖父は冨長覚民、祖父は冨長静丸(覚静、1865-1930)で広瀬淡窓の門に学び県議会議員も務めた。父は冨長蝶如、真宗大谷派長願寺の御住職であり、1956年から3年かけて完結に導いた『梁川星巌全集』編集の功労者にして、岐阜に限らぬ広く東海地方全域の旧世代知識人の師表として仰がれた漢詩人であってみれば。
天野 若円(あまの じゃくえん、嘉永4年5月10日(1851… 天野 若円(あまの じゃくえん、嘉永4年5月10日(1851年6月9日) - 明治42年(1909年)12月4日)は、明治前期の浄土真宗本願寺派の僧侶・政治家。諡号は即生院。 父の天野若空(文政2年3月13日(1819年4月7日)-明治31年(1898年)3月9日)は浄土真宗の学僧として名高く、美濃国厚見郡岩戸村(北長森村を経て現在の岐阜県岐阜市)にあった善龍寺の住職を務め、没後の明治34年(1901年)には勧学の地位を贈られている。 若円は若空の長男として生まれ、明治13年(1880年)浄土真宗本派大教校普通全科卒業後善龍寺を継ぎ、更に高田教務所管事や本山(西本願寺)の教学課長などを歴任した。
漆 昌巌(昌巖、うるし しょうがん、1850年2月12日(嘉… 漆 昌巌(昌巖、うるし しょうがん、1850年2月12日(嘉永3年1月1日)- 1934年(昭和9年)1月25日)は、幕末から昭和初期の僧侶・実業家・政治家。衆議院議員、東京府荏原郡品川町長。旧姓・加藤。娘・漆雅子は品川女子学院の創立者。 伊勢国桑名郡江内村(岐阜県下石津郡江内村、油島村、海津郡大江村大字油島、海津町を経て現海津市油島)で、自作農・加藤武右衛門の二男として生まれる。万延元年(1860年)美濃国石津郡高須町(現海津市)の浄土宗円心寺に入り僧となる。明治元年(1868年)芝増上寺学寮に入り仏典を学ぶ。名字は浄土宗開祖法然の漆間にちなみ漆(うるし)と改称し届出た。1874年(明治7年)荏原郡北品川宿、法禅寺住職に就任。