岩田 健太郎(いわた けんたろう、1971年 - )は、日本… 岩田 健太郎(いわた けんたろう、1971年 - )は、日本の医師、感染症専門内科医。神戸大学大学院医学研究科教授、同大学都市安全研究センター感染症リスクコミュニケーション分野教授、同大学医学部附属病院感染症内科診療科長・国際診療部長を兼任。島根医科大学卒業後、沖縄県立中部病院、コロンビア大学セントルークス・ルーズベルト病院内科での研修を経て、アメリカと中国で医師として勤務した。亀田総合病院の総合診療感染症科部長などを経て、2008年より現職。感染症学修士(ロンドン大学)、医学博士(神戸大学)。感染症専門書や啓発的著作など著書多数。医学雑誌『J-IDEO』の編集主幹を務める。 島根県生まれ。1997年に島根医科大学(現:島根大学医学部)を卒業後、研修医として沖縄県立中部病院に勤務した。
朝田 隆(あさだ たかし、1955年2月3日 - )は、日本… 朝田 隆(あさだ たかし、1955年2月3日 - )は、日本の精神科医。筑波大学名誉教授。東京医科歯科大学特任教授、メモリークリニックお茶の水院長。認知症予防、治療の第一人者と呼ばれる。
島田 二郎(しまだ じろう、1953年〈昭和28年〉8月30… 島田 二郎(しまだ じろう、1953年〈昭和28年〉8月30日 - )は、日本の政治家、歯科医師。元島根県安来市長(3期)。 1953年(昭和28年)8月30日、島根県能義郡安来町(現:安来市)にて島根県議会議員であった島田芳雄の次男として生まれる。実兄は後に医師となって関東へ移住し、関東の病院に勤務する。 幼い頃に実母を病で亡くし、その後父の島田芳雄が義母と再婚し、それから1956年7月6日にはその間に異母弟で後に参議院議員となる島田三郎が誕生する。 1972年(昭和47年)、島根県立松江北高等学校を卒業。1982年(昭和57年)、神奈川歯科大学大学院を修了し、歯学博士の学位を取得後、埼玉医科大学で口腔外科講師として勤務した。
澄川 耕二(すみかわ こうじ、1947年 - )は、日本の麻… 澄川 耕二(すみかわ こうじ、1947年 - )は、日本の麻酔科医、長崎大学名誉教授(元・医学部/大学院医歯薬学総合研究科教授)、佐世保市立総合病院長。 島根県益田市生まれ。 島根県立益田高等学校から大阪大学医学部に進み、1972年に卒業して、6月に医師免許を取得した。大阪大学助手から、滋賀医科大学助手に転じ、1978年に講師、1980年に助教授へ昇任。この間、1978年8月、「副腎髄質のカテコールアミン遊離機構に及ぼす揮発性麻酔薬ならびに筋弛緩薬の影響」で、大阪大学より医学博士を取得。1988年、大阪大学医学部麻酔科助教授を経て。1992年、長崎大学医学部麻酔科教授。 その後、科学研究費委員会専門委員、医師国家試験委員、医道審議会麻酔科標榜資格審査部会委員などを歴任。
中田 瑞穂(なかた みずほ、1893年〈明治26年〉4月24… 中田 瑞穂(なかた みずほ、1893年〈明治26年〉4月24日 - 1975年〈昭和50年〉8月18日)は、日本の脳神経外科医・俳人。新潟大学名誉教授。俳号はみづほ、瑞翁、穭翁。島根県津和野町生まれ。 日本における脳神経外科学の権威で、その数々の功績から「日本脳外科の父」とも呼ばれる。 日本初の脳神経外科学講座を新潟大学に設立し、新潟大学脳研究所の設立と発展に貢献した。また、てんかんの治療法として現在も行われている大脳半球切除手術に日本で初めて成功したことでも知られる。ホトトギス派の俳人。主著に『脳手術』、『脳腫瘍』等。 旧制六高を経て東京帝国大学医科大学を卒業後直ちに同大学の近藤次繁教授の外科教室に入局し、4年間の勤務の後新潟医科大学の外科教室に助教授として赴任した。
右田 アサ(みぎた アサ、1871年12月4日〈明治4年10… 右田 アサ(みぎた アサ、1871年12月4日〈明治4年10月22日〉 - 1898年〈明治31年〉8月5日)は、日本の医師、日本で最初の女性眼科医。別名は右田朝子。30歳に満たない年齢で早世したため、医師としての活動期間は短いが、平成期に記念碑が発見され、その存在が明らかとなって以降、「日本初の女性眼科医」として顕彰の気運が高まっている。 浜田県美濃郡益田村(後の島根県益田市)の寺井家で誕生した。7歳のとき、益田村の名家である右田家の養女となった。当時より、一度決断したことをやり抜く意志の持ち主であった。且つ聡明で、小学校では上等組の男子よりも良い成績を収めた。卒業後も私塾に通い、男子に混ざって勉学に励んだ。
三木 竹二(みき たけじ、慶応3年9月5日(1867年10月… 三木 竹二(みき たけじ、慶応3年9月5日(1867年10月2日) - 明治41年(1908年)1月10日)は、明治の劇評家で、医師。本名は森 篤次郎(もり とくじろう)。兄は小説家の森鷗外、妹は翻訳家・歌人・随筆家の小金井喜美子。 大政奉還の直前、石見国津和野に津和野藩医・森静泰(のちに静男と改名)と峰子の間に次男として生まれた。廃藩置県などによって5歳のときに上京する。子供の頃は、鷗外よりも才があったという[要出典]。 12歳の頃、男爵の河田佐久馬(旧鳥取藩士、元老院議官で1887年子爵に叙せられた)に大変気に入られて養子縁組が決まり、本人もその気になっていた。しかし、親戚から横槍が入った河田家が財産譲与額の変更を第三者を介して伝えてくると、金のことを問題にしたことと、それを人の口を介して告げてきた誠意のない態度に若い鷗外が激怒して破談となった。
井上 豊太郎(いのうえ とよたろう、1861年6月6日(文久… 井上 豊太郎(いのうえ とよたろう、1861年6月6日(文久元年4月28日) - 1951年(昭和26年)1月13日)は、日本の医学者、眼科医。島根県生まれ。 島根県邇摩郡宅野村(現・大田市仁摩町)に井上柳葊の三男として生まれる。1880年、島根県医学校に入学。1884年に同校を卒業後、1887年、獨逸学協会学校入学。1889年からドイツへ留学し、ベルリン大学やミュンヘン大学などで研鑽を積む。1895年に医学博士の学位を取得。 1896年、帰国して東京眼科病院を開院。1909年、ミュンヘン大学の恩師であるアウグスト・フォン・ロートムントの処方箋を参考に目薬を処方し、信天堂山田安民薬房(現ロート製薬)の山田安民が「ロート目薬」として調製・発売。
西山 関一郎(關一郎、にしやま かんいちろう、1848年11… 西山 関一郎(關一郎、にしやま かんいちろう、1848年11月7日(嘉永元年10月12日)- 1903年(明治36年)7月4日)は、明治期の医師、政治家。衆議院議員、島根県会議長。 出雲国神門郡荻杼村(島根県簸川郡川跡村、出雲町を経て現出雲市)で、医師、2代・西山沙保、やゑの長男として生まれる。儒学を今市の伊藤宜堂に学んだ。その後、神戸洋学館で英語を学び、1870年(明治3年)大阪医学校(現大阪大学医学部)に入学し4年間修学。その後上京し、佐々木東洋の私塾主幹に就任。1874年(明治7年)に帰郷し開業した。 1876年(明治9年)9月に公立松江病院が開設され院医に就任。1977年(明治10年)12月、院長心得となり1881年(明治14年)まで在任。