中村 誠宏(なかむら のぶひろ、1977年 - )は、日本の… 中村 誠宏(なかむら のぶひろ、1977年 - )は、日本の建築家。建築設計事務所A-ASTERISK(阿司拓設計)主宰。神奈川県生まれ。
福岡県:10人
中村 誠宏(なかむら のぶひろ、1977年 - )は、日本の… 中村 誠宏(なかむら のぶひろ、1977年 - )は、日本の建築家。建築設計事務所A-ASTERISK(阿司拓設計)主宰。神奈川県生まれ。
嶋田 洋平(しまだようへい、1976年〈昭和51年〉6月2日… 嶋田 洋平(しまだようへい、1976年〈昭和51年〉6月2日 - )は、日本の建築家。デベロッパーアーキテクト。一級建築士。福岡県北九州市出身。らいおん建築事務所代表。北九州家守舎代表。神田川ベーカリー代表。タンガテーブル代表。建築設計やリノベーション事業開発に加え、全国各地の都市地域再生事業も行うリノベーションを通じた地域再生事業に継続的に関与している建築家。著書に『ほしい暮らしは自分でつくる ぼくらのリノベーションまちづくり』などがある。元東京理科大学、元東洋大学非常勤講師、元法政大学大学院兼任講師。日本建築学会賞、国土交通大臣賞など受賞。 みかんぐみの仕事の鹿児島の「マルヤガーデンズ」、北九州市小倉の「メルカート三番街」を経て、リノベーションから新たな魅力がつくり出し得ることの感覚が重なり、本格的な活動に入った。
岡 啓輔(おか けいすけ、1965年 - )は日本の建築家。… 岡 啓輔(おか けいすけ、1965年 - )は日本の建築家。一級建築士であり、大工、ダンサー、セルフビルダーとしても活動する。 福岡県柳川市に生まれる。筑後市の船小屋温泉で育つ。1981年、大牟田市の国立有明工業高等専門学校建築学科に入学、1986年、同校を卒業。会社員などを経て、1988年から高山建築学校の活動に参加を始めた。その後、建築の勉強にのめり込んでいた頃、倉田康男から「建築だけやっていて建築家になれるほど、建築は甘くない」と、1年間の「建築禁止令」を出された。その間に和栗由紀夫から舞踏に誘われ、ダンサーとしても活動することとなった。 1993年、セルフビルドを活動の中心とする岡土建を旗揚げした。
松畑 強(まつはた つよし、1961年8月10日 - )は、… 松畑 強(まつはた つよし、1961年8月10日 - )は、日本の建築家。福岡県出身。 京都大学工学部建築学科卒業、同大学院工学研究科修士課程およびコロンビア大学建築学部修士課程修了、コロンビア大学客員研究員などを経て、松畑強/松畑建築事務所所属。
安東 直(あんどう すなお、1958年 - )は、日本の建築… 安東 直(あんどう すなお、1958年 - )は、日本の建築家。 福岡県に生まれる。1977年福岡県立修猷館高等学校を経て、1982年早稲田大学理工学部建築学科を卒業。 1982年久米建築事務所(現・久米設計)に入社。1989年より1990年まで久米オーストラリアに勤務し、常務執行役員設計本部副本部長兼設計長、専務執行役員設計本部プリンシパルを経て、2022年6月上級担当役員設計本部プリンシパル(CDO)。 早稲田大学芸術学校の教員も務める。
菊竹 清訓(きくたけ きよのり、1928年4月1日 - 20… 菊竹 清訓(きくたけ きよのり、1928年4月1日 - 2011年12月26日)は、日本の建築家。一級建築士、博士(工学)。 福岡県久留米市出身。1944年、早稲田大学専門部工科建築学科入学。1945年に久留米駅舎コンペで1等、1948年に広島平和記念カトリック聖堂コンペで3等を獲得するなど、在学中から既に活躍していた。1950年、早稲田大学理工学部建築学科卒業、同年竹中工務店勤務。1952年村野・森建築設計事務所を経て、1953年に菊竹清訓建築設計事務所を開設。 1960年代後期から70年代にかけ、独自のデザイン論である『代謝建築論 か・かた・かたち』を掲げ、黒川紀章らとともに建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとするメタボリズムを提唱する。
権藤 要吉(ごんどう ようきち、1895年(明治28年)- … 権藤 要吉(ごんどう ようきち、1895年(明治28年)- 1970年(昭和45年))は、日本の建築家。朝香宮邸(東京都庭園美術館)の設計者として知られる。 福岡県筑紫郡三宅村(現・福岡市南区)で権藤伊兵衛の長男として生まれる。福岡県立福岡工業学校(現・福岡県立福岡工業高等学校)建築科から名古屋高等工業学校に進学。1916年(大正5年)同校建築科を銀時計授与され優等で卒業した。 卒業同年、住友総本店営繕課建築係に入り、竹腰健造に師事。 1921年(大正10年)から学校側の推薦により住友を辞し、内匠寮技手として宮内省に勤務。高橋貞太郎の下で東伏見宮邸(大正13年)を手がける。これはのちの宮邸平面計画の原型となる。
松田 軍平(まつだ ぐんぺい 1894年 - 1981年)は… 松田 軍平(まつだ ぐんぺい 1894年 - 1981年)は、日本の建築家。松田平田設計の創始者。福岡県鞍手郡直方町(現・直方市)生まれ。 兄・松田昌平は旧門司三井倶楽部の設計者で知られる建築家。父の武一郎は鉱山技師。福岡工業学校から名古屋高等工業学校に進学し卒業後、清水組設計部に勤務。1921年に渡米し、コーネル大学で建築学を学ぶ。コーネル大学を卒業してアメリカの建築設計事務所、トローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所(英語版)で修行。三井本館監理副主任に就任。三井銀行の本店と支店を担当した。 1931年(昭和6年)赤坂の地に兄と松田事務所を開設し、1942年にはコーネル大学卒業の藤井羊三、平田重雄を迎え、株式会社松田平田設計に発展、日本におけるパートナーシップにより運営される組織系建築設計事務所の草分け的存在となる。
徳永 庸(とくなが いさお、1887年12月18日 - 19… 徳永 庸(とくなが いさお、1887年12月18日 - 1965年3月20日)は、日本の建築家。福岡県出身で、九州地方を中心に数多くの設計監理を手掛けるとともに、早稲田大学や関東学院大学の教授として製図の指導に当たった。 1887年(明治20年)12月18日、福岡県糟屋郡青柳村(現 古賀市)に生まれる。1907年4月より1年間、辰野金吾・葛西萬司建築事務所に入所。1908年3月、福岡県立福岡工業学校建築科卒業。1909年3月、早稲田大学高等予科理工科卒業。1913年(大正2年)7月、早稲田大学理工科建築学科を卒業し、同年10月から1917年8月まで辰野金吾・片岡安建築事務所に勤める1917年より、早稲田大学で助教授、教授、講師を務める。
大中 肇(おおなか はじめ、1886年3月28日 - 195… 大中 肇(おおなか はじめ、1886年3月28日 - 1950年9月15日)は、日本の建築家。熊本県天草郡楠浦村(現・天草市楠浦町)出身。 福岡県立工業学校建築科(現・福岡県立福岡工業高校)卒業。愛知県刈谷市を中心とする西三河地方で活躍し、建築学者の瀬口哲夫は大中を「タウンアーキテクト」と称している。代表作として亀城尋常高等小学校本館(現・刈谷市郷土資料館、登録有形文化財)がある。 1886年(明治19年)3月28日、熊本県の天草諸島にある天草郡楠浦村(現・天草市楠浦町)に生まれた。父親は大中清八、母親はキヨであり、肇は長男だった。大中家は肇の教育面を考えて、八代海の対岸にある鹿児島県出水郡中出水村下鯖渕(現・出水市下鯖町)に移住した。