鹿毛 信盛(かげ のぶもり、1850年2月26日(嘉永3年1… 鹿毛 信盛(かげ のぶもり、1850年2月26日(嘉永3年1月15日)- 1914年(大正3年)9月9日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 筑後国御井郡、後の金島村(現福岡県久留米市)で、鹿毛佐金次の長男として生まれる。嘉永6年(1853年)に家督を相続した。 1878年(明治11年)以降、福岡第十七国立銀行(現福岡銀行)取締役、甘泉社社長、金島銀行頭取、福岡県御井郡農業組合長、両筑十二郡精藍組組長、久留米絣同業組合組長、久留米絣株式会社代表などを務めた。 政界では、福岡県会議員となり、また、1890年(明治23年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ、1897年(明治30年)9月28日の任期満了まで1期在任した。
安川 敬一郎(やすかわ けいいちろう、嘉永2年4月17日(1… 安川 敬一郎(やすかわ けいいちろう、嘉永2年4月17日(1849年5月9日) - 昭和9年(1934年)11月30日)は日本の武士(福岡藩士)、戦前の政治家、実業家。貴族院議員、衆議院議員。大正9年(1920年)1月13日、男爵授爵。勲三等瑞宝章。地方財閥・安川財閥の創始者であり、国士的な実業家として知られる。号は撫松。
貝島 太助(かいじま たすけ、弘化2年1月11日(1845年… 貝島 太助(かいじま たすけ、弘化2年1月11日(1845年2月17日)- 大正5年(1916年)11月1日)は、日本の実業家。筑豊御三家の一つである貝島財閥の創始者であり、筑豊炭田のうち貝島炭鉱を開発して「筑豊の炭坑王」「筑豊の石炭王」の異名を取った。 筑前国鞍手郡直方町(現・福岡県直方市)の、行商もする貧農の家に生まれた。時は幕末動乱の真っ只中で、太助の幼少時代は黒船来航、大老・井伊直弼の暗殺(桜田門外の変)、尊王攘夷思想の広まりとさまざまな出来事が相次いで起こり、激動の時代を迎えていた。8歳の頃から、生活のために父とともに石炭掘りの仕事を始めた。炭鉱夫として稼いだ資金を元手に、明治3年(1870年)から炭鉱経営に従事した。
立花 親信(たちばな ちかのぶ、1845年(弘化2年4月)-… 立花 親信(たちばな ちかのぶ、1845年(弘化2年4月)- 1916年(大正5年)9月29日)は、幕末の柳河藩士、明治期の公吏・実業家・政治家。衆議院議員、福岡県会議長。 筑後国山門郡柳川城下(柳河県、三潴県、福岡県山門郡城内村、柳川町を経て現柳川市)で、柳河藩で中老を務めた立花家(家禄350石)に生まれた。1863年(文久3年6月)家督を相続した。1868年(慶応4年)侍頭となる。藩の軍政改革で断隊が設けられ、同年4月17日(旧暦3月25日)後断隊の隊長に就任。戊辰戦争で断隊に東京警固が命ぜられ藩主立花鑑寛と共に同年7月31日(旧暦6月12日)大坂を出発し、1869年2月3日(慶応4年12月22日)に帰藩した。
建野 郷三(たての ごうぞう、1842年1月12日(天保12… 建野 郷三(たての ごうぞう、1842年1月12日(天保12年12月1日) - 1908年(明治41年)2月16日)は、幕末の小倉藩士、明治期の官僚・外交官・実業家。大阪府知事、元老院議官。旧名・牧野弥次左衛門。 豊前国京都郡延永村(現:行橋市延永)に生まれる。小倉藩士・建野建三の養子となり「郷三」と改名。第二次長州征討において長州藩との戦いに従軍した。明治3年(1870年)、イギリスに留学し法律学を学んだ。 1877年(明治10年)11月、宮内省御用掛三等侍補心得となる。以後宮内権大書記官、兼太政官権大書記官を歴任。1879年(明治12年)、グラント前米国大統領の来日に当たり接伴掛を務めた。 1880年(明治13年)5月、大阪府知事に就任し約9年間在任、在任中に大阪府と堺県の合併を実現させた。
高田 久徳(たかた ひさのり)は、日本の実業家、投資家。東京… 高田 久徳(たかた ひさのり)は、日本の実業家、投資家。東京理科大学イノベーション・キャピタル株式会社共同創業者・代表取締役。東京理科大学・共創型デザインイノベーション研究部門客員教授。 福岡県出身。福岡県立福岡高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部卒業、東京理科大学大学院経営学研究科技術経営修士課程修了(優秀学生賞)、東京理科大学・共創型デザインイノベーション研究部門客員教授、オックスフォード大学サイード・ビジネス・スクールExecutive Education Leadership Program 修了。大学卒業後、第一生命保険相互会社(現第一生命保険株式会社)、Mountain Capital Advisors(現The Carlyle Group(カーライル・グループ))及び農林中央金庫に勤務し、ニューヨーク及び東京に於いてM&Aファイナンス、ベンチャー投資、プライベート・エクイティ投資及びクレジット投資業務等に従事。
本村 正秀(もとむら まさひで)は、日本の実業家。佐川急便株… 本村 正秀(もとむら まさひで)は、日本の実業家。佐川急便株式会社代表取締役社長。 福岡県出身。1978年福岡県立山門高等学校卒業。1980年東京佐川急便入社。
北嶋 信顕(きたじま のぶあき)は、日本の銀行家、実業家。ユ… 北嶋 信顕(きたじま のぶあき)は、日本の銀行家、実業家。ユーシーカード代表取締役社長、日本クレジットカード協会会長などを務めた。 福岡県山門郡(現・みやま市)出身。福岡県立山門高等学校を経て、1982年九州大学法学部卒業後、第一勧業銀行入行。 2000年エムタウン監査役。2006年みずほ銀行宝くじ部長、みずほドリームパートナー取締役、日本宝くじ協会理事、全国市町村振興協会理事。 2010年みずほ信託銀行信託総合営業第一部長。2011年同執行役員福岡支店長、2013年同常務執行役員。 2016年ユーシーカード社長に就任し、2020年3月末退任。この間、日本クレジットカード協会会長も務めた。
筒井 俊英(つつい としひで)は、英進館の代表取締役社長であ… 筒井 俊英(つつい としひで)は、英進館の代表取締役社長である。 久留米大学附設高等学校卒業(英進館として初めての附設高校合格者になる。)[出典無効]。1988年東京大学工学部入学、建築の勉強をする傍ら、司法試験の予備校にも通う[出典無効]。1992年英進館へ入社、三年間数学教師として勤務[出典無効]。 1995年九州大学医学部医学科を首席で卒業する[出典無効]。2001年九州大学付属病院にて医師として勤務[出典無効]。2002年再び英進館へ復帰[出典無効]。2004年取締役社長に就任[出典無効]。 2010年株式会社鯉城学院代表取締役社長に就任[出典無効]。2018年紺綬褒章受賞[出典無効]。
鶴丸 哲哉(つるまる てつや)は日本の実業家。株式会社ルネサ… 鶴丸 哲哉(つるまる てつや)は日本の実業家。株式会社ルネサスエレクトロニクス代表取締役会長。 1973年久留米大学附設高等学校卒業。同級生に青沼隆之元名古屋高等検察庁検事長、栗木康幸元東京エレクトロンデバイス社長がいた。1979年鹿児島大学大学院修了後、日立製作所入社。2003年ルネサステクノロジ那珂工場長、2010年ルネサスエレクトロニクス執行役員、2012年取締役。2013年代表取締役社長。2016年から同社代表取締役会長。
林 秀美(はやし ひでみ)は、日本の実業家。1951年福岡県… 林 秀美(はやし ひでみ)は、日本の実業家。1951年福岡県粕屋郡宇美町生まれ。1975年、ゼンリン入社。代表取締役副社長などを歴任。2000年からゼンリンデータコム代表取締役社長、会長。2015年、(株)コンピュータサイエンス研究所設立。現在同社代表取締役社長。 1982年から十数年に亘り、株式会社ゼンリンの地図のデジタル化を主導推進した。地図データベース制作自動化システム開発で石川賞を受賞。またカーナビ事業においてカーメーカーとの戦略的な提携を進める一方で、グローバル展開を図るために欧米に海外法人を設立などゼンリンの拡大発展に貢献した。2000年には(株)ゼンリンデータコムを創立し世界に先駆けて携帯電話の地図サービス事業を立ち上げ、カーナビを対象にした通信情報サービス事業に発展させた。
永野 芳宣(ながの よしのぶ、1931年- ) は、日本の実… 永野 芳宣(ながの よしのぶ、1931年- ) は、日本の実業家、経営評論家。 福岡県久留米市出身、横浜市立大学商学部卒業、東京電力に勤務し、常任監査役、特別顧問、日本エネルギー経済研究所研究顧問、政策科学研究所長・副理事長、九州電力エグゼクティブアドバイザー、立山科学グループ特別顧問、福岡大学研究推進部客員教授などを経て、久留米大学特命教授。イワキ(株)特別顧問、(株)正興電機製作所顧問、ジット(株)顧問、TM研究会事務局長などを務める。
田中 久重 (2代目)(たなか ひさしげ、1846年10月2… 田中 久重 (2代目)(たなか ひさしげ、1846年10月20日(弘化3年9月1日) - 1905年(明治38年)2月23日)は、江戸時代後期から明治にかけての実業家。 筑後国久留米の金工、金子荘右衛門の六男として生まれ、初代田中久重の門弟となり、才能を見込まれて養子田中大吉となる。 1873年、初代とともに上京し、翌年、電信寮製機所に勤め、御雇外国人技師の指導を受けて電信機の製作に従事。外国人技師が帰国した後、日本人技術者のみで機械製作を推進した。 1881年、初代の死去により襲名。翌年、東京芝浦に大工場(田中製作所)を建設し、海軍からの要請で水雷などを製造するも、海軍工廠が充実して受注がなくなり、負債を負って三井に経営が移り、1883年、芝浦製作所(のちの東芝)になった。
馬場 稔正(ばば としまさ)は、日本の実業家、投資家。MRT… 馬場 稔正(ばば としまさ)は、日本の実業家、投資家。MRT株式会社前代表取締役社長(CEO)である。 20歳の時、運転する車と信号機の正面衝突事故で生死をさまよう。医師はじめ医療従事者に命を救ってもらったことで、医療界に恩返しするために、医師や医療機関医療をサポートする会社を作りたいと考える。 2000年、東京大学出身の医師とともに、「コンビニエンスストアのような医療施設」というコンセプトの「セブンデイズクリニック メディカルリサーチアンドテクノロジー」(現・MRT)に経営参画する。2010年、当時13名の社員から上場したいと懇願されて上場準備に入り、2014年にマザーズ上場を果たした。 この間、2012年英国国立ウェールズ大学経営大学院修士課程(MBA)を修了する。