不田 涼子(ふだ りょうこ、1986年10月25日 - )は… 不田 涼子(ふだ りょうこ、1986年10月25日 - )は、兵庫県神戸市出身の元女子プロテニス選手。向陽台高等学校(単位制)卒業。同志社大学スポーツ健康科学部卒業。 3歳でテニスを始め、ジュニア年代では全国小学生大会、全日本ジュニア大会をはじめ、国内全てのタイトルを獲得。14歳以下ワールド・ジュニア大会では、2年連続日本代表選手に選出。ナンバー1として活躍し、アジア・オセアニア地区ゾーン優勝。世界大会でも5位に輝く。 2000年、盛田ファンドの一期生として、アメリカ・フロリダにあるIMGアカデミーにテニス留学。 2002年、15歳時に全日本ジュニア18歳以下で優勝。同年の世界スーパージュニアテニス選手権大会シングルス決勝ではルーシー・サファロバを 6-4, 4-6, 7-6(5) で破り優勝、ITF世界ジュニアランキング7位となる。
上嶋 亜友美(うえしま あゆみ、1982年4月16日 - )… 上嶋 亜友美(うえしま あゆみ、1982年4月16日 - )は、兵庫県出身の女性ソフトテニス選手。日本代表。姫路商業高等学校-東芝姫路。 2003世界選手権から2006アジア競技大会までの4年間で国際大会個人戦ダブルスで4大会連続で決勝に進出し2004-2006で三年連続優勝の偉業を達成(玉泉春美・上嶋亜友美)。また2004アジア選手権ではダブルス(玉泉春美・上嶋亜友美)、ミックスダブルス(中堀成生・上嶋亜友美)、団体戦の3冠完全優勝。
沢松 奈生子(さわまつ なおこ, 1973年3月23日 - … 沢松 奈生子(さわまつ なおこ, 1973年3月23日 - )は、兵庫県西宮市出身の元女子プロテニス選手。夙川学院高等学校、神戸松蔭女子学院大学卒業。シングルス自己最高ランキングは14位。WTAツアーでシングルス4勝を挙げた。2学年上のライバル伊達公子と並んで、日本女子テニス界の黄金時代を築いた名選手のひとりである。
西尾 茂之(にしお しげゆき、1954年5月23日 - )は… 西尾 茂之(にしお しげゆき、1954年5月23日 - )は、日本の元男子プロテニス選手。兵庫県西宮市出身。甲南高校、早稲田大学教育学部卒。ランキング自己最高位はシングルス263位、ダブルス307位。長男の西尾隆信もプロテニス選手である。 テニス愛好家であった父に連れられて幼稚園の頃から甲子園テニスクラブへ通い始める。小学生になると自らもラケットを握り、同クラブで大人に混じって試合経験を積んだ。1967年に中高一貫の六甲中学へ入学して一時テニスから離れるものの、中学2年の終わり頃から再び熱中して市や県の大会で優勝するなど実績をあげると、母の反対を押し切ってテニスの強豪校である甲南高校に転校・進学した。
沢松 和子(さわまつ かずこ、1951年1月5日 - )は、… 沢松 和子(さわまつ かずこ、1951年1月5日 - )は、兵庫県西宮市出身の元女子テニス選手。現・日本テニス協会副会長。神戸松蔭女子学院大学卒業。身長174cm、体重61kg、右利き。日本人初のプロテニス選手。 1975年のウィンブルドン女子ダブルス部門で、日系人選手のアン清村とペアを組んで優勝し、日本人女子テニス選手として史上初の4大大会タイトルを獲得した名選手である。シングルスでは日本人女子初のグランドスラムベスト4進出を果たした。 姉の沢松順子もテニス選手で、沢松奈生子は姪(順子の娘)にあたる。 2022年文化功労者。 沢松家は、和子から見れば祖父の時代からのテニス名門一家だった。西宮市にあるテニスコートつきの家で、和子と順子の2人姉妹は自然にテニスに親しんでいった。
沢松 順子(さわまつ じゅんこ、1948年4月10日 - )… 沢松 順子(さわまつ じゅんこ、1948年4月10日 - )は、兵庫県西宮市出身の元女子テニス選手。 1975年のウィンブルドン女子ダブルス部門で優勝した沢松和子の姉で、沢松奈生子の母親である。神戸松蔭女子学院大学卒業。妹の和子とペアを組み、1970年のウィンブルドン女子ダブルスでベスト8に入った。身長164cm、体重62kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 沢松家は、順子から見れば祖父の時代からのテニス名門一家だった。西宮市にあるテニスコートつきの家で、順子と和子の2人姉妹は自然にテニスに親しんでいった。順子は1965年(昭和40年)に「全日本ランキング」の女子シングルスで7位に入り、1967年と1969年には3位にランクされたが、テニス成績では妹の和子に抜かれてゆく。
布井 良助(ぬのい りょうすけ, 1909年(明治42年)1… 布井 良助(ぬのい りょうすけ, 1909年(明治42年)1月18日 - 1945年(昭和20年)7月21日)は、兵庫県神戸市出身の男子テニス選手。神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。1933年(昭和8年)のウィンブルドン選手権男子ダブルス部門で佐藤次郎とペアを組んで準優勝し、日本人のテニス選手として初めて4大大会決勝に挑戦した選手である。 大阪、西道頓堀の米穀商で資産家の長男として生まれる。布井は1932年(昭和7年)の全日本テニス選手権男子シングルス決勝で佐藤次郎を 5-7, 6-2, 2-6, 6-4, 6-1 で破って優勝したことがあり、早くから佐藤にとって最大の親友であった。布井は同年の全豪選手権から1933年(昭和8年)の全米選手権まで、4大大会に1度ずつ出場した。
青木 岩雄(あおき いわお、1901年9月3日 - 1939… 青木 岩雄(あおき いわお、1901年9月3日 - 1939年5月2日)は、兵庫県神戸市出身の男子テニス選手。慶應義塾大学卒業。1920年代から1930年代前半にかけて、日本男子テニス界を代表した選手の1人であったが、腸閉塞症のため37歳で急死した。主な成績は、1924年の第3回全日本テニス選手権男子ダブルス優勝、1932年のウィンブルドン選手権男子シングルス4回戦進出などがある。彼は三菱銀行(現在の三菱UFJ銀行)に勤務し、1930年7月から1935年3月まで銀行のロンドン支店にいたことから、イギリス開催のテニストーナメント、とりわけウィンブルドン選手権で優れた戦績を出した。青木のテニスは、フォアハンド・ストロークに多少の弱点はあったが、バックハンド・ストローク、ボレー、スマッシュのいずれにもダブルスの分野で力を発揮し、とりわけロビングの技術に優れていた。
奈良 くるみ は、兵庫県川西市出身の日本の元女子プロテニス選… 奈良 くるみ は、兵庫県川西市出身の日本の元女子プロテニス選手。WTAランキング自己最高位はシングルス32位、ダブルス109位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。大阪産業大学卒業。安藤証券所属。
浅越 しのぶ は、兵庫県赤穂郡上郡町出身の元女子プロテニス選… 浅越 しのぶ は、兵庫県赤穂郡上郡町出身の元女子プロテニス選手。現姓名、高島しのぶ。園田学園高等学校卒業。自己最高ランキングはシングルス21位、ダブルス13位。身長170cm、体重58kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。WTAツアーでシングルスの優勝はないが(準優勝3度)、ダブルスで8勝を挙げた。2004年には全米オープン女子シングルスベスト8に進出。これは日本人女子として伊達公子以来10年ぶりのグランドスラムシングルスベスト8進出であった。現役時代の浅越は、女子テニスツアーの仲間たちから Shii-chan (シーちゃん)という愛称で呼ばれた。