スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
砂田 晟弥(すなだ せいや、2001年10月30日 - )は… 砂田 晟弥(すなだ せいや、2001年10月30日 - )は、日本の陸上選手。3000m障害を専門とする。 兵庫県出身。父はウルトラマラソン(IAAF 100km)元世界記録保持者の砂田貴裕。 姫路市立置塩中学校の3年時に第43回全日本中学校陸上競技選手権大会の400mで優勝した。兵庫県立姫路商業高等学校では400mハードルに挑戦していた。高校卒業後にプレス工業に所属した。2024年11月末にプレス工業の陸上競技部を退部した。2025年4月1日よりSUBARU陸上競技部に加入した。
亀田 仁一路(かめだ じんいちろう、2001年〈平成13年〉… 亀田 仁一路(かめだ じんいちろう、2001年〈平成13年〉8月28日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走。兵庫県揖保郡御律町(現:たつの市)出身。たつの市立御津中学校、兵庫県立姫路商業高等学校、関西大学卒業。旭化成陸上競技部所属。 地元のたつの市立御津中学校に入学。中学1年次に陸上競技を始める。中学卒業後は兵庫県立姫路商業高等学校に進学。高校の同級生には2023年世界陸上日本代表の砂田晟弥(SUBARU)、菅野大輝(埼玉医科大学グループ)がいた。西脇工高や須磨学園高、報徳学園高の壁に阻まれ高校3年間は個人種目で近畿大会に出場することは叶わなかった。ただ、高校3年次の11月に行われた近畿高校駅伝では3区区間2位、12月に行われた神戸市長距離記録会では14分25秒76を記録するなど3年の秋には度々レースで好成績を収めた。
YURIE(ゆりえ、本名は深澤友梨恵、1989年3月8日 -… YURIE(ゆりえ、本名は深澤友梨恵、1989年3月8日 - )は、日本の歌手(ジャズシンガー)。兵庫県神戸市出身。血液型A型。両親は日本人、妹はTP-SATELLITE所属のモデルNAOMI。
上嶋 亜友美(うえしま あゆみ、1982年4月16日 - )… 上嶋 亜友美(うえしま あゆみ、1982年4月16日 - )は、兵庫県出身の女性ソフトテニス選手。日本代表。姫路商業高等学校-東芝姫路。 2003世界選手権から2006アジア競技大会までの4年間で国際大会個人戦ダブルスで4大会連続で決勝に進出し2004-2006で三年連続優勝の偉業を達成(玉泉春美・上嶋亜友美)。また2004アジア選手権ではダブルス(玉泉春美・上嶋亜友美)、ミックスダブルス(中堀成生・上嶋亜友美)、団体戦の3冠完全優勝。
家谷 和男(いえたに かずお、1977年8月25日 - )は… 家谷 和男(いえたに かずお、1977年8月25日 - )は、兵庫県たつの市出身の陸上競技選手・指導者。専門は長距離種目。 姫路商業高校卒業後、1996年に山陽特殊製鋼に入社。 2001年の全日本実業団ハーフマラソン大会で2位入賞。同年の東アジア競技大会では日本代表としてハーフマラソンに出場、優勝を飾る。 2005年の世界ハーフマラソン選手権では、日本代表としてトップの8位入賞。日本の団体3位に貢献した。同年のアジア陸上競技選手権では10000mに出場し5位に入賞している。 ニューイヤー駅伝では、2002年と2005年に当時の最長区間であった2区で区間3位と好走した。 2014年をもって現役を引退。
長岡 千里(ながおか ちさと、1976年4月5日 - )は、… 長岡 千里(ながおか ちさと、1976年4月5日 - )は、日本の女子ボブスレー選手。兵庫県飾磨郡夢前町(現・姫路市)出身。2006年トリノオリンピック出場。NISグループ(旧・株式会社ニッシン)所属。2014年から秋葉原に本社がある廣瀬無線電気(株)勤務。 夢前町立前之庄小学校・夢前町立鹿谷中学校・兵庫県立姫路商業高等学校を経て・天理大学体育学部卒業。 2006年トリノ冬季五輪ボブスレーの日本代表の出場が危ぶまれた際、日本テレビ系、ザ!情報ツウに生電話出演。司会の峰竜太と会話。オリンピックに出場したい旨を訴えた。 その後、念願叶って桧野真奈美と共にトリノ冬季五輪ボブスレー日本代表として出場。ボブスレー女子2人乗りの結果は15位。
小峰 元(こみね はじめ、1921年3月24日 - 1994… 小峰 元(こみね はじめ、1921年3月24日 - 1994年5月22日)は、日本の小説家。 1921年、兵庫県神戸市に生まれる。本名は廣岡 澄夫。姫路商業学校、大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)スペイン語科卒業後、貿易商、教員等を経て昭和18年、毎日新聞社に入社。毎日新聞社では大阪本社編集局整理部デスク、高松支局、金沢支局などを経て、大阪本社編集委員となる。新聞社時代の後輩としては作家の長井彬がいる。太平洋戦争終結(終戦)のすぐあとから短編小説を執筆する。1948年、雑誌「百面相」にて「仮面の花嫁」を発表、またこの年「百万塔の秘密」を刊行した。その後も少年向け小説を執筆する。毎日新聞社在職中、1973年に『アルキメデスは手を汚さない』で第19回江戸川乱歩賞を受賞する。
黒田 俊夫(くろだ としお、1909年11月8日 - 200… 黒田 俊夫(くろだ としお、1909年11月8日 - 2006年12月30日)は、日本の人口学者。厚生省人口問題研究所所長、日本大学人口研究所所長、日本人口学会会長などを歴任した。 兵庫県姫路市伊伝居生まれ。姫路市立姫路商業学校(現兵庫県立姫路商業高等学校)では同級生の柿坪正義(のちに特命全権大使)とともに東京商科大学(現一橋大学)を目指し、勉強し、1931年同大学商学専門部卒業、支那経済事情研究会入会。1933年東京商工会議所入所。1936年日本大学商経学部経済学科卒業。1939年上海中支那軍票交換用物資配給組合入所。1947年厚生省人口問題研究所入所。1953年東京商科大学専攻科修了。1961年資源調査会専門委員。
柿坪 正義 (かきつぼ まさよし、1907年 - 1997年… 柿坪 正義 (かきつぼ まさよし、1907年 - 1997年)は、日本の外交官。外務省情報文化局長や、国連大使、駐アラブ連合共和国大使、駐スイス大使、国連アジア経済開発研修所長等を歴任した。正三位勲一等瑞宝章。 兵庫県加古川市出身。通産省官僚で日米繊維交渉時などで日東紡績会長を務めた柿坪精吾は弟。姫路市立姫路商業学校(現兵庫県立姫路商業高等学校)在学中、同級生の黒田俊夫(のちに日本大学人口問題研究所名誉所長)とともに東京商科大学(現一橋大学)進学を目指し、同大に進学。大学在学中文官高等試験に合格し、1932年に中退し外務省に入省した。 ケンブリッジ大学留学や、大東亜省南方事務局事務官、自由インド仮政府一等書記官等を経て、第二次世界大戦後は外務省情報文化局長、国連政府代表部大使、駐パキスタン特命全権大使、駐アラブ連合共和国特命全権大使、駐スイス特命全権大使、国連アジア極東経済委員会研修所長、国連アジア経済開発研修所長等を歴任した。