馬渕 智子(まぶち さとこ、1982年2月17日 - )は、… 馬渕 智子(まぶち さとこ、1982年2月17日 - )は、愛知県名古屋市出身の女子ソフトボール選手(外野手)。右投左打。身長163cm。元日立ソフトウェア所属。元ソフトボール日本代表。北京オリンピック金メダリスト。 2000年、愛知県の星城高等学校卒業後、日立ソフトウェアに入団。翌年よりレギュラーに定着し、2002年-2005年、2008年-2010年に日本リーグ1部ベストナイン、2003年-2005年に本塁打王、2003年、2005年、2008年に打点王と、日本を代表する長距離打者として活躍。2008年には日本代表として北京オリンピックに出場し、4番打者として金メダル獲得に貢献した。2010年シーズン終了をもって現役引退。
松尾 晃雅(まつお てるまさ、1981年11月10日 - )… 松尾 晃雅(まつお てるまさ、1981年11月10日 - )は、愛知県知立市出身の元プロ野球選手(投手)。 刈谷高時代は、2年時の県ベスト8が最高。卒業後は大阪教育大学へ進学。大学時代は、通算19勝を挙げる活躍をした。高校3年の時に母子家庭となり、大学時代はアルバイトで生活費をまかなっていたという。 大学卒業前には一般企業への就職が決まっていたが、「母を楽にさせたい」という理由でプロ入りを志願。2004年10月に行われたアメリカ・独立リーグの入団テストに合格したが、四国アイランドリーグ創設の話を知り、日本でのプレーを希望した。2004年12月に行われた四国アイランドリーグのトライアウトを受験して合格。
苫米地 鉄人(とまべち てつと、1981年9月22日 - )… 苫米地 鉄人(とまべち てつと、1981年9月22日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(投手)、現スポーツトレーナー。
岡本 浩二(おかもと こうじ、1981年8月3日 - )は、… 岡本 浩二(おかもと こうじ、1981年8月3日 - )は、愛知県豊田市出身の元プロ野球選手(投手)。
藤井 淳志(ふじい あつし、1981年5月20日 - )は、… 藤井 淳志(ふじい あつし、1981年5月20日 - )は、愛知県豊橋市出身の元プロ野球選手(外野手、右投両打)、野球解説者、実業家。 地元で公立の豊橋東高等学校から、一般入試で筑波大学へ進学。入学後は、4年次からスイッチヒッターに挑戦。2003年の首都大学野球春季1部リーグにて、50打数17安打6打点(打率.340)と個人打撃成績7位の成績を残す。 NTT西日本へ進み、2005年の都市対抗野球では2回戦で日産自動車の高崎健太郎から本塁打を放つがコールド負け。秋の日本選手権にて齊藤信介(藤井と同じくのちに中日へ入団)や岸田護、脇谷亮太らのメンバーで準優勝。野球W杯では社会人のみで編成された日本代表に選出。
酒井 大輔(さかい だいすけ、1980年6月19日 - )は… 酒井 大輔(さかい だいすけ、1980年6月19日 - )は、愛知県瀬戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 松坂世代の一人。春日丘高では3年春の県大会で優勝。高校時代はMAX146km/hの投手であり、また50m5秒7の俊足と高校通算35本塁打という強打もあり、上位指名候補としても名前が挙がっていた。1998年のドラフト7位で広島東洋カープに入団。指名時のコメントで、「カープは好きな球団だった。」と発言した。 野手として期待しての獲得で本人も乗り気だったが、思いのほか投手としての力があったため、投手1本で行くことになった。カープキャンプを視察に来ていた江川卓も投球を見て「山口高志の再来。野手で育てると言うことだが、これだけのボールなら投手で見たい。
湊川 誠隆(みなとがわ まさたか、1980年5月22日 - … 湊川 誠隆(みなとがわ まさたか、1980年5月22日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(内野手)、ファッションデザイナー。
石堂 克利(いしどう かつとし、1980年4月18日 - )… 石堂 克利(いしどう かつとし、1980年4月18日 - )は、愛知県西尾市出身の元プロ野球選手(投手)。
関屋 智義(せきや ともよし、1979年10月18日 - )… 関屋 智義(せきや ともよし、1979年10月18日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(内野手)。
高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1979年10月2日 … 高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1979年10月2日 - )は、愛知県春日井市出身の日本の高校野球指導者。中京大学附属中京高等学校保健体育科教諭。 春日井市立東部中学校出身 高校3年次の1997年の選抜大会では2番遊撃手の主将として出場し、準優勝。 大学卒業後は複数の学校にて、コーチを務める。 2009年に母校の中京大中京高校に戻り、コーチに就任。翌年夏の甲子園大会敗退の後に大藤敏行の後を継ぎ、同校の監督に就任。監督として、2015年、2017年、2024年各夏の甲子園大会に出場。2019年の秋には明治神宮大会で優勝し、翌年の選抜大会に監督として初出場(後に中止となり、交流試合に出場)。
ユウキ(ゆうき、本名:田中 祐貴(たなか ゆうき)、1979… ユウキ(ゆうき、本名:田中 祐貴(たなか ゆうき)、1979年6月12日 - )は、愛知県豊田市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 プロ野球選手時代は、東京ヤクルトスワローズへ移籍した直後を除いて「ユウキ」の登録名を用いていた。 オリックス・バファローズ創設期の選手の1人。 豊田市立平和小学校時代に5歳年上の兄が所属していた軟式野球チームの「水源パイレーツ」に在籍していたが、当時から「田中」という姓ではなく、名前の「祐貴」と呼ばれていたという。杜若高等学校在学中は2年夏に愛知大会の準決勝で愛知高等学校の関屋智義(のち横浜ベイスターズ)と投げ合って敗退、3年夏もベスト8で延長の末に敗れる。
ユウキ(1979年6月12日 - )は、愛知県豊田市出身の元… ユウキ(1979年6月12日 - )は、愛知県豊田市出身の元プロ野球選手(投手)。本名、田中 祐貴(たなか ゆうき)。
山本 浩司(やまもと こうじ、1979年4月3日 - )は、… 山本 浩司(やまもと こうじ、1979年4月3日 - )は、元社会人野球選手 (投手)、野球指導者。JR東日本所属。181cm、77kg。右投げ右打ち。 小学校2年生から野球を始め、以降投手一筋。知立市立知立南中学校時代は「愛知衣浦シニア」に所属。大府高校から亜細亜大学に進学。3年時には大学野球選手権優勝を経験、4年時の2001年シーズンでは春秋通算で7勝をマークした。リーグ通算21試合に登板し7勝7敗。大学卒業後は社会人のJR東日本へ入社。1年上に吉川昌宏ら、1年下に木佐貫洋、永川勝浩、小山良男がいた。 JR東日本では入社1年目から先輩の松井光介と共に投手陣を支える存在となり、松井がプロ入り後はJR東日本のエースとして活躍した。
鎌田 圭司(かまた けいじ、1979年3月26日 - )は、… 鎌田 圭司(かまた けいじ、1979年3月26日 - )は、愛知県岡崎市出身の元プロ野球選手(内野手)。 豊田大谷高を卒業後、名城大学に進学。大学の2学年上の先輩に蔵本英智がおり、後に中日でもチームメイトとなった。大学時代は1999年春季ベストナイン(遊撃手)に選出。卒業後は、トヨタ自動車に入社。 トヨタ自動車では、主に1番もしくは9番ショートとして活躍。2001年から2004年に都市対抗野球大会出場。2004年のドラフトで中日ドラゴンズから10巡目で指名されて入団。機敏な守備で走塁もあり、パンチ力もある内野の即戦力候補と評された。 2005年は、5月28日の対ソフトバンク戦9回表に立浪和義の代走で初出場し、初盗塁を記録。
武田 勝(たけだ まさる、1978年7月10日 - )は、愛… 武田 勝(たけだ まさる、1978年7月10日 - )は、愛知県名古屋市西区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。左投左打。 現役時代はNPBの北海道日本ハムファイターズに所属した。引退後は独立リーグやファーム参加球団でコーチ・監督を歴任している。 名古屋市立上名古屋小学校4年生の時から野球部に所属。名古屋市立浄心中学校に進学後、関東第一高等学校の小倉全由監督(当時)に知られるほど軟式野球で名を馳せた。 中学3年の時に、小倉が中京高校との練習試合で名古屋へ来た際に小倉の前で投球を披露。1球だけ投げたところ、小倉から関東一高への進学を勧められた。 関東一高に進学後は、1年生の夏に控え投手として第76回全国高等学校野球選手権大会に出場。
田中 明(たなか あきら、1977年12月1日 - )は、愛… 田中 明(たなか あきら、1977年12月1日 - )は、愛知県出身の元社会人野球選手(投手)。 社会人時代は最速148km/hの速球とスライダー、フォークボールを投げ、試合中は気合を前面に出していた。 名古屋第一高等学校(現:中部大学第一高等学校)では、2年夏にチームが愛知県大会で準優勝を果たす。3年夏はエースとしてチームを支え、県大会の準々決勝で享栄と対戦し、3安打2失点で完投するも0対2で敗れた。 高校卒業後は徳山大学(現:周南公立大学)に進学し、2年次には大学選手権へ出場している。4年秋のリーグ戦ではベストナインに選ばれた。 大学卒業後の2000年に一光に入社。1年目はプロのスカウトも注目する素材であったが、冬のトレーニング中に手首とヒジを同時に痛め、2年目のシーズンを棒に振る。
上坂 太一郎(かみさか たいちろう、1977年4月14日 -… 上坂 太一郎(かみさか たいちろう、1977年4月14日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。
井本 直樹(いもと なおき、1976年8月12日 - )は、… 井本 直樹(いもと なおき、1976年8月12日 - )は、愛知県知多郡阿久比町出身の元プロ野球選手。現在は中日ドラゴンズのスコアラー。
三輪 敬司(みわ けいじ、1976年7月26日 - )は、愛… 三輪 敬司(みわ けいじ、1976年7月26日 - )は、愛知県西尾市一色町出身の元プロ野球選手(捕手)。
金谷 則幸(かなや のりゆき、1976年7月7日 - )は愛… 金谷 則幸(かなや のりゆき、1976年7月7日 - )は愛知県出身の元社会人野球選手、野球指導者。 名古屋市立今池中学校時代には「東山クラブ」に所属。 豊田大谷高校では2年夏に1年上のエース平田洋を擁して県大会ベスト4まで進出。亜細亜大学に進学、1年秋から外野手としてもリーグ戦に出場。4年次に井端弘和の後を受けて二塁手に定着すると4年春秋でリーグ優勝、ベストナイン。 同期には同郷の赤星憲広がいた。その後はJTに入社、第75回都市対抗野球大会ではベスト4に進出して優秀選手。チームの休部で地元のJR東海に移籍、ここでは大学からJTを通じて1年後輩であった中須賀諭と再びチームメイトになった。引退後はコーチを務める。
赤星 憲広(あかほし のりひろ、1976年4月10日 - )… 赤星 憲広(あかほし のりひろ、1976年4月10日 - )は、愛知県刈谷市出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)、野球解説者、野球評論家、タレント。妻はタレントの徳原恵梨。マネジメント契約は株式会社オフィスS.I.Cである。 赤星曰く、幼少期から運動神経が良く、刈谷市立住吉小学校時代には野球以外のスポーツで誰かに負けたことがなかった。特に足の速さに関しては幼稚園に入園する頃にはすでに自覚があり、誰かに負けた記憶がないという。ただし努力をしなくてもあらゆるスポーツで負けることがないことで「何をやっても面白くない」、何をやってもうまくいくがゆえに「逆に自分は何をするべきなのか、何をやると一番楽しいのかということがわからない」心境に陥っていた。
平田 洋(ひらた ひろし、1975年〈昭和50年〉11月25… 平田 洋(ひらた ひろし、1975年〈昭和50年〉11月25日 - )は、愛知県豊田市出身の元プロ野球選手(投手・右投右打)。 豊田大谷高校時代から高校球界屈指の剛腕投手として注目され、1993年のドラフト会議で地元球団である中日ドラゴンズ(セ・リーグ)から1位指名を受けた。入団当初から「将来のエース」と高く期待されたが、プロ入り後は一軍でわずか2試合のみ先発登板して0勝1敗とまったく活躍できず、プロ入り5年目の1998年限りで戦力外通告を受けた。 豊田市立挙母小学校・豊田市立崇化館中学校出身で、小学校5年生の時に父親が監督を務めていた少年野球チームで野球を始めた。 野球を始めてから投手一筋で、中学卒業時には後に愛知県大会で敗れた享栄高校を含め多くの強豪高校を抱える高校からスカウトされた末に豊田大谷高校へ進学し、高校時代は2年生(1992年)でエースになった。
村上 真由美(むらかみ まゆみ、1975年 - )は、愛知県… 村上 真由美(むらかみ まゆみ、1975年 - )は、愛知県豊田市出身の女子ソフトボール選手(投手)。元NPF選手。日本人初のプロソフトボール選手。
岩瀬 仁紀(いわせ ひとき、1974年11月10日 - )は… 岩瀬 仁紀(いわせ ひとき、1974年11月10日 - )は、愛知県西尾市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、コーチ、野球解説者・野球評論家。 現役時代は、1999年から2018年まで20年間にわたって地元の愛知県を保護地域とするNPB球団の中日ドラゴンズでプレーし、救援投手として活躍。若手時代は中継ぎ投手、後年に抑え投手として起用され、セントラル・リーグ最優秀中継ぎ投手のタイトルを3回、リーグ最多セーブ投手のタイトルを5回獲得したが、後者の獲得回数はNPB最多タイ記録である。また通算1002登板、407セーブはいずれもNPB記録である。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。 1974年11月10日、愛知県で生まれた。
イチロー(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう〉、1973年1… イチロー(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう〉、1973年10月22日 - )は、愛知県西春日井郡豊山町出身のプロ野球選手(外野手)。マイアミ・マーリンズ所属。血液型はB型。MLBシーズン最多安打記録保持者(262安打)であり、プロでの通算安打世界記録保持者(4257安打でギネス世界記録に認定)でもある。
深谷 篤(ふかや あつし、1973年5月27日 - )は、愛… 深谷 篤(ふかや あつし、1973年5月27日 - )は、愛知県幡豆郡幡豆町(現西尾市)出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は23。 愛工大名電高では2年夏に続き3年春は主将で甲子園に出場して本塁打。法政大学(1995年の大学選手権優勝に正選手として貢献)、卒業後三菱自動車岡崎でいずれも主に二塁手としてプレーし、1999年にセントラル・リーグ東京審判部に入局。 2009年にオールスターゲームに初出場した。 2014年には、同期入局の嶋田哲也と共に日本シリーズ(阪神対ソフトバンク戦)に初出場を果たし、10月29日の第4戦(ヤフオクドーム)で球審を務めた。 2017年7月14日、地元愛知のナゴヤドームで行われたオールスターゲーム第1戦で球審を務めた。
永田 能隆(ながた よしたか、1973年1月18日 - )は… 永田 能隆(ながた よしたか、1973年1月18日 - )は、愛知県知多郡武豊町出身の元プロ野球選手(投手)。
山田 広二(やまだ こうじ、1972年11月20日 - )は… 山田 広二(やまだ こうじ、1972年11月20日 - )は、愛知県大府市出身の元プロ野球選手(内野手)。 大府市立大府小学校、大府市立大府中学校出身。中学卒業後は弥富高校を経て、社会人野球のトヨタ自動車に入団した。中学時代は三塁手だったが、入学後に当時の野球部監督から強肩を見込まれ、投手に転向した。その後、高校3年生だった1990年春の愛知大会では身長186 cmの体格から最高球速140 km/hの速球を投げる好投手として、チームを準々決勝にまで導いた。しかし6月末の練習中、捕手の二塁への送球を右のこめかみに当てて8日間入院し、投げ込みができなかったことが響き、チームは同年夏の愛知大会では西尾高校に4回戦で敗退した。
伊藤 栄祐(いとう えいすけ、1972年10月29日 - )… 伊藤 栄祐(いとう えいすけ、1972年10月29日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(投手)。
高木 浩之(たかぎ ひろゆき、1972年10月14日 - )… 高木 浩之(たかぎ ひろゆき、1972年10月14日 - )は、愛知県稲沢市出身の元プロ野球選手(内野手)。2013年から埼玉西武ライオンズの二軍打撃コーチを務める。
稲葉 篤紀(いなば あつのり、1972年8月3日 - )は、… 稲葉 篤紀(いなば あつのり、1972年8月3日 - )は、愛知県北名古屋市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、左投左打)・コーチ。
本田 英志(ほんだ ひでし、1971年9月1日 - )は、愛… 本田 英志(ほんだ ひでし、1971年9月1日 - )は、愛知県出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は43。父は元プロ野球選手で、引退後中日ドラゴンズでマネージャー・編成部長などを務めた本田威志。 豊田西高等学校では3年夏にエースで4番として県大会決勝へ進むが、山田喜久夫が先発した選抜で優勝した東邦高に敗れた。中央大学では硬式野球部に内野手として在籍。1994年にセントラル・リーグ審判部に入局。 2014年5月9日の広島対中日第6回戦(マツダ)で、通算1000試合出場を達成した。 2015年に開催された第1回WBSCプレミア12に派遣され、6試合に出場した。決勝戦では一塁塁審を務めた。 2019年6月18日のヤクルト対ソフトバンク(神宮)にて球審として出場し、通算1500試合出場を達成。
平江 巖(ひらえ いわお、1971年7月26日 - )は、愛… 平江 巖(ひらえ いわお、1971年7月26日 - )は、愛知県豊橋市出身の元プロ野球選手(外野手)。 愛知・成章高から、1989年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから5位指名を受け入団。高校通算で打率4割5分、21本塁打。 高校時代の実績からスラッガー候補として期待されたが、怪我などもあって一軍出場は1995年にわずか1試合に代打で出場し三振に終わったのみで、1996年オフに自由契約となる。 近鉄、ロッテでコンディショニングコーチを務めた立花龍司の紹介で、ニューヨーク・メッツとシアトル・マリナーズのトライアウトに参加したが契約には至らず、現役を引退。その後、アスリートマネジメント会社『スポーツビズ』に就職。
山田 喜久夫(やまだ きくお、1971年7月17日 - )は… 山田 喜久夫(やまだ きくお、1971年7月17日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。
渡辺 伴子(渡邉 伴子、わたなべ ともこ、1971年4月14… 渡辺 伴子(渡邉 伴子、わたなべ ともこ、1971年4月14日 - )は、愛知県出身の女子ソフトボール選手(投手)。左投左打。1996年のアトランタオリンピック日本代表。株式会社RIGHTS.ネットワークメンバー。
太田 勝正(おおた かつまさ、1971年3月26日 - )は… 太田 勝正(おおた かつまさ、1971年3月26日 - )は、愛知県岡崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 三河高時代は、甲子園出場経験がなかった。のちに中日に入団する原田政彦とは同級生である。 1988年のプロ野球ドラフト会議においてダイエーに6位で指名を受け入団。 1991年にはマイナーリーグA級のサリナス・スパーズ(英語版)に野球留学した。 抜群の制球力を持ち味に先発から抑えまで器用にこなす投手として、二軍のウエスタン・リーグでは58試合を投げ、投球回153回、11勝8敗3セーブ、75奪三振、防御率2.59の成績を残したが、7年間のプロ生活で1度も一軍で投げる事なく、1995年に現役を引退した。
小池 貴志(こいけ たかし、1970年10月8日 - )は、… 小池 貴志(こいけ たかし、1970年10月8日 - )は、愛知県名古屋市港区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 2025年時点では、NPB12球団ジュニアトーナメントに参戦している中日ドラゴンズジュニアのチーム代表を務めている。 正保小学校、港北中学校を経て星城高等学校に入学。 高校時代から投手として注目されていたが、3年生だった1988年6月に右肘を痛めたため、一時は野球を断念した。しかし右肘が回復したことを受け、「もう一度、自分の力を試してみたい」との理由から、同年11月13日に中日ドラゴンズがナゴヤ球場で実施した新人テストを受験、金子歩とともに基礎体力などの1次試験に合格した。同月中旬、浜松秋季キャンプに合流し、そこで行われた二次試験に合格、同年12月24日に練習生として中日に入団することが発表された。
木村 龍治(きむら りゅうじ、1970年9月1日 - )は、… 木村 龍治(きむら りゅうじ、1970年9月1日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、読売ジャイアンツの二軍投手コーチを務める。
神野 純一(じんの じゅんいち、1970年4月14日 - )… 神野 純一(じんの じゅんいち、1970年4月14日 - )は、愛知県東海市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
鮎川 義文(あゆかわ よしふみ、1970年4月2日 - )は… 鮎川 義文(あゆかわ よしふみ、1970年4月2日 - )は、愛知県刈谷市出身の元プロ野球選手(内野手)。 刈谷市立住吉小学校、刈谷市立刈谷南中学校卒業。星城高では1年生の秋から4番を打ち、高校通算22本塁打。3年生の時の1988年、愛知大会は準々決勝に進出するが、名城大附高に敗退。 1988年度プロ野球ドラフト会議にて阪神タイガースから6位指名を受け、入団。 1990年シーズンから主に左の代打として一軍で起用される。 1993年シーズンには、シーズン前半に松永浩美が故障し、三塁手として32試合に先発出場。 1994年シーズンも7月から八木裕が欠場、三塁手の定位置を獲得し45試合に先発。同年のシーズンはプロ初本塁打を含む2本塁打を放つ。
北原 喜久男(きたはら きくお、1969年10月18日 - … 北原 喜久男(きたはら きくお、1969年10月18日 - )は、愛知県碧南市出身の元プロ野球選手(投手)。
加藤 貴己(かとう たかみ、1969年8月18日 - )は、… 加藤 貴己(かとう たかみ、1969年8月18日 - )は、日本の実業家、社会人野球選手(投手)。愛三工業代表取締役社長、日本実業団陸上競技連合副会長。アドヴィックス取締役、プライムアースEVエナジー監査役、大豊工業監査役、中央発條監査役等も歴任した。 愛知県名古屋市出身。中京大学附属中京高等学校硬式野球部で第69回全国高等学校野球選手権大会に出場し、立命館大学硬式野球部入部(関西学生野球連盟リーグ戦通算19勝9敗)。1987年ドラフト候補。1992年立命館大学経営学部卒業、トヨタ自動車入社、第6生技部配属、トヨタ自動車硬式野球部入部。1995年トヨタ自動車生技管理部車両生技企画室に異動。 2002年からトヨタ自動車BR内製原価マネジメント室。
松久保 新吾(まつくぼ しんご、1969年5月23日 - )… 松久保 新吾(まつくぼ しんご、1969年5月23日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。
後藤 孝志(ごとう こうじ、1969年5月14日 - )は、… 後藤 孝志(ごとう こうじ、1969年5月14日 - )は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手、野球指導者。本名及び1991年までの登録名は後藤 孝次(読み同じ)。守備位置は内野手(三塁手・一塁手)及び外野手。2014年度より巨人の育成コーチ、2015年度より二軍内野守備走塁コーチ、2016年度より三軍外野守備走塁コーチ、2017年度より三軍外野守備打撃コーチを務める。
小池 秀郎(こいけ ひでお、1969年3月18日 - )は、… 小池 秀郎(こいけ ひでお、1969年3月18日 - )は、愛知県尾西市(現:一宮市)生まれの元プロ野球選手(投手)。左投左打。 1990年のドラフト会議における「小池騒動」で知られる人物である。プロ野球選手時代は1993年から1999年、2002年から2004年と、通算10年間にわたってパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の近鉄バファローズ(1999年以降の球団名は「大阪近鉄バファローズ」)に在籍し、1997年シーズンには15勝を挙げてパ・リーグ最多勝投手のタイトルを獲得した。 中学校時代までは愛知県尾西市(現:一宮市)で育った。プロ入り前の『週刊ベースボール』、およびプロ入り前後の『中日スポーツ』では尾西市出身とされているが、後述のドラフト会議で8球団から1位指名を受けた1990年時点では実家は岐阜県羽島市にあり、プロ入り後の選手名鑑に掲載されているプロフィールでは羽島市出身とされている。
白井 康勝(しらい やすかつ、1969年3月4日 - )は、… 白井 康勝(しらい やすかつ、1969年3月4日 - )は、愛知県新城市出身の元プロ野球選手(投手)。
大美 健二(おおみ けんじ、1969年2月10日 - )は、… 大美 健二(おおみ けんじ、1969年2月10日 - )は、愛知県岡崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 岡崎工業高では3年春の県大会で享栄高の近藤真一と投げ合い完投勝ちした実績を持つ。 1986年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから6位指名を受け入団。 一軍出場が無いまま、1990年限りで現役を引退した。
山﨑 武司(やまさき たけし=現在の登録名、1968年11月… 山﨑 武司(やまさき たけし=現在の登録名、1968年11月7日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)。
山﨑 武司(やまさき たけし〈現役引退時の登録名〉、旧登録名… 山﨑 武司(やまさき たけし〈現役引退時の登録名〉、旧登録名および本名:山崎 武司〈読み同じ、#登録名も参照〉、1968年〈昭和43年〉11月7日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手・外野手・捕手・指名打者、右投右打)。愛知県東海市生まれ、同県知多市出身。 現役時代は主にNPBの中日ドラゴンズや東北楽天ゴールデンイーグルスで活躍、27年(実働25年)の現役生活で通算403本塁打を記録した強打者である。中日時代の1996年にはセントラル・リーグの本塁打王を、楽天時代の2007年にはパシフィック・リーグの本塁打王・打点王を獲得しており、落合博満、タフィ・ローズに続いてNPB史上3人目のセ・パ両リーグ本塁打王達成者である。
近藤 真市(こんどう しんいち、1968年9月8日 - )は… 近藤 真市(こんどう しんいち、1968年9月8日 - )は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。プロ野球史上唯一の初登板ノーヒットノーランを記録。本名及び1992年までの登録名は近藤 真一(読み同じ)。同じく中日ドラゴンズに所属する近藤弘基外野手は、実子。