森山 修斗(もりやま なおと、1996年4月13日 - )は… 森山 修斗(もりやま なおと、1996年4月13日 - )は、日本の男子プロバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード。B3リーグの徳島ガンバロウズ所属。 瀬田工業高校から明治大学を経て、2019年に広島ドラゴンフライズに加入。 2021年、滋賀レイクスターズに移籍。 2025年、徳島ガンバロウズに移籍。
滋賀県:13人
森山 修斗(もりやま なおと、1996年4月13日 - )は… 森山 修斗(もりやま なおと、1996年4月13日 - )は、日本の男子プロバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード。B3リーグの徳島ガンバロウズ所属。 瀬田工業高校から明治大学を経て、2019年に広島ドラゴンフライズに加入。 2021年、滋賀レイクスターズに移籍。 2025年、徳島ガンバロウズに移籍。
北川 弘(きたがわ ひろむ、1991年〈平成3年〉10月16… 北川 弘(きたがわ ひろむ、1991年〈平成3年〉10月16日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。滋賀県大津市出身。身長182cm、体重70kg。ポジションはポイントガード/シューティングガード。 田上クラブ(ミニバス)、大津市立南郷中学校、光泉高等学校出身。滋賀のバスケ強豪校である光泉高時代は、2008年高校2年時のウィンターカップで全国大会初出場、2009年高校3年時はインターハイ・ウィンターカップともに出場している。 2010年、スカウトされ日本体育大学へ進学、日体大グリズリーに所属する。大学1年からSGとして試合に出続け、2012年大学3年時のみPGにコンバートされるも怪我で離脱、復帰後再びSGとして活躍した。
髙畠 佳介(たかばたけ けいすけ、1990年3月17日 - … 髙畠 佳介(たかばたけ けいすけ、1990年3月17日 - )は、滋賀県出身のバスケットボール選手である。身長183cm、体重78kgで、ポジションはシューティングガード。B3.LEAGUEのトライフープ岡山に所属している。 草津高校、びわこ成蹊スポーツ大学を経て、2011年、地元の滋賀レイクスターズに、練習生として加入した。滋賀との選手契約はならなかったものの、2012年7月、ライジング福岡と選手契約を結んだ。 2013年からは、スポーツ教室を運営する企業エルトラックからの支援を受けることになった。 2013-14シーズン、オールスターブレイクまでに19試合に出場して平均2.3得点だった高畠は、ジェームス・ダンカンヘッドコーチの初采配となった2014年2月1日の埼玉ブロンコス戦で、6本の3ポイントシュートをすべて成功させ、18得点をあげて勝利に貢献した。
横江 豊(よこえ ゆたか、1989年〈平成元年〉4月19日 … 横江 豊(よこえ ゆたか、1989年〈平成元年〉4月19日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手である。滋賀県草津市出身。ポジションはポイントガード。 草津OSCでバスケを始め、草津市立高穂中学校、光泉高校を経て日本体育大学に進学。4年次には主将も務めた。 卒業を間近に控えた2012年2月にbjリーグで改定された新人選手契約制度(アーリーエントリー)により滋賀レイクスターズに入団。背番号23。2015-16シーズンと2016-17シーズンはキャプテン(3代目)を務めたが、2018年5月17日に自由交渉選手となった。 2018年6月26日、バンビシャス奈良との契約に合意し、移籍。横江は2021年に受けたインタビューで「(滋賀レイクスターズから)移籍して出る時はすごく悩みました。
青山 友香(あおやま ゆか、1988年7月7日 - )は、日… 青山 友香(あおやま ゆか、1988年7月7日 - )は、日本の女子バスケットボール選手である。ポジションはフォワード。 滋賀県出身。滋賀女子高校卒業後の2007年にアイシン・エィ・ダブリュに入社、同社のバスケットボール部でWJBL所属のアイシン・エィ・ダブリュ ウィングスに入部する。2013-14シーズンにはサブキャプテンを務めた。2014年に引退。選手としての7シーズンで通算97試合に出場した。
中川 明子(なかがわ あきこ、1987年9月24日 - )は… 中川 明子(なかがわ あきこ、1987年9月24日 - )は滋賀県出身の女子バスケットボール選手である。ポジションはガードフォワード。 長浜北星高校から、筑波大学に進み、4年次にはユニバーシアード日本代表に選出される。 卒業後の2010年、富士通に入社。2014年退団。
宮元 美智子(みやもと みちこ、1986年4月9日 - )は… 宮元 美智子(みやもと みちこ、1986年4月9日 - )は、滋賀県出身の元バスケットボール選手である。ポジションはガードフォワード。 小学校でバスケを始め、浅井中を経て、岐阜女子高校に進学。 2005年、三菱電機に入社。 2013年、日本代表に選出される。
伊戸 重樹(いど しげき、男性、1985年5月27日 - )… 伊戸 重樹(いど しげき、男性、1985年5月27日 - )は、滋賀県長浜市出身のバスケットボール指導者、選手である。 現在はIBS(伊戸バスケットボールスクール)でコーチをしている。 大谷高校からびわこ成蹊スポーツ大学に進学。大学では毎試合およそ30得点を挙げ、4年次には関西学生バスケットボールリーグ2部の優秀選手に選ばれた。 しかしbjリーグのトライアウトにおいて最終選考まで進むも落選し、実業団チームのイカイレッドチンプスや、リンク栃木ブレックスの下部組織でプレイした。 2010年7月に滋賀レイクスターズのチームトライアウトを受験し、練習生となる。2011年のbjリーグドラフト会議にて育成6位でに指名され、選手契約を結んだ。
小川 伸也(おがわ しんや、1983年8月16日 - )は、… 小川 伸也(おがわ しんや、1983年8月16日 - )は、滋賀県長浜市出身の元プロバスケットボール選手、指導者。ポジションはポイントガード。183cm、78kg。 2007年から2015年までプロ選手として富山と滋賀に所属。引退後は2020年から2022年までB.LEAGUEの京都ハンナリーズヘッドコーチを務めた。2022年からは千葉ジェッツアシスタントコーチ。 11歳の時に長浜小学校でミニバス(長小キング)を始める。長浜市立西中学校を卒業後、洛南高校に進学。2年生時の2000年インターハイで全国デビュー。初戦の高松商業戦ではスタメンとして出場。3回戦で能代工業に敗れる。同年のウィンターカップでは、1回戦で桜井良太擁する四日市工業に敗れる。
岡田 優(おかだ ゆう、1983年〈昭和58年〉7月4日 -… 岡田 優(おかだ ゆう、1983年〈昭和58年〉7月4日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手。滋賀県大津市出身。現役時代のポジションはシューティングガード。 10歳でバスケットボールを始める。大津市立粟津中学校時代に滋賀県大会で優勝した実績を引き下げ、京都の東山高校に入学。1年時にウィンターカップに出場し、ベスト8に進出する。大学は近畿大学に進学し、2年・4年時に関西リーグ優勝を経験。個人タイトルとして、2度の3ポイント王と得点王にも輝いている。インカレには4年連続で出場している。 卒業後、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)の高松ファイブアローズのチームトライアウトに合格し入団。
左官 磨育(さかん まいく、1983年4月28日 - )は、… 左官 磨育(さかん まいく、1983年4月28日 - )は、滋賀県草津市出身のプロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード/シューティングガード。183cm,83kg。 草津市立高穂中学校を卒業後、京都の東山高等学校に進学。1年でウィンターカップベスト8を経験する。同期に岡田優、1学年下に岩隈隆士がいる。 その後、アメリカへの留学を経て近畿大学に進学。関西タイトル獲得に貢献する一方、NKS-405 ALLSTARにも参加。 大学卒業後はbjリーグ合同トライアウトを経て、2008年に滋賀レイクスターズに練習生として入団した後、プロ契約に至ったが2009年に退団した。 滋賀レイクスターズを退団した後はフィリピンでPBA(フィリピン・バスケットボール・アソシエーション)所属チームとの契約を目指した。
土田 真由美(つちだ まゆみ、1977年3月11日 - )は… 土田 真由美(つちだ まゆみ、1977年3月11日 - )は、日本の女子車いすバスケットボール選手。ポジションはパワーフォワード。女子車いすバスケットボールチーム「SCRATCH」、男子チーム「神奈川 VANGUARDS」 所属。車いすバスケットボール女子日本代表選手。 滋賀県長浜市出身。スポーツが好きで、トレーナーを目指して体育大学に進学したが、大学2年生の時に腰痛を発症し、医師の診察を受けたところ先天性の股関節障害が発覚し、将来的に歩行困難となると告げられる。その後、進行性の障害が徐々に悪化し、実技が難しくなったためトレーナーを断念。ある日、体育館で練習していた車いすバスケットボールチームに誘われ競技に出会う。
福井 美恵子(ふくい みえこ、1956年12月3日 - 19… 福井 美恵子(ふくい みえこ、1956年12月3日 - 1980年11月30日)は、滋賀県蒲生郡日野町出身の日本の女子バスケットボール選手。ポジションはセンター。184cm。 中学ではバレーボール部に所属するが、高校女子バスケの名将原田茂監督の誘いを受け樟蔭東高校に進学しバスケットボールに転向。インターハイ・国体で優勝に輝き、全日本ジュニアにも選ばれた。 卒業後の1975年、ユニチカに入社。日本リーグ新人王を獲得。1977-78シーズンにはリーグ優勝の原動力となり、この年より3年連続でベスト5に選ばれた。 また、全日本のメンバーとして1975年世界選手権準優勝メンバーとなる。 翌年のモントリオールオリンピックにも控えとして出場した。