鎌田 勝太郎(かまだ かつたろう、諱・正康。号・淡翁、186… 鎌田 勝太郎(かまだ かつたろう、諱・正康。号・淡翁、1864年2月29日〈元治元年1月22日〉 - 1942年〈昭和17年〉3月28日)は、戦前日本の実業家、政治家、社会事業家、資産家、醤油醸造家(堺屋)、香川県多額納税者、地主。貴族院多額納税者議員(4期)。衆議院議員(当選1回)。従五位勲三等。族籍は香川県平民。 坂出塩業の振興につとめ「讃岐坂出塩業の父」とも称される。貴族院政治史上最多の当選回数(4選)の保持者でもあり、貴族院の重鎮としても君臨した。 醤油醸造を業とする家に生まれた。鎌田正平の長男。2歳、あるいは3歳の時、父親が死亡し、祖父母と母親の手で育てられた。1876年8月、家督を相続した。
黒瀬 與重郎(くろせ よじゅうろう、旧姓・高田、1854年1… 黒瀬 與重郎(くろせ よじゅうろう、旧姓・高田、1854年10月24日〈安政元年9月3日〉 - 没年不明)は、香川県多額納税者、香川県の大地主・家主、資産家。族籍は香川県平民。 香川県仲多度郡生野村(後の麻野村、善通寺町、現・善通寺市)、平民・高田恵八郎の四男。黒瀬與吉郎の養子となり、家督を相続する。商業を営む。1926年、退隠する。 諱は憲直、柳渚と号して書を好み、終生これを楽しむ。貝原益軒に私淑し、常にその著書を愛読する。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。同地方屈指の大地主、資産家で、香川県下の多額納税者である。 與重郎の人柄は「社交界に出ることを好まず、政治を談ずることを欲せず、只詩文に親しんだ」という。
鳥取 治郎八(とっとり じろはち、1853年5月15日〈嘉永… 鳥取 治郎八(とっとり じろはち、1853年5月15日〈嘉永6年4月8日〉 - 1936年〈昭和11年〉3月22日)は、日本の実業家、資産家、篤農家、大地主、香川県多額納税者。合資会社信正社有限責任社員。讃岐農工銀行監査役。族籍は香川県平民。憲仁親王妃久子は曽孫。承子女王、千家典子、守谷絢子は玄孫。 讃岐国三野郡笠岡村(現・香川県三豊市)出身。鳥取為三郎の長男。1886年、家督を相続した。農業を営んだ。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。金持ちであるが驕らず勤倹力行を旨とし家業の発展を図った。公共慈善の事に接すると私財を投じて惜しむ所はなかった。住所は香川県三豊郡笠田村。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
先代塩田 忠左衛門(しおた ちゅうざえもん、旧字体: 鹽田 … 先代塩田 忠左衛門(しおた ちゅうざえもん、旧字体: 鹽田 忠左衞門、1843年2月27日〈天保14年1月29日〉 - 1925年〈大正14年〉9月23日)は、日本の政治家、実業家、資産家、大地主、香川県多額納税者。衆議院議員(香川県第五区選出、当選1回)。西讃銀行取締役。族籍は香川県平民。 讃岐国三野郡仁尾村(現・香川県三豊市)に生まれた。忠左衛門の長男。早くから家庭の薫陶を受け、また金光寺信元に就いて漢籍を修めた。商業を営んだ。 1874年、三野郡仁尾村学務委員となり、それ以来仁尾村会議員、三野豊田郡地位等級会議員、香川県会議員、仁尾村勧業世話係、仁尾村第六聯合会長、仁尾村家の浦聯合会議員、仁尾尋常小学校建築委員長、仁尾村長等の各公職に就任。