スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
元澤 誠(もとざわ せい、2000年〈平成12年〉10月26… 元澤 誠(もとざわ せい、2000年〈平成12年〉10月26日 - )は、シーホース三河に所属している兵庫県明石市出身のプロバスケットボール選手(シューティングガード、スモールフォワード)。 小学生の時に兄の影響でバスケットボールを始める。甲南中学校・高等学校を経て、東海大学を卒業。大学3年次には西宮ストークスの練習生として活動した。2023年1月に立川ダイスと契約し、プロバスケットボール選手となる。2024年オフに退団すると、シーホース三河に練習生として加入。シーズン開幕前には選手を契約を締結した。
横山 友紀(よこやま ともき、2000年1月26日 - )は… 横山 友紀(よこやま ともき、2000年1月26日 - )は将棋棋士。井上慶太九段門下。棋士番号は329。 兵庫県加古川市出身。甲南高等学校を経て甲南大学法学部卒業[要出典]。 2011年、第36回小学生将棋名人戦ベスト4。 三段リーグには第62回(2017年度後期)から参加。8期目の第69回(2021年度前期)三段リーグでは序盤で2勝3敗と躓きながらもその後は連勝街道に乗り、最終日の1局目に勝利し13勝4敗の成績で最終局を残して1位が確定。同じ井上慶太門下の狩山幹生と共に四段昇段を決めた。自身の体調不良のため後日に延期された最終局では黒星を喫し、最終的な勝敗は13勝5敗(1位)となった。 昇段規定は、将棋の段級 を参照。
松岡 大和(まつおか やまと、1998年5月31日 - )は… 松岡 大和(まつおか やまと、1998年5月31日 - )は、ジャパンラグビーリーグワン豊田自動織機シャトルズ愛知に所属するラグビー選手。 中学1年生からラグビーを始めた。 2017年、甲南高校卒業後、天理大学に入る。 2020年、天理大学ラグビー部の主将に就任。天理大学大学選手権初優勝に貢献。 2021年、天理大学卒業後、NTTドコモレッドハリケーンズ(現・NTTドコモレッドハリケーンズ大阪)に加入。同年7月、豊田自動織機シャトルズ愛知に加入。 2022年2月13日に行われたJAPAN RUGBY LEAGUE ONE第4節キューデンヴォルテクス戦にて先発出場でリーグワン公式戦初出場を果たした。
元澤 陸(もとざわ りく、1997年〈平成9年〉7月31日 … 元澤 陸(もとざわ りく、1997年〈平成9年〉7月31日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手。兵庫県明石市出身。現役時代のポジションはシューティングガード。現在は3x3を中心にプレーしている。 小学生の時にバスケットボールを始め、甲南高等学校、甲南大学を経て2016年に練習生として西宮ストークスに入団。ストークスの育成チーム・兵庫インパルスでもプレーした。B3リーグ参入前のトライフープ岡山に所属した後、2019年から2021年まで金沢武士団でプレーしBリーガーとなる。金沢退団後は、滋賀レイクスターズで練習生兼アカデミーコーチとして活動していた。2022年から練習生として古巣・金沢武士団に合流し、再び選手契約を締結した。
Yuki Atori(ユウキ・アトリ、1994年2月10日 … Yuki Atori(ユウキ・アトリ、1994年2月10日 - )は、日本のジャズ/フュージョン系ベーシスト。兵庫県神戸市出身。IbanezおよびMarkbassの公式アーティスト。 甲南中学校・高等学校を経て千葉大学工学部に入学。学生時代よりジャズビッグバンドの演奏活動を行い、第45回山野ビッグバンドジャズコンテストにおいて優秀ソリスト賞を受賞、ウッドベースでの同賞受賞は34年ぶりであった。その後、2021年11月結成の菊地成孔バンド「ラディカルな意志のスタイルズ」に参加。ベース・マガジンをはじめ国内外の音楽誌に掲載されるほか、Ibanez公式アーティストとしてEHBシリーズのプロモーションビデオに出演した。
清水 康志 (しみず こうし、1994年1月14日 - )は… 清水 康志 (しみず こうし、1994年1月14日 - )は、IBC岩手放送報道部の記者で、同局の元アナウンサー。 大阪府大阪市生まれで、兵庫県伊丹市出身。甲南大学卒業後、2016年4月にIBC岩手放送へアナウンサーとして入社。同期入社は長谷川拳杜と川島有貴(いずれもアナウンサー)。 甲南大学の先輩には毎日放送アナウンサーの大吉洋平がおり、中京テレビアナウンサーの上山元気とは、大阪のアナウンススクールセイアカデミー時代の同期であり、大学時代からの友人にあたる。系列同期で、TBSテレビの日比麻音子アナウンサーと同期にあたる。 2023年4月より、報道部の記者専任となる。
小原 宏貴(おはら ひろき、1988年3月26日 - )は、… 小原 宏貴(おはら ひろき、1988年3月26日 - )は、いけばな小原流の五世家元。神戸市出身。 1995年(平成7年)、6歳にして五世家元を継承。幼き日は「家元」として周囲から頭を下げられたり、写真を撮られるような場所には行きたがらなかったが、花展の見学には喜んで母に同行していた。甲南大学卒業までは、家元としての活動は学業優先で限定的(神社仏閣での献花式や流内行事)だった(2010年までは、三世家元長女小原稚子が家元代行を務め補佐した)。10歳で初めて展覧会に出品する。 高校卒業時のインタビューでは、これまでに正式に小原流のいけばなを学んだことはなく、好きな小説を読んだり、建築物や家具などのデザインを眺めたり、友人とフットサルを楽しんだりしながら、自身の感性を磨くことに努めたと言う。
上畠 寛弘(うえはた のりひろ、1987年12月4日 - )… 上畠 寛弘(うえはた のりひろ、1987年12月4日 - )は、日本の政治家。神戸市会議員(2期)。 A.外国人生活保護費にいくら経費がかかり、神戸市民に負担を強いているかを明らかにし、厚労省をはじめ国、そして世論に対し、如何に自治体の負担となっているかを訴えて、外国人生活保護を廃止させる為です!そして子育て支援事業に使いたいです。」とツイートした。 Q.なぜ外国人生活保護の経費総額、人数が必要か? A.外国人生活保護費にいくら経費がかかり、市民に負担を強いているかを明らかにし、厚労省をはじめ国、そして世論に対し、いかに自治体の負担であるかを訴えて、外国人生活保護を廃止させる為。」とツイートした。
奥谷 謙一(おくたに けんいち、1985年(昭和60年)8月… 奥谷 謙一(おくたに けんいち、1985年(昭和60年)8月13日 - )は、日本の政治家、弁護士。兵庫県議会議員(3期)。兵庫県弁護士会所属弁護士。自由民主党兵庫県支部連合会青年局長。 兵庫県神戸市北区出身。自民党の奥谷通(当時国土庁長官秘書、後の衆議院議員)の長男として生まれる。祖父は神戸不燃板工業元社長の奥谷謙三。神戸市立谷上小学校、甲南中学校・高等学校、甲南大学法学部卒業。甲南大学大学院法律研究科(法務専攻)修了。2011年(平成23年)司法試験合格(修習新65期)。2012年(平成24年)兵庫県弁護士会に登録し、神戸中央法律事務所入所。2015年(平成27年)4月12日の兵庫県議会議員選挙において21557票で初当選。
曽我 真臣(そが まさおみ、1982年12月17日 - )は… 曽我 真臣(そが まさおみ、1982年12月17日 - )は、日本の映画俳優。兵庫県神戸市東灘区出身。 宝塚歌劇のファンだった母に連れられ、1985年に劇団日本児童に入れられ、2歳10ヶ月の頃から子役として活動。1990年には劇団東俳に所属。TVCMに出演したり、小学4年生の頃に歌舞伎公演「らくだ」(南座)に1ヶ月間出演したりなど活動していた。演じることの面白さを知り、将来は役者の世界に進むんだと思っていたが、中学受験などのため、一度役者活動を停止する。 甲南中学校入学後はバスケットボールに専念。甲南高校進学後に1年生時に腰を痛めてバスケットボールを諦めざるを得なくなったが、その際に映画をよく観るようになって再度演技に興味を持ち始める。
川辺 泰三(かわべ たいぞう、1982年〈昭和57年〉5月1… 川辺 泰三(かわべ たいぞう、1982年〈昭和57年〉5月13日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手、指導者。大阪府大阪市東区 (現在の中央区) 出身。B.LEAGUEの神戸ストークス第10代監督。現役時代のポジションはシューティングガード。 三菱電機ダイヤモンドドルフィンズや京都ハンナリーズでプレーした後、2013〜2014年シーズン限りで引退。家業の結婚式場を継いで経営者となっていたが、2017〜18年シーズンより豊通ファイティングイーグルス名古屋のアシスタントコーチに就任し、2019〜20年シーズンからヘッドコーチに昇格。同チームをB1昇格に導くなどした。 中大江小学校を卒業後、大阪市立東中学校から甲南高校を経て甲南大学に進学。
田尾 耕太郎(たお こうたろう、1980年8月8日 - )は… 田尾 耕太郎(たお こうたろう、1980年8月8日 - )は、日本の歯科医師、ポータルサイト運営者、インフルエンサー。東京都杉並区出身。 父は元プロ野球選手・監督の田尾安志。
黒田 卓也(くろだ たくや、1980年2月21日 - )は、… 黒田 卓也(くろだ たくや、1980年2月21日 - )は、兵庫県芦屋市出身のジャズトランペット奏者。ニューヨーク・ブルックリン在住。2014年に日本人として初めてブルーノート・レコードと契約した。2016年4月から『報道ステーション』(テレビ朝日・ANN系列)の新テーマ曲「Starting Five」の演奏をJ-Squadのメンバーとして担当。 兵庫県芦屋市に生まれる。甲南中学校・高等学校に入学するとトランペットをはじめ、甲南大学経済学部を卒業するまでビッグバンドに所属した。同大学在学中に20歳でバークリー音楽大学へ短期留学する。 2003年に渡米してニューヨークのニュースクール大学ジャズ科に進学。
佐渡島 隆平(さどしま りゅうへい、1979年10月23日 … 佐渡島 隆平(さどしま りゅうへい、1979年10月23日 - )は、日本の実業家。セーフィー創業者・代表取締役社長CEO。 兵庫県生まれ。甲南幼稚園、甲南小学校、甲南中学校・高等学校を経て、甲南大学経済学部在学中の1999年に、Daigakunote.comを創業。2002年甲南大学卒業、ソネット(現ソニーネットワークコミュニケーションズ)入社。2010年に子会社のモーションポートレートに入社。2014年セーフィーを創業し、代表取締役社長CEOに就任。フォーブス日本の起業家ランキング2021で1位に選出。 実業家、編集者、著作家の佐渡島庸平は従兄。曾祖父も起業家。祖母は起業して保険代理店を経営した。
黒田 英邦(くろだ ひでくに、1976年(昭和51年)1月1… 黒田 英邦(くろだ ひでくに、1976年(昭和51年)1月10日 - )は、日本の実業家。コクヨ株式会社代表取締役社長・最高経営責任者。 曽祖父はコクヨ創業者の黒田善太郎。祖父は黒田暲之助。父は黒田章裕。弟は黒田卓也。 兵庫県芦屋市出身。甲南中学校・高等学校を経て1998年甲南大学経営学部卒業。2000年ルイス&クラークカレッジ経済学部卒業。 2001年コクヨ入社。2005年コクヨオフィスシステム取締役。2007年コクヨオフィスシステム取締役兼常務執行役員。2009年コクヨ取締役、コクヨファニチャー代表取締役社長。2011年コクヨ常務執行役員。2014年コクヨ取締役専務執行役員。2015年からコクヨ代表取締役社長(最高経営責任者)を務め、海外事業の展開を進めた。
妹尾 武(せのお たけし、1969年12月26日 - )は、… 妹尾 武(せのお たけし、1969年12月26日 - )は、兵庫県芦屋市出身のピアニスト、作曲家。Senoo名義で活動を開始し、後に実名で活動する。 甲南中学校・高等学校を経て桐朋学園大学音楽学部卒業。平吉毅州に作曲を師事。好きな映画は「男はつらいよ」全48作を所持。その影響を受け自らのコンサート企画「港めぐりツアー」を毎年行っている。最も敬愛する音楽家はセルゲイ・ラフマニノフ。 1994年、大学在学中に作曲した「So Heavenly.」がサウンド&レコーディング・マガジン誌上での細野晴臣監修のオーディションにて優秀作に選出。1995年、同曲がコンピレーション・アルバム「ecole」(Epic/Sony Records)にSenoo名義で収録されたのを機にプロとしての活動を開始。
長瀬 猛(ながせ たけし、1968年6月18日 - )は、日… 長瀬 猛(ながせ たけし、1968年6月18日 - )は、日本の自由民主党所属の政治家、兵庫県議会議員(連続二期),元神戸市会議員(連続二期),政治活動家、実業家。 兵庫県神戸市灘区生まれ、甲南高等学校卒業、甲南大学法学部卒業。自民党兵庫県連青年局兵庫第一選挙区青年局長。幼い頃は人見知りする子供であったものの、甲南中学校で弁論部に入部したことを契機に人前で話すことに興味を持つ。このころに政治家になろうと決意したが、強く心に決めたのは阪神・淡路大震災を経験したことから。 2006年11月、自民党兵庫県連の新人公募により神戸市会東灘選挙区の公認公募者となる。翌年の4月に統一地方選挙神戸市会東灘選挙区に立候補するが、落選。
比企 啓之(ひき ひろゆき、1963年11月8日 - )は、… 比企 啓之(ひき ひろゆき、1963年11月8日 - )は、株式会社ランナーズ・ウェルネス代表取締役社長。元よしもとデベロップメンツ代表取締役社長、吉本興業芸能マネージャー、プロデューサー。 兵庫県西宮市出身。小学生時代から堀江謙一が船溜まりにしていた、同市西宮浜の西宮港のヨットハーバーに出入りしており、生活の中で身近に感じていた。甲南高等学校を経て甲南大学入学後、ヨット部に入部。ヨットにのめり込み、アルバイトを掛け持ちして中古のヨットを購入。 学生時代の4年時に単身太平洋横断に挑戦したが失敗し、冬季に再び目的地を父島を目指して航海し、命からがら何とか辿り着。当時、付き合っていた同じボート部で知り合った現在の妻の父親の伝で就職のクチを紹介して貰った結果、テレビ局や広告代理店選考には掛からず、再び紹介された吉本興業を受験し、比企が伝無しで受験した事務用品メーカーと双方内定を貰った結果、吉本を選択。
井植 敏雅(いうえ としまさ、1962年12月3日 - )は… 井植 敏雅(いうえ としまさ、1962年12月3日 - )は、日本の経営者。三洋電機社長を務めた。 兵庫県出身。父は井植敏、祖父は井植歳男(三洋電機創業者)。 甲南小学校、甲南中学校・高等学校を経て、1985年に甲南大学経営学部を卒業。1988年にアメリカのボストン大学院を修了し、1989年に三洋電機に入社。 1996年6月に取締役に就任し、1998年6月に常務、2002年6月に副社長を経て、2005年6月には社長に就任。2007年6月には特別顧問に就任。2010年2月から2017年6月までにLIXILグループ副社長を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
ヒロ 松下(ヒロ まつした、英語:Hiro Matsushi… ヒロ 松下(ヒロ まつした、英語:Hiro Matsushita、1961年3月14日 - )は、日本の実業家、元レーシングドライバー。本名は松下 弘幸(まつした ひろゆき)。日本人としてインディカー・ワールド・シリーズおよびインディ500に初参戦を果たした。 レーシングカー製造業のスウィフト・エンジニアリングを起業・経営しているが、競業企業との争いに敗れ、現在は航空宇宙産業のサプライヤーをメイン事業としている。 松下電器産業の2代目社長を務めた松下正治の次男として、1961年に兵庫県西宮市に生まれる。パナソニックの創業者である松下幸之助は祖父に当たる。 甲南幼稚園、甲南小学校、甲南中学校・高等学校、甲南大学経営学部を卒業。
阪口 正二郎(さかぐち しょうじろう、1960年 - )は、… 阪口 正二郎(さかぐち しょうじろう、1960年 - )は、日本の法学者(憲法)。博士(法学)(一橋大学・論文博士・2002年)。一橋大学教授を経て、早稲田大学教授、一橋大学名誉教授。兵庫県西宮市出身。指導学生に宮下紘中央大学教授など。
稲畑 廣太郎(いなはた こうたろう、1957年5月20日 -… 稲畑 廣太郎(いなはた こうたろう、1957年5月20日 - )は、日本の俳人。母は稲畑汀子。曾祖父に高浜虚子、稲畑勝太郎。祖父は高浜年尾。伯母は坊城中子。従弟は坊城俊樹。大叔母は星野立子、高木晴子、上野章子。従伯母は星野椿。再従兄は星野高士。再従姪は星野愛。大叔父に稲畑太郎、池内友次郎。 兵庫県芦屋市生まれ。幼少時より母・汀子について俳句に親しむ。甲南幼稚園、甲南小学校、甲南中学校・高等学校を経て、1982年に甲南大学経済学部を卒業後、合資会社ホトトギス社入社により本格的に俳句を志す。1988年「ホトトギス」同人、同誌編集長。2000年虚子記念文学館理事、2001年日本伝統俳句協会常務理事。2005年「ホトトギス」雑詠選者及び副主宰。
西尾 茂之(にしお しげゆき、1954年5月23日 - )は… 西尾 茂之(にしお しげゆき、1954年5月23日 - )は、日本の元男子プロテニス選手。兵庫県西宮市出身。甲南高校、早稲田大学教育学部卒。ランキング自己最高位はシングルス263位、ダブルス307位。長男の西尾隆信もプロテニス選手である。 テニス愛好家であった父に連れられて幼稚園の頃から甲子園テニスクラブへ通い始める。小学生になると自らもラケットを握り、同クラブで大人に混じって試合経験を積んだ。1967年に中高一貫の六甲中学へ入学して一時テニスから離れるものの、中学2年の終わり頃から再び熱中して市や県の大会で優勝するなど実績をあげると、母の反対を押し切ってテニスの強豪校である甲南高校に転校・進学した。
奥谷 通(おくたに とおる、本名・奥谷 通敏、1951年(昭… 奥谷 通(おくたに とおる、本名・奥谷 通敏、1951年(昭和26年)10月7日 - 2003年(平成15年)7月8日)は、日本の政治家、実業家。位階は正五位。 自由民主党衆議院議員(2期)、兵庫県議会議員(2期)。神戸不燃板工業元副社長。ザ・アール元社長の奥谷禮子は元妻(1984年に離婚)。長男は奥谷謙一兵庫県会議員。 兵庫県神戸市兵庫区(現・北区)山田町出身。父は神戸不燃板工業元社長の奥谷謙三。甲南中学校・高等学校を経て、1974年(昭和49年)3月、甲南大学法学部を卒業。1970年(昭和45年)の第25回国民体育大会(岩手国体′70)に剣道で出場した。 1975年(昭和50年)4月、神戸大学環境工学研究室勤務。
須磨 久善(すま ひさよし、1950年3月1日 - )は、日… 須磨 久善(すま ひさよし、1950年3月1日 - )は、日本の心臓血管外科医。専門は心臓血管外科と循環器内科。 世界で初めて胃大網動脈グラフトを使用した冠動脈バイパスを開発し、日本で初めて拡張型心筋症に対する左室形成術の一術式であるバチスタ手術を行ったことで知られる。 兵庫県出身。甲南中学校・高等学校、大阪医科大学卒業後、三井記念病院心臓血管外科部長、ローマカトリック大学(サクロ・クオーレ・カトリック大学)心臓外科客員教授、湘南鎌倉総合病院院長、葉山ハートセンター院長、順天堂大学医学部心臓血管外科客員教授、心臓血管研究所付属病院スーパーバイザー、香川大学医学部臨床教授、大阪医科大学アドバイザーなどを歴任。
大村 憲司(おおむら けんじ、1949年5月5日 - 199… 大村 憲司(おおむら けんじ、1949年5月5日 - 1998年11月18日)は、日本のギタリスト、作曲家、編曲家。MIDNIGHTSUNSのギタリスト・大村真司は長男。 兵庫県神戸市出身。甲南高等学校を卒業後、1969年、ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストのロック部門で優勝。 1970年にアメリカに渡り、フィルモア・ウェストのステージに立つ。1971年帰国、上智大学国際学部へ入学する一方、赤い鳥に参加。1973年に赤い鳥を脱退、村上秀一らと「エントランス」を結成。続く1974年にバンブー、1975年にカミーノを結成。 1980年、YMOのサポート・ギタリストとして国内およびワールドツアーに参加。
伊藤 正(いとう ただし、1946年 - )は、日本の物理学… 伊藤 正(いとう ただし、1946年 - )は、日本の物理学者。大阪大学ナノサイエンスデザイン教育研究センター特任教授。一般社団法人大阪大学ナノ理工学人材育成産学コンソーシアム代表理事。大阪大学名誉教授。専門は物性物理学、特に光物性学。 初代伊藤忠兵衛の玄孫。伊藤順吉、保子の次男として生まれる。母は後藤文夫の次女。兄は伊藤建夫。 甲南小学校(42回生)、甲南高校を経て、1969年3月、大阪大学基礎工学部材料工学科卒業(工学士)。1971年3月、大阪大学基礎工学研究物理系専攻修了(工学修士)。成田信一郎教授の研究室に所属し、波長変調分光法の研究を進める。1974年3月、大阪大学基礎工学研究物理系専攻博士課程修了(工学博士)。
野村 正樹(のむら まさき、1944年8月17日 - 201… 野村 正樹(のむら まさき、1944年8月17日 - 2011年3月13日)は、日本の推理作家。兵庫県神戸市出身。 神戸市立高羽小学校、甲南中学校・高等学校を経て、1967年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、サントリーに入社。15年間を過ごした宣伝部の他、営業部署、マーケティング関連部署に勤める。 1986年、42歳の時に『殺意のバカンス』で推理作家デビュー。受賞デビューではなく、勤務先であるサントリーが公募するサントリーミステリー大賞を通じてのデビューであった。 1991年、『シンデレラの朝』で日本文芸大賞現代文学賞を受賞。 1995年、50歳の時に選択定年制度によりサントリーを退社、28年間のサラリーマン生活を終える。
水野 正人(みずの まさと、1943年5月25日 - )は、… 水野 正人(みずの まさと、1943年5月25日 - )は、日本の実業家。元ミズノ代表取締役会長。公益財団法人ボーイスカウト日本連盟理事長。兵庫県芦屋市出身。 祖父はミズノ創業者の水野利八。父はミズノ元会長・社長の水野健次郎。弟はミズノ社長の水野明人。
竹中 統一(たけなか とういち、1942年〈昭和17年〉12… 竹中 統一(たけなか とういち、1942年〈昭和17年〉12月8日 - )は、日本の実業家。株式会社竹中工務店取締役名誉会長、創業家である竹中家の第17代当主。 竹中家第15代当主・竹中錬一の長男。竹中家17代目当主(第16代は、錬一の弟、宏平)に就任すると、33年間竹中工務店の社長を務める。後任には、竹中工務店創業以来初の創業家外部からの出身となる宮下正裕を指名し、会長兼CEOに退いた。 社団法人海外建設協会会長、大阪日米協会、社団法人建築業協会会長、日本美術協会評議員、社団法人日泰貿易協会理事等を歴任。
武田 國男(たけだ くにお、1940年(昭和15年)1月15… 武田 國男(たけだ くにお、1940年(昭和15年)1月15日 - 2024年(令和6年)6月8日)は、日本の実業家。武田薬品工業代表取締役会長CEO、日本経済団体連合会副会長、関西経済連合会副会長を務めた。 父・武田鋭太郎(後に六代目武田長兵衛を襲名)、母・繁子(十代目國分勘兵衛の娘)の三男として兵庫県住吉村(現:神戸市)に生まれる。長兄・彰郎(34年生)、次兄・誠郎(35生)の三兄弟で武田家住吉別邸(銜艸居、現:武田資料館)で育つ(長男は大阪・道修町本邸に住まい後継者として教育を受ける)。1944年甲南幼稚園に入園するが、母と2人で丹波大山に疎開。戦後は、住吉別邸がアメリカ軍によって自宅の3分の2が接収され、同居生活を送る。
小林 一雅(こばやし かずまさ、1939年(昭和14年)9月… 小林 一雅(こばやし かずまさ、1939年(昭和14年)9月19日 - )は、日本の実業家。兵庫県出身。小林製薬の社長・会長を務めた。 小林製薬社長の小林三郎の長男として生まれ育った。大学在学中に父の三郎が死去。甲南大学経済学部卒業後、1962年3月に小林製薬に入社。1964年米国に視察旅行をきっかけに1965年にコロンビア大学に留学。1966年11月に取締役、1970年11月に常務取締役を経て、1976年12月、4代社長に就任。医薬品の卸業であった小林製薬をメーカーへと転換を進めた。 その後、2004年6月に弟である豊が社長となり、一雅は会長となった。 2024年7月23日、紅麹配合サプリメントによる健康被害の拡大を受け会長を辞任。
六本 佳平(ろくもと かへい、1939年3月10日 - )は… 六本 佳平(ろくもと かへい、1939年3月10日 - )は、日本の法学者。東京大学名誉教授。専門は法社会学。法学博士。神戸市出身。1970年助教授として、日本の国立大学最初の「法社会学講座」担当者となる。俳人の六本和子は母親。 「弁護士業務の経済的基盤に関する実態調査票」1980年実施(日本弁護士連合会、全国調査、自由と正義32巻10号所載)
上山 英介(うえやま ひですけ、1937年〈昭和12年〉6月… 上山 英介(うえやま ひですけ、1937年〈昭和12年〉6月24日 - 2015年〈平成27年〉10月31日)は、日本の実業家。元大日本除虫菊会長。元大阪青年会議所理事長。元甲南大学体育会弓道部名誉会長。元NPO法人SKC企業振興連盟協議会・船場経済倶楽部会長。 甲南大学経済学部卒業。大日本除虫菊入社。1981年、社長に就任。1999年、会長に就任。
米倉 弘昌(よねくら ひろまさ、1937年3月31日 - 2… 米倉 弘昌(よねくら ひろまさ、1937年3月31日 - 2018年11月16日)は、日本の実業家。位階は正三位。 学位は経済学修士(デューク大学・1965年)。住友化学株式会社相談役、一般社団法人日本経済団体連合会名誉会長、経済産業省産業構造審議会会長、住友化学工業株式会社(現住友化学株式会社)代表取締役社長・会長、社団法人日本経済団体連合会副会長、石油化学工業協会会長、社団法人日本化学工業協会会長、一般社団法人日本経済団体連合会会長(第3代)などを歴任した。 1937年3月31日、兵庫県神戸市長田区に生まれる。甲南高等学校を経て、1956年4月に東京大学法学部入学、1960年3月、東京大学法学部卒業後、住友化学工業(現住友化学)に入社する。
石黒 修(いしぐろ おさむ、1936年8月12日 - 201… 石黒 修(いしぐろ おさむ、1936年8月12日 - 2016年11月9日)は、日本の男子プロテニス選手。日本プロテニス界のパイオニアとして活躍した名選手である。次男は俳優の石黒賢。父はタービン設計者の石黒九一、祖父は土木技術者の石黒五十二、曽祖父は加賀藩の国学者の石黒千尋。 長崎県長崎市出身。8歳の時に長崎市で原子爆弾に被爆。午前11時2分には民家に入っていたためかろうじて助かった。戦後は父・九一の仕事の都合で神戸市で育つ。 中学1年生の時にテニスを始める。甲南中学校・高等学校(2年先輩に松岡功)、慶應義塾大学法学部政治学科、三菱電機へ進み、全日本ジュニア、インターハイ、インカレを制する。 1961年にはデビスカップの代表に選ばれ、東洋ゾーン準決勝で奇跡の逆転勝利を演出した。
石井 一二(いしい いちじ、1936年(昭和11年)7月24… 石井 一二(いしい いちじ、1936年(昭和11年)7月24日 - )は、日本の政治家、実業家。株式会社ピコテック代表取締役。 兵庫県議会議員(3期)、参議院議員(3期)、環境政務次官(竹下改造内閣・宇野内閣)、外務政務次官(第2次海部内閣)、参議院農林水産委員長、自由民主党副幹事長、新進党参議院国会運営委員長、同参議院幹事長、同参議院副会長、自由連合幹事長、NPO法人日本紛争予防センター理事長、三共生興株式会社取締役、徳洲会特別顧問などを歴任。 ニックネームは、ワンツーさん。 兄は元自治大臣の石井一、父はタイヘイレコード元社長で、元兵庫県議会議員の石井廣治。甥に兵庫県議会議員の石井健一郎、民主党元衆議院議員、西宮市長の石井登志郎がいる。
江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年(昭和11年)6月1… 江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年(昭和11年)6月12日 - 2013年(平成25年)2月8日)は、株式会社リクルートの創業者として知られる日本の実業家。「昭和最大の起業家」「東京大学が生んだ最大のベンチャー起業家」とも評されるが、「リクルート事件」の贈賄側人物としても知られる。また奨学金財団として江副育英会を創設し理事長を務めた。 東京大学在学中に就職斡旋の事業に着手してリクルートを創業し、大企業に成長させた。情報をビジネス化するという発想がなかった時代に、就職、転職、住宅などの情報を提供にはじまり、情報産業の旗手となった。「自ら機会をつくり、機会によって自らを変えよ」は江副の遺した社訓として知られ、江副の作ったリクルートは起業家集団としても知られ、日本最大のビジネスモデルとして現在も影響を与え続けている。
近藤 徹(こんどう とおる、1936年(昭和11年)1月4日… 近藤 徹(こんどう とおる、1936年(昭和11年)1月4日 - )は、日本の土木工学者、建設技監。土木学会認定特別上級土木技術者(総合)。 1959年(昭和34年)東京大学工学部土木工学科を卒業し、建設省に入省する。河川局長、建設技監等を歴任したのち民間に転じ、水資源開発公団総裁を経て、2004年(平成16年)東北電力常任顧問に就任した。建設省時代は薗原ダム、矢木沢ダム、川治ダム、長良川河口堰などに関与した。 ほか、土木学会にて会長、東北支部幹事長、中国支部長、副会長、定款委員長、論説委員、河川協会会長、応用生態工学会会長などを務めた。
松岡 功(まつおか いさお、1934年(昭和9年)12月18… 松岡 功(まつおか いさお、1934年(昭和9年)12月18日 - )は、日本の実業家・テニスプレーヤー。東宝名誉会長(元代表取締役会長)、日本アカデミー賞協会名誉会長。兵庫県芦屋市出身。 小林一三の次男・松岡辰郎の次男として生まれた。甲南幼稚園から甲南小学校へ進学。小学校時代の同級生には野村文英がいたという。1945年には丹波市の慧日寺へ集団疎開した。甲南中学校・高等学校在学中は硬式テニス部に所属し、全日本ジュニア選手権ダブルスで優勝、高校総体では準優勝に輝いた。甲南高校の2学年下には石黒修がいた。 1953年、設立3年目の甲南大学へスポーツ推薦で入学した。松岡はこの当時「高校テニス三羽烏」の1人に数えられており新設大学における広告塔として期待されていたという。
石井 一(いしい はじめ、1934年〈昭和9年〉8月17日 … 石井 一(いしい はじめ、1934年〈昭和9年〉8月17日 - 2022年〈令和4年〉6月4日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)、参議院議員(1期)、国土庁長官(第19代)、自治大臣(第45代)、国家公安委員会委員長(第55代)、衆議院内閣委員長・公職選挙法改正に関する調査特別委員会委員長・政治改革特別委員長・決算委員長・決算行政監視委員長、参議院予算委員長、民主党国会対策委員長、同選挙対策委員長などを歴任。 元参議院議員・日本国特命大使の石井一二は弟。甥に兵庫県議会議員の石井健一郎、西宮市長の石井登志郎がいる。2人とも石井一の元政策秘書であり、登志郎とは養子縁組をした。兵庫県議会議員の石井秀武は親類にあたる。
中井 久夫(なかい ひさお、1934年1月16日 - 202… 中井 久夫(なかい ひさお、1934年1月16日 - 2022年8月8日)は、日本の医学者・精神科医。位階は従四位。瑞宝中綬章。文化功労者。専門は、精神病理学・病跡学。神戸大学名誉教授。学位は、医学博士(京都大学・論文博士・1966年)。 統合失調症の治療法研究が専門で、風景構成法の考案、PTSDの研究・紹介など多くの功績がある。詩の翻訳やエッセイでも知られる。筆名に楡林達夫、上原国夫がある。著書に『記憶の肖像』(1992年)、『「昭和」を送る』(2013年)など。 笠原嘉、宮本忠雄、木村敏、安永浩らと共に、日本の精神病理学第2世代を代表する人物である。専門は統合失調症の治療法研究。 中井が1969年に考案した風景構成法 (英: Landscape Montage Technique) は、心理療法におけるクライエント理解の有力なツールとして、日本で独自に創案・開発されたものである。
平尾 浩三(ひらお こうぞう、1934年 - 2024年3月… 平尾 浩三(ひらお こうぞう、1934年 - 2024年3月3日 )は、日本のドイツ語・ドイツ文学者。東京大学名誉教授、日本橋学館大学名誉教授。専門は中高ドイツ語・ドイツ中世文学。 神戸市生まれ。甲南高等学校を経て1957年東京大学教養学部教養学科ドイツ分科卒業。西ドイツに渡り、フライブルク大学非常勤講師、中央大学専任講師、同助教授を経て、1969年東京大学教養学部助教授、1985年教授。この間、ハンブルク大学、フライブルク大学にて在外研究。1989年定年退官、名誉教授、慶應義塾大学独文科教授、2000年から2005年まで日本橋学館大学教授。 NHKラジオ第2放送ドイツ語講座講師、日本独文学会理事長、日本学術振興会日独科学協力事業委員会委員、財団法人ドイツ語学文学振興会理事長、千葉県日独協会会長等を歴任。
笈田 ヨシ(おいだ ヨシ、Yoshi Oïda、1933年7… 笈田 ヨシ(おいだ ヨシ、Yoshi Oïda、1933年7月26日 - )は、日本の俳優・演出家。旧芸名は笈田 勝弘。兵庫県神戸市出身。パリ在住。内外の舞台で活躍。 甲南中学校・高等学校、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。慶應義塾大学在学中、文学座に入団。劇団四季を経て、1968年にロンドンでピーター・ブルック演出の実験劇『テンペスト』に出演。 1970年にブルックが設立した国際演劇研究センター(CIRT)に参加。以後パリを拠点に、主に各国の劇場で活躍。著書に『俳優漂流』『見えない俳優』(五柳書院)がある。他に数カ国語の翻訳がある。 1990年代に笈田 ヨシ、あるいはヨシ 笈田に改名。 1992年にフランス芸術文化勲章シュバリエ受勲。
河音 能平(かわね よしやす、 1933年3月25日 - 2… 河音 能平(かわね よしやす、 1933年3月25日 - 2003年11月22日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学文学部名誉教授。専門は日本中世史。 兵庫県神戸市生まれ。甲南高等学校卒業。1957年京都大学文学部卒業。京都大学大学院文学研究科修士課程修了、1962年同博士課程単位取得退学。八代学院大学助教授を経て、1971年大阪市立大学文学部助教授就任。後、大阪市立大学文学部教授。1996年名誉教授。専門は日本中世で、ドイツ学者との交流や宗教史(天神信仰)の研究が有名。母方の祖父が子爵の石井行昌。 学生時代の同級生大山喬平(京都大学名誉教授)、大学院進学後は脇田晴子(滋賀県立大学名誉教授、文化勲章受章者)も同期になる。
金谷 晴夫(かなたに はるお、1930年2月3日 - 198… 金谷 晴夫(かなたに はるお、1930年2月3日 - 1984年2月13日)は、日本の発生生物学者。 兵庫県生まれ。甲南高等学校 (旧制)を経て東京大学理学部卒業。1961「プラナリアの極性に関する実験的研究 」で東京大学より理学博士の学位を取得。 東京大学海洋研究所助教授、岡崎国立共同研究機構分子科学研究所教授を経て、1983年4月、基礎生物学研究所所長に就任。 ヒトデを材料とした研究で新ホルモンの存在を発見したり、生殖の内分泌機構を解明した。1970年、ローマ教皇庁科学アカデミーよりピウス11世メダル受賞。1983年、文化功労者と中日文化賞(多細胞動物の卵成熟機構の研究)を受賞。 1984年2月13日、死去。
山本 弘一(やまもと ひろかず、1928年5月6日 - 19… 山本 弘一(やまもと ひろかず、1928年5月6日 - 1990年/1991年)は、日本の陸上競技(中距離走)選手である。 1952年ヘルシンキオリンピックで男子1600メートルリレー走に出場した。 戦時中、旧制甲南高等学校尋常科(現在の甲南中学校・高等学校)在籍中より中距離走選手として活動し、1948年、戦後第1回のインターハイ優勝に貢献した。1947年の秋季国体では兵庫県代表選手となり、800m走で個人優勝。1949年、旧制甲南高等学校理科卒業。 京都大学に進学後、第1回全国七大学対校陸上競技大会において、400m、800m、1500mの3種目で優勝。 京都大学在学中、1952年ヘルシンキオリンピックに参加。
加藤 禮次(かとう れいじ、1915年7月15日 - 198… 加藤 禮次(かとう れいじ、1915年7月15日 - 1986年8月24日)は、日本の経営者。大阪府出身。レンゴー社長を務めた。旧姓は小林。 大阪市西区北堀江にて小林董治郎・候の次男として生まれる。小林家はあみだ池大黒を経営する一族である。甲南高等学校を経て1938年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に東洋製罐に入社。同年末に歩兵第8連隊に入営。ジャムスに駐屯。ノモンハン事件最中の1939年8月に主計幹部候補生に合格して内地に帰還が決まった際、古参一等兵たちから腹いせに鼓膜が破れ気絶するほどのリンチを受けたという。陸軍経理学校(甲幹3期、第1中隊)を経て1940年より赤羽の陸軍被服廠に勤務し、二代目会計監督官班長。
杉田元宜(すぎた もとよし、1905年8月15日 - 199… 杉田元宜(すぎた もとよし、1905年8月15日 - 1990年1月14日)は、日本の物理学者、科学史家、一橋大学名誉教授。 熊本県八代町(現・八代市)生まれ。高知育ち、甲南高等学校卒、1929年東京帝国大学理学部物理学科卒、逓信省勤務、1934年海軍機関学校教官、1945年東京産業大学教授、1949年一橋大学法学社会学部教授、「過渡的現象の熱力学」で京都大学理学博士。1951年一橋大学社会学部教授。1969年一橋大定年退官、名誉教授、青山学院大学教授、1976年退職。妻は日系カナダ人。没後、正四位勲三等瑞宝章叙勲。墓所は多磨霊園(25-1-60) ゼミの指導学生に北畠能房(環境学者、京都大学名誉教授)、鶴野史朗(アイ・アール ジャパンホールディングス創業者)、有賀貞一(CSK副社長、ミスミグループ本社副社長、リアルワールド会長等を歴任)など。
香西 精(こうさい つとむ、1902年11月29日 - 19… 香西 精(こうさい つとむ、1902年11月29日 - 1979年1月12日)は、日本の英文学者・能楽研究者。 岡山県倉敷市出身。東京帝国大学文学部英文科卒業、甲南高等学校教授となるが病気のため辞職、1942年米穀会社に入り、兵庫米穀社長・会長。戦前から能楽研究を行い『謡曲界』などに多くの論文を発表。戦後、雑誌『宝生』に「とらうきやう考」を発表した後、表章との交流が始まり、世阿弥研究の基礎となる多くの功績を残した。1963年法政大学能楽研究所顧問。甲南高校時代の教え子に武智鉄二がいる。長男は元住友化学工業社長の香西昭夫。次男は日本経済研究センター理事長や政府税制調査会会長を務めたエコノミストの香西泰。