原島 秀毅(はらしま ひでき、1937年 - 2017年2月… 原島 秀毅(はらしま ひでき、1937年 - 2017年2月27日)は、日本の外交官。橋本内閣で初代沖縄担当特命全権大使兼政府代表として在日米軍基地問題などにあたった。駐マレーシア特命全権大使を経て、退官後、沖縄に移住し大学で琉球文学を講じたり、琉球民謡創作を行うなどした。琉球民謡新人賞受賞。 愛媛県今治市出身。1956年愛媛県立今治西高等学校卒業。1962年一橋大学法学部卒業、外務省入省。外務省中近東アフリカ局アフリカ課長、国際連合日本政府代表部参事官、外務省欧亜局西欧第一課長、外務大臣官房文書課長、国際連合日本政府代表部公使等を歴任。1983年から宮内庁御用掛として昭和天皇のフランス語通訳を務めた。
宮崎 勝太郎(みやざき かつたろう、1892年〈明治25年〉… 宮崎 勝太郎(みやざき かつたろう、1892年〈明治25年〉4月16日 - 1946年〈昭和21年〉7月12日)は、日本の外交官。駐ルーマニア公使。 愛媛県松山市出身。1916年(大正5年)、高等文官試験と外交官及領事官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学法律科を卒業した。農商務省商工局、同臨時産業調査局に勤務した後、外務事務官に転じ、政務局第三課に勤務。さらにイギリス大使館三等書記官、同二等書記官、外務書記官・欧米局第一課長、フランス大使館一等書記官、イギリス大使館一等書記官、トルコ大使館参事官を歴任した。1939年(昭和14年)、駐ルーマニア公使に就任し、翌年に退官した。
伊藤 述史(いとう のぶふみ、1885年〈明治18年〉8月1… 伊藤 述史(いとう のぶふみ、1885年〈明治18年〉8月19日 - 1960年〈昭和35年〉4月3日)は、日本の外交官。情報局総裁、貴族院議員等を務めた後、戦後GHQにより公職追放された。 愛媛県新居郡宇高村(高津村を経て現新居浜市)で、医師・伊藤道冲の長男として生まれた。東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後外務省入省。その後リヨン大学に留学。各赴任先で英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語などを次々と習得し語学の天才と評された。法学博士。妻はフランス人。 満州事変前後を通じ国際連盟政府代表代理を務め日本の国際連盟脱退を実現。1937年から支那欧米諸国歴訪特命全権公使を務め、日独伊三国同盟推進派だった大島浩駐ドイツ大使や白鳥敏夫駐イタリア大使の説得にあたったのち、1940年からは内閣情報部長や初代内閣情報局総裁を務め情報統制を行った。
加藤 恒忠(かとう つねただ、安政6年1月22日(1859年… 加藤 恒忠(かとう つねただ、安政6年1月22日(1859年2月24日) - 大正12年(1923年)3月26日)は、日本の外交官、政治家。旧姓は大原。号は拓川。衆議院議員、貴族院勅選議員、松山市長、錦鶏間祗候。三男忠三郎は阪急電鉄の車掌、阪急百貨店の職員で、俳人正岡子規の妹リツの養子となり正岡家の祭祀を嗣いだ。 伊予国(現・愛媛県松山市)に伊予松山藩の儒者大原観山の三男として生まれる。父の死後、上京し、1876年(明治9年)給費の官吏養成所である司法省法学校(現在の東京大学法学部)に入学、フランス語とフランス法を学んだ。1879年1月廃絶していた縁戚の加藤家を興し加藤家戸主になった。同年2月校長の方針に反対し退学、中江兆民の塾に入る。